ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。
先日CNNのニュースで、びっくりするようなニュースが報じられていました。
アメリカのユタ州に住んでいる、ベン・ベルナップさんと妻のジャッキーさんは、両親から借りたお金を返すために、コツコツ貯金をしていたのです。
貯まった1000ドルを封筒に入れておいたのですが、週末にかけてこの現金入り封筒が消え、家じゅうを捜しまわる羽目に陥ったのです。
そのうち奥さんのジャッキーさんが、叫び声を上げました、「あった!」。
どこにあったのでしょう。なんとシュレッダーの中です。見るとそこには紙吹雪状態の1000ドルが、つまり日本円で11万円が、入っていたのです。
二人とも茫然として5分ほど、ただ無言でそれをかき回していたそうです。
いったいどうして、そんなことになったんでしょう。実は二人には2歳になる息子さんがいるのですが、彼は普段から母親がすることを見ては真似をしていたのです。
そしてお母さんがジャンクメールや、破棄したい重要書類をシュレッダーにかけるのを手伝ってくれていたのです。
ある日彼は封筒を見つけたんですね。そしていそいそと、それをシュレッダーにかけてしまったというわけです。
作者の元に戻す
しかしこの話には続きがあります。彼らは、アメリカ財務省の損傷紙幣交換局に問い合わせたところ、こま切れをもれなく送ると、新札にして返してくれるという回答を得たというのです。
自分たちの手では、もうどうにもならない紙クズ化したお札です。しかし発行元に送ると、新しくしてもらえるというのです。
どんなものでも、作者のもとに渡すなら、直してもらうことができるのです。
さて聖書は次のように語っています。
ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
ここから二つのポイントでお話し致しましょう。
あるべきところにあるべき
第一に聖書のことばによると、すべての人は新しくされる必要がある、というのです。
お金というものは所有者である人の手に握られて、初めて有効な使われ方をしますね。それが人の手を離れて、シュレッダーに入って行ったら、ズタズタにされて、何の役にも立たないものになってしまいます。
それと同じように、人間にもあるべきところがあるのです。それは神のみもとです。
ときどき海岸に鯨が打ち上げられることがありますが、みんな一生懸命海に戻そうとします。
そうでないと自分の体重によって、鯨は内臓が押しつぶされて死んでしまうからです。
海の中では浮力が働きますので、どんなに巨大な体であっても支障が出ません。
しかし海の中で自由に生きるように造られている鯨が、海から離れて陸に上がると、自分自身の重さが原因で、自分を殺してしまうのです。
海の中に生き、動き、存在する生き物が、海の中から出てしまうならば、いのちそのものから離れることになりますので、死に至ってしまうのです。
それと同じように、人は神の中で、生き、動き、存在するように造られました。
ところがこの創造主から離れてしまったがために、人は死ぬものとなったのです。
鯨だって、陸に上げられてすぐには死ぬことはありません。
しばらくの間は生きるでしょう、しかし数十分から一時間が限界です。人間も100歳、あるいは120歳くらいまで生きる人もいるでしょう。
しかし限界があるのです。人は皆、例外なしに死に至ります。そしてその原因は、いのちのルーツである神から離れているというところにあるのです。
井伏鱒二『山椒魚』
第二に神は、私たちを新しく造りたいと願っておられる。
さばきたいのではありません、救いたいのです。罰したいのではありません、赦したいのです。なぜでしょう、あなたの作り主であられるからです。私は先日、歌手のさだまさしさんが大作家井伏鱒二のお宅を訪問したエッセイを読み、とても感動したのです。井伏さんは、日本文学界最後の最高峰と言われる方です。その方のところに行って、さださんがどうしても聞きたいと思っていたことがあるというのです。
実は井伏さんのデビュー作は、山椒魚です。どんな内容でしょう。
ある時一匹の山椒魚が、川の洞穴を見つけて、そこでしばらく暮らしているうちに、体が成長して穴から出れなくなってしまいます。
そこに何かの間違いで、蛙が一匹穴の中に飛び込んできます。その時山椒魚は体をねじって穴をふさいでしまうのです。蛙が脱出できないように、意地悪するんですね。
狭い穴の中で、山椒魚と蛙は互いにののしりあいます。そして2年間、にらみ合いを続けるのです。
やがて蛙が「ふ―っ」とため息をつきます。それを聞いた山椒魚は、ここらで勘弁してやろうと思い、「おい、出て行っていいぞ」と声をかけるのです。
ところが蛙は力なく、「いや、俺はもうダメだ」って言うんですね。2年の間、体力を消耗し、もはや外へ出る力も無くなった。
やりすぎたと思った山椒魚は、しばらくの沈黙の後で、「今、何を考えているのか」と訊くのです。
すると蛙は、「今でも別におまえのことを怒っているわけではないのだ」と答え、そこで小説が終わるのです。
自分のせいで死んでいこうとしている蛙が、実は少しも恨みを抱いていないということを知ったとき、山椒魚はつくづく自分の罪深さにおののくのですが、いまさら後悔しても取り返しがつかない。何の解決もつかないままに、突然終わる小説なんです。
作者はあなたを愛しておられる
ところで井伏さんは、晩年90歳近くになってご自分の全集を出します。その第一巻に山椒魚が載っているのです。
ところがその山椒魚のラストシーンが、何と、書き換えられているのです。つまり、今、私が言ったような内容ではなくなっているのです。
山椒魚で文壇デビューし、絶賛された井伏さんが、どうして最晩年に原作内容を書き換えてしまったんでしょう。
同じ創作活動をするさだまさしさんは、どうしてもこのことを聞いておきたかったのです。
それに対して、井伏さんの答えは素朴でした。「だって、あれじゃ出れないじゃないか」。
いや出れないからこそ、山椒魚という作品に意味があるんじゃありませんか、と訊くと、「え、君、出れなくていいのか、出れないなんてかわいそうじゃないか」。
なんと井伏さんは、70年前に自分が作った架空の主人公が、未解決のまま死んでいくのを忍びなく、とうとう脱出のストーリーに変えたというのです。
あなたの作者である神は、井伏さん以上の方ですよ。あなたを愛していらっしゃるのです。あなたを古いままにしておきたくないのです。
それであなたの古い罪を、すべてキリストにおいて、処分してくださったのです。
もしあなたが、十字架で死に、三日目によみがえったキリストを救い主として受け入れるなら、あなたはキリストのうちにある人となるのです。
そしてキリストのうちにある人は、新しく造られた人なのです。救われるのです。永遠のいのちがあります。新しい人生が始まるのです。
どうぞあなたも、このイエス・キリストをご自分の救い主として信じてください。心からお勧めします。
(IIコリント5:17)