ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。
さて、今年の2月24日ロシアがウクライナという隣国に全面侵攻しました。実はロシア軍が10万人の体制でウクライナ国境に配備され、軍事演習を始めたのが去年の3月です。ロシアは一年前からいつでも攻め込む準備というものをしていたんですね。しかしながら世界中のロシアの専門家は「戦争はありえないよ。脅しているだけだ。」と分析していたのです。「21世紀の世界で独立国家に武力で攻め込んで言い分を通すようなことは許されない。それはロシアにとってマイナスしかもたらさない。だからそんな愚かなことをプーチン大統領がするはずがない。」とほとんどの専門家が分析していたのです。しかし、戦争は始まってしまいました。そしてその結果、ウクライナに大きな被害が出ているだけではなく、ロシア国内も経済的に大ダメージを受けているのです。
プーチン大統領はなぜこんな愚かな決断をしたんでしょう。実は、彼の耳には本当に必要な情報が入っていなかったのではないかと言われているのです。ロシアという国は情報機関が発達していて、海外の情報分析にも力を入れています。しかし、肝心のプーチン大統領の周りにいる人たちは皆プーチン大統領の気にいることしか言わないのです。なぜなら大統領の耳に痛いことを言うと気分を損ねることになってしまい自分が酷い目に遭うと恐れたからです。それで大統領が「やりたい。」と言えば、いつも「大賛成。」ということになります。たとえそれがまずい判断であったとしても「まさに正しい道です。」と持ち上げることになります。まさしく裸の王様なのです。聞きたいことだけを聞き、聞きたくないことはそれが真実であっても耳を貸さなかった結果、この酷い戦争が生じたのです。
ところでプーチンという人物は元ソ連の秘密警察KGB(カー・ゲー・ベー)のスパイでした。しかし、KGBスパイ時代の彼に関する資料では彼は決して有能な人物評価をもらっていなかったのです。どちらかというと地味で出世街道からは外れた人でした。ところがある人物との接点によって中央政界に乗り出し、22年間に亘って独裁的権力を手にするにつれ徐々に変わっていったのです。
私たちは巨大な悪を行う人物と比べると、自分は随分マシな方だと思えてきますね。しかし、巨大な悪に成長する素質は全ての人に宿っているのです。私たちはみなミニチュアの独裁者的傾向を持っています。なぜなら聖書にこのように書いてあるからです。
すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。
今日はここから2つのポイントでお話しましょう。
すべての人は罪を犯している
第1に、すべての人は罪を犯しているという聖書の指摘です。
もちろん世の中には良い人もたくさんいますね。良い人とは良いことをする人です。しかし、どんなに良い人でも良いことだけをする人はいないのです。良いこともするが人知れず悪いこともしたり、言ったり、考えたりしているというのです。それは、すべての人の親にあたる最初の人間アダムから罪の性質を受け継いでいるからなのだと聖書は語るんですね。
ところで私は大阪市で生活をしています。大阪市の水源地は琵琶湖なんですね。日本最大の湖です。この琵琶湖から瀬田川という川が流れています。この川が京都に入ると宇治川という名前に変わります。大阪に入ると淀川と名前が変わるんですね。そして、最後は大阪湾に流れ込むのです。もし琵琶湖に猛毒が投げ込まれたら、琵琶湖は毒の湖になってしまいます。そこから流れ出る瀬田川も宇治川も淀川もみな毒の川になってしまいますね。それと同じように人類の水源地ともいうべき最初の人間アダムが、神に対して反逆した結果罪が入りました。この罪が子々孫々すべての子孫たちにバトンタッチされています。なのですべての人は最初の人間ゆえに罪の人であり、また本人も罪を犯すので罪人なのです。
なんと聞きたくない嫌な話でしょう。しかし続きがあるのです。
キリストによって義と認められる
神はこの罪の奴隷となった人間をきよくし、その罪を赦し、永遠のいのちを与えるためにイエス・キリストをこの世界に遣わしてくださいました。そして、このキリストが私たちのすべての罪の責任を、たったひとりで負って身代わりになって死ぬという刑罰を受けてくださったのです。そして、この身代わりの救済が神に認められた証拠として、この方は三日目に復活されました。
誰でもこのキリストを自分の救い主として信じるなら、その人は価なしに義と認められると聖書は語っているのです。ところで義と認められるとはどういう意味でしょう。神の目に罪の記録が一切見当たらない、パーフェクトだと認知されること、これが義と認められるということの意味なんです。
昔の話ですが、あるイギリス人が購入間もないロールスロイスで大陸に渡り、ヨーロッパを自動車旅行する計画を立てました。ところが対岸のフランスに着いてしばらくするとエンジンが止まってしまったんですね。いくらかけなおしても復帰しません。それでイギリスのロールスロイス本社にこのトラブルを報告すると実に丁寧な対応をされ、なんとその日のうちにメンテナンスマンがやって来たっていうんです。彼はテキパキとトラブル箇所を解決して、そうして帰って行きました。それからのドライブの旅はとても快適で一度もエンストを起こすことがなかったそうです。ですが一つ彼には気がかりなことがありました。帰国してからどれぐらいの修理費用を請求されるのか、前もってその金額を聞かずにメンテナンスマンを帰してしまったからです。イギリスに戻ると早速ロールスロイスに電話してみました。しかし、その返答はとてもシンプルでした。「お客様の車に関してわが社の記録を調べてみましたが修理の経歴は一切見当たりませんでした。したがって修理費用の請求はありません。」会社としては買ってすぐにエンストを起こすような車を出したということを認めたくなかったんでしょう。記録がないと言い張るのです。そして記録がない以上問題もなければ請求もないというのです。
キリストのいのちによる償い
これが義と認められるということです。キリストのいのちによって償いが果たされたがために人のすべての罪は帳消しとなり、神の記録書の中にあなたの罪の記録がないというのです。神が罪をお認めにならない以上、誰も認めることはできないのです。これがキリストによる義認なのです。
どうぞあなたもキリストを信じて価なしに義と認められるというこの特権を受け取ってください。心からお勧めいたします。
(ローマ3:23-24)