#1195 和解のための猶予期間

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。

さて、明治時代に日本が生んだ世界的な物理学者、寺田寅彦という方がいらっしゃいました。彼は熊本第五高等学校時代、二人の教師から大きな影響を受けるんですね。一人は物理学者の田丸卓郎という先生、もう一人は英語の先生で夏目漱石です。この二人の教師から大きな影響を受けた彼は、物理に進むか文学に進むかずいぶん迷うのですが、最終的に物理学者であると同時に随筆家になったんです。
彼が残した名言の一つに「健康な人には病気になる心配があるが、病人には回復する楽しみがある」というのがあります。私はそれを読んで思いました。「迷子には見いだされるという楽しみがある。罪人には赦されるという喜びがある」聖書は絶望の淵にある人間に望みを伝える神のことばです。
さて、ある時キリストは、頑迷なユダヤの指導者たちに対して次のように語られました。

あなたを訴える人と一緒に役人のところに行くときは、途中でその人と和解するように努めなさい。そうでないと、その人はあなたを裁判官のもとにひっぱって行き、裁判官はあなたを看守に引き渡し、看守はあなたを牢に投げ込みます。あなたに言います。最後の一レプタを支払うまで、そこから出ることは決してできません。

さて、これはキリストが、人生をたとえ話で説明しているところです。非常に危機感に満ちた人生観です。ここから三つのポイントでお話いたしましょう。

人生は有罪判決に向かう道のり

第一に人生は有罪確実の不利な裁判に向かう道のりであるということです。
あなたを訴える人とは神です。神はあなたと一緒に裁判に向かっているというのです。その裁判を受けると、あなたが刑罰を免れる可能性は万に一つもありません。
実は日本の刑事裁判では、検察に起訴されると99%有罪になります。なので弁護士は、起訴を回避することに全力を尽くしてるんですね。起訴されたら最後、まず有罪になるのは避けることができないからです。
ところでこの世界では、罪を犯しながら外国に逃げたり、権力を使ったりして罰を受けずに、のうのうと暮らしてる人もいるでしょう。した悪に見合う刑罰を、最後の最後まで免れる人もいるでしょう。しかし、どんな人もいつか死にます。そして、人は死んだ後に神のさばきの座に立つことが定まっているのです。死んだ後には、もはやチャンスはありません。ここに人生の厳粛さがあります。キリストはそれを伝えようとして人生を裁判に向かう人にたとえられたのです。

神は和解を望んでおられる

第二に、神の裁判がやってくるのは死んだ後のことです。生きている今の期間は、神と和解するために与えられているチャンスの時なんですね。キリストはおっしゃいました。「裁判所に行きつく途中の道のりの中で、その人と和解するように努めなさい」あなたの罪咎についてよくご存じの方は、訴える方であると同時に、和解を望んでおられる方でもあるのです。
昨年、八つの都道府県で連続強盗事件が多発しました。フィリピンに潜伏していた黒幕が、日本で実行犯の男たちを使って強盗殺人までさせていたのです。ところで、この犯罪の実行犯たちはどのようにして集められたのでしょう。SNSの闇バイトサイトなのです。この闇バイトというのは、犯罪に触れるような行為で報酬を得るバイトのことです。SNS上では日当100万円と書かれた求人広告が普通に出てるんですね。詳しく調べてみると「日当100万円のタタキの仕事です」とあるそうです。「タタキ」というのは「強盗」を意味する隠語です。強盗が犯罪だということぐらい誰だって分かるでしょう。にもかかわらず、このような悪質な犯罪に手を染める人たちには理由がある。
彼らは皆一つ共通点があるのです。ほぼ全員借金を背負ってるんですね。普通に働いても返せないような借金があるんです。つまり返済に追い詰められている人たちです。自分でどうにもならないことを、どうにかしようとして最悪の選択をするのです。
ところが、同じように借金を背負ってる人でも、犯罪に走らない人たちもいるんですね。こういう人たちはみな相談する人をもってるんです。助けを求める相手がいるとき、人は破滅的な選択をせずに済ませることができるのです。
神は正義の神ですから罪を憎まれます。しかし同時に、罪人をあわれむ神なのです。赦したいのです。死後の審判に行くまでの間、今生きている間に、和解を実現したいと願っておられます。では、いったいどのようにして和解できるのでしょう。

キリストによる無罪証明

それが三つ目のポイントです。神はご自分のひとり子、イエス・キリストをあなたの弁護士として与えてくださったのです。
ところで日本の裁判制度でも、起訴にならないようにするためにはいくつかの例があるんですね。一つは嫌疑不十分です。犯罪を犯した疑いはあるものの、決定的な証拠がない場合、これが理由で不起訴になるのです。二つ目は起訴猶予です。確実に罪を犯したというのは間違いないことですが、今回は起訴を見送ろうということです。いったいなぜ見送られるんでしょう。示談で話がついて、被害者が訴えないということが条件なんです。三つ目は真犯人が出てきて疑いが晴れた場合ですね。この場合は当然起訴されないわけです。
さて、キリストは神との和解のために、神が納得するだけの償いの代価を払ってくださいました。あなたの罪を赦して余りある、大きすぎる償いをあなたに代わって支払ってくださったのです。その償いの代価はキリストのいのちです。あなたに代わってあなたの罪の罰をすべて十字架の上で受けてくださったのです。なぜそこまでしてくださったんでしょう。あなたを愛しておられるからです。そして、キリストは十字架の上で確実に死に、三日目に復活されることで無罪確定の証明をしてくださったと言うのです。
先日、ある中途採用者の面接体験談がインターネットに載っておりました。順調に進んでいた面接でしたが、「あなたはこの業界での経験が何かありますか」と聞かれ焦ったそうです。そして正直に「申し訳ありません。初めてなんです。何の経験もありません」すると面接官は「弊社で経験を得られることを望みます。採用します」と言われたっていうんですね。順調に面接が進んだのではなく、いやあ経験がありません。そうですか、じゃあ無理ですね。と言われるかと思ったタイミングで、そのダメな理由が採用の理由となって、そして採用しますと言われたので驚いたというのです。嬉しかったでしょうね。
罪は本来さばきの理由です。しかし、その罪を見て、神はあわれみの思いでいっぱいになりました。神はいっそう人への愛をかき立てられるようにして、キリストを送ってくださったのです。罪が増し加わるところには、恵みもまた満ちあふれるのです。
どうぞあなたも、このキリストによる恵みを受け取って、イエス・キリストを救い主として信じてください。心からお勧めします。


使用CDジャケット
Migiwa:私を赦すために

今日のみことば
あなたを訴える人と一緒に役人のところに行くときは、途中でその人と和解するように努めなさい。そうでないと、その人はあなたを裁判官のもとにひっぱって行き、裁判官はあなたを看守に引き渡し、看守はあなたを牢に投げ込みます。あなたに言います。最後の一レプタを支払うまで、そこから出ることは決してできません。
(ルカ12:58-59)