#1005 理解を越えた神の理解を越えた救い

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。那須清志です。

以前、友人から不要になったコーヒーメーカーをもらいました。早速使おうと思って電源を入れましたが反応全くなし。
やれやれいきなり廃棄か…、と思いましたが、案外高級品でしたのでメーカーに問い合わせてみました。すると電話対応もとても丁寧。
保証書もなかったのですが製造年が新しいこともあって無料で修理するとのこと。これはラッキーと思いました。
製品を送るためのボックスを送ってくれたり、修理の間の代替機もそこに入っていると至れり尽くせりの対応です。
数週間して修理品が届くと、中に「ご迷惑をおかけました」と手紙と共に「珈琲豆」も入っているではありませんか…。
恐れ入りました。売っておしまいという感じではないのです。自分たちが扱っている製品に自信と誇りを持ち、使っている人たちに喜びや満足を与えたいという気持ちが伝わってくるのです。
商売の一形態と言ってしまえば元も子もありませんが、私はこのことから創造主なる神と人間の関係について考えさせられました。
私たちを含む、すべてのものを造られら神は私たちを「造って終わり」という方ではありません。次のような聖書のことばがあります。

わたしはあなたの神、主。イスラエルの聖なる者、あなたの救い主であるからだ。
わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。

あなたの神

まず神について三つのことを考えましょう。
第一に聖書の神は『あなたの神』です。この世界には製品が数えきれないほどありますが、だれかが作ったのです。
メーカーがあるのです。勝手に一人でにできたものはありません。
人間は製品というよりは作品といった感じです。神が意味をもって作られました。
製品にメーカーの刻印があるように、作品に作者のサインがあるように私たち人間にも創造主の印をみることができます。
科学者たちはDNAにある遺伝子情報はタンパク質で書かれた文字のようなものだと言っています。
宇宙の秩序や雄大さ、生き物の精巧な造りを見るときに知恵をもつ大いなる方がおられることは誰でもわかります。
それが聖書の語る神で「あなたの神」です。あなたのことを愛をもって見守っている方なのです。

聖なる方

第二に、神は『聖なる方』であるということです。
光が小さな傷や汚れを目立たせるように、神の前ではすべてが明らかにされます。人間は神から離れてしまい、不完全なものとなってしまいました。
自分の至らなさがわかるために聖なる神を心から喜べなくなってしまいました。
「神があなたを愛している」と聞いても素直に受け止められず、神を「罪を指摘続けるうっとうしい存在」としてしか受け止められなくなってしまいました。
神が曇って見えるのは、神が愛を失ったからではなく、私たちの心の眼鏡が曇ってしまい、それを通して神を見るので愛ある方と見えなくなっているのです。

あなたの救い主

第三に、神は『あなたの救い主』です。
神から離れた人間を無碍に扱わず、造ったものとしての見捨てることなく、愛着を抱き続け、何とか修復したいと神は願っておられるのです。
そのために神は私たちを救おうとされました。次のようなことばあります。

父のふところにおられるひとり子の神が、神を解き明かされたのである。


何とも不思議なことばです。実は最初に考えた三つの「神とは…」ということは、比較的理解しやすいことなのです。
でも何が理解しがたいと言っても、神の本性にまさるものはありません。神ご自身は私たちの理解をはるかに超えているのです。
聖書にあれほど「神は唯一である」と書かれているのに、このことばだけを見れば父なる神と子どもなる神の、最低二人はいるみたいではありませんか。
ひとり子の神とは救い主イエスのことですが、聖書は十字架の上で殺されたイエスは神が人の姿をとられてこの地上に来られた方だと宣言しているのです。

波であり粒子でもある光

当時、地上にいた民族の中でもっとも「唯一の神」について教えられ、それを語り、命をかけてその考えを抱き続けたユダヤ人の中から「イエスは神だ」という人々が起こされたのです。
「神は光のような方」と先ほど触れましたが、光とはどのようなものでしょう?
理科の教科書を開くと、「光は波のようであり、同時に粒のようなものである」と書いています。
今では常識となっていますが、科学の分野で長い間激論が交わされてきた話題でした。
300年ほど前、有名なニュートンは「光は色のついた粒」すなわち粒子だといったのです。同じ頃ホイヘンスという学者は、光は波のように広がっているという「波動説」を主張したのです。
その後の実験によって一時期はニュートンは間違いと言われてきましたが、20世紀に入って有名なアインシュタインたちの活躍によって「光は波でもあり、同時に粒でもある」ということがわかったのです。
ということは今では常識になったことでも、わかったのはたかだか100年足らずということなのです。

不思議な神のご性質

聖書は最初に「神が光を造った」と書いています。その光は「波であり粒でもある」という二重性など、多くの不思議な性質をもっています。
あたかも神の不思議さを投影しているかのようです。この理解を超えた神が私たちに救いをもたらそうとされました。
唯一の神であると同時に父と子という立場を持つ神。父なる神が、子なる神イエス・キリストをこの地上に遣わし、人類の罪の身代わりとして裁きを受けてくださったとかたります。
そして、三日目死を突きやぶって復活されました。死人がよみがえるというのも信じがたいものですが、神の力、いや神のご性質を思うならばはるかに信じやすいものだ、と私は思います。

理解と信頼は別物

イエスを信じるものには「聖霊」と呼ばれる神の霊を助け主としていただく、とも聖書は語ります。この聖霊さえも聖書は神と呼んでいます。
ああ、これで神が三つになりました。いやそうではありません、依然神は唯一なのです。私たちの理解をはるかに超えています。
しかし、聖書が勧めているのは私たちがこれを完全に理解することではありません。到底理解できないからです。
勧められているのは「信頼・信仰」です。理解できなくても信頼することはできます。それが聖書に書かれているからです。
あなたが聖書に対する信頼に導かれ、救いを受け入れてくださることをお勧めいたします。


使用CDジャケット
末田和美:唯一の神

今日のみことば
わたしはあなたの神、主。イスラエルの聖なる者、あなたの救い主であるからだ。
わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。
(イザヤ43:3-4)