ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。
先日『カエルの山登り』という寓話を読みました。ぜひ山に登りたいと思ったカエル10匹がふもとに集合するんですね。すると仲間のカエルたちが「そんなの無理だ、やめとけ」とヤジをとばすんです。しかし10匹の意志は固く、登り始めるのです。中腹まで来ると山ウサギが忠告します。「この山はすっごく高くて、僕らでも山頂は無理だ。やめた方がいいよ」それを聞いた5匹が脱落して下山するんですね。残り5匹が七合目まで行くと、今度は山リスが来ます。「ここからがますます険しくなるよ」それを聞いた2匹が下山します。残り3匹が八合目に来るとヤギが出てくるんですね。「今なら引き返せるぞ。そんなペースじゃあ、あと一か月以上かかるから」それで2匹が下山します。最後に残った1匹は時間はかかりましたが、とうとう山頂を極めて下山するのです。それを知ったほかのカエルたちは「なんてタフなやつなんだ。どうしてそんなにガッツがあるんだ」と褒めるのですが、褒められた当のカエルはきょとんとしてるんですね。耳が聴こえなかったのです。
世の中にはいろんな情報が飛び交っていますが、なかには聞かない方がよい情報もあるのです。
聖書の中に次のようなことばがあります。
「女が自分の乳飲み子を忘れるだろうか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとえ女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。見よ、わたしは手のひらにあなたを刻んだ。」
ここから三つのポイントでお話しましょう。
聞かなくてもいいメッセージは聞くな
第一に、聞かなくてもいいメッセージは聞くな、ということです。
聞かなくてもいいメッセージって何でしょう。あなたの存在を全否定するメッセージです。ふつう母親は自分がお腹を痛めて産んだ子のことを忘れません。大事にします。あわれみ深く接します。ふつうはそうです。しかし聖書は言うんです。たとい女が忘れても、つまり母親であるのに母親として当然持っているはずの母性愛が欠けているような女性がいないわけではないというのです。
元小学校の校長先生から教育カウンセラーに転身し、虐待を受けてきた多くの子どもたちのカウンセリングをしてきた作家に、青木和雄さんという方がおられます。彼の作品の中に『ハッピーバースデー』という著作があります。実の母親から毎日のように精神的虐待を受けてきた、あすかという少女の物語なのです。母親は出来の良い兄を溺愛しますが、何かと要領の悪いあすかをうまく愛することができないんですね。成長するにしたがって、母親が16歳の時に亡くなってしまったお姉さんに、娘がそっくりになっていくのです。実はこの姉は病弱だったために、両親の愛情はみんな姉に注がれ、そして自分は蔑ろにされてきたという気持ちが恨みとして残っている、それがこの母親だったんです。愛されないで育ったと思っているお母さんは、娘のあすかにもつらくあたるのです。そしてとうとう「あなたなんか産むんじゃなかった」という言葉を投げつけてしまうのです。その日を境に、あすかは声が出なくなってしまうのです。多くのカウンセリング現場で経験したことが、この小説の中に織り込まれているので、実に生々しい描写が続く本です。これを読んでいると、言葉の持つ破壊力について、考えずにはおれません。世の中には、聞くに値しないひどい言葉というのがあるのです。特に母親から「産むんじゃなかった」という言葉は自分の存在の全否定ですね。ショックを受けるのは当然のことです。もしあなたが同じような扱いを受けてこられた方であるならば、そういうのは聞くに値しないゴミの情報ですから、無視してください。ゴミって、大事にしますか。捨てるものではありませんか。あなたが耳にした言葉の中には、ゴミの言葉もあるのです。
聞くべきメッセージがある
第二に、聞くべきメッセージがあります。
それはあなたを存在させた本当の作者のことばです。あなたをこの世に送り出した方は創造主なる神です。たしかにあなたは人間の両親から生まれました。しかし、いのちを与えたのは親ではなく、神です。あなたは偶然に生まれたのではありません。アクシデントで生まれたのでもありません。たといあなたのご両親が望んでいなかったとしても、神はそうではありませんでした。神はあなたが生まれてくるのを心待ちにしておられたのです。あなたは運が良かったので生まれたのではありません。あなたが今生きているのは、神があなたを造り、生かしてこられたからです。神はあなたのために詳細なプランを立てて、あなたをお造りになられました。あなたの目の色、肌の色、生まれてくる国、文化、時代、そのすべては神の深い計画に基づくものであったのです。それは神のオリジナルな計画です。誰かと比べる必要のない、尊い、神とあなたの物語なのです。今までそんな話は聞いたことがなかったかもしれません。なにしろこの世界っていうのは、神から離ていますから。だから神抜きで人間の価値をはかろうとするんですね。しかし、この神から離れた結果は人間を不幸のどん底に陥れるものだったのです。神を認めないので、神に似せて造られた人間の価値がわからなくなってるからです。
神はあなたの救いのために行動される
第三に、神はあなたの救いと祝福のために行動してくださる方だということです。
「見よ、わたしは手のひらにあなたを刻んだ。」と聖書にありました。あなたのことをいつも思い出すためにメモ帳に名前を書いたのではなく、ご自分の手のひらに入れ墨を彫るように、あなたの名を書き込んだというのです。手のひらに傷を負うことで、あなたへの愛を明らかにしてくださったのです。
私は子どもの頃『シートン動物記』の『狼王ロボ』という本を読んで本当に感動の心が止まらなくなりました。牧場の経営者から狼退治を頼まれたシートンは、あらゆる知恵を尽くして罠にかけようとするのです。しかし狼のボスであるロボは、すべてその罠を見破ってしまうのです。ところがこの狼の群れの足あとをじっくり観察してみると、奇妙なことに気がつくのです。ふつう狼のボスは自分の前を他の狼が歩くことを許さないはずなのに、狼王ロボは例外的に特定の一匹にそれを許していたのです。それはロボの最愛の妻、ブランカと名付けられていた白い雌狼です。狼の世界は一夫一婦制なんですね。それでシートンはこのブランカを罠にかけて、その死体を引きずって家まで持っていくのです。ロボはこの死んだ妻の遺体を取り戻すために不用意に人間のところまで近づき、とうとう普段はしないミスを重ねて、罠にかかって死んでしまうのです。グループを連れてではありませんでした。たった一匹だけで死んだ妻の遺体を取り戻すために命を懸けたのです。その姿を見たシートンは敵であった狼に畏敬の念を抱くようになります。ロボの隣にブランカを寝かせた、この場面で物語は終わるんです。
私はこの話が苦しくなるほど好きです。胸が揺さぶられるのです。なぜなら、キリストを思い出すからです。キリストはあなたを神のもとに取り戻すためにこの世に来て、死んでくださった救い主です。しかも三日目に復活して今も生きておられる方なのです。どうぞ、あなたのためにいのちまで捨ててくださった救い主イエス・キリストを信じてください。心からお勧め致します。
自分の胎の子をあわれまないだろうか。
たとえ女たちが忘れても、
このわたしは、あなたを忘れない。
見よ、わたしは手のひらにあなたを刻んだ。
あなたの城壁は、いつもわたしの前にある。
(イザヤ49:15-16)