#1166 わたしの心だ。きよくなれ

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。尼川匡志です。

昔、人の心を読むことができたら便利だろうな、そんなことを考えたことがありました。でも、もし実現していたら、おそらく今より悲しみや苦しみが増えたに違いありません。それは人間の心の中の思いが、美しいものや、愛にあふれるものばかりではないからです。自分の心を覗けば、すぐに分かりますよね。人への悪口があり、卑怯な思いがあり、表面とは裏腹な考えを心の中にひそましています。
さて、そんな醜い心と知りながら、蔑むことも嫌うこともなく、愛をもって受け入れてくださる方、私たちが幸いな人生に入ることを、心から望んでくださる方がおられる、ということをあなたはご存じでしょうか。それはイエス・キリストです。今日はこのイエス・キリストの心について、考えてみたいんですね。

イエスに出会ったツァラアトに冒された人

今から二千年前のガリラヤ地方です。ある日、イエスは山から下りて来られました。周りには大勢の群衆が付き従っています。前方に人影らしいものがありました。何か分かりませんが、近づくにつれて分かってきました。ツァラアトに冒された人が、地にひれ伏しているんです。
群衆はそれが分かると立ちどまり罵声を浴びせました。その中をたったおひとり、イエスは群衆から離れ、その男に近づいて行かれたんです。彼の前で立ちどまり、身をかがめ、そして手を伸ばして彼に触れ、言われました。「わたしの心だきよくなれ」。男からツァラアトは消えました。イエスはさらに、だれにも何も話さないように気をつけなさい、ただ祭司に見せてそしてあなたのきよめのささげ物をしなさい、と付け加えられたんです。
今日、この記事からイエスの三つの心を考えたいんです。一つ目は、「わたしの心」とは何なのか。二つ目、だれにも話さないように、と言われたお心について。三つ目、ささげ物をしなさいと言われた心を考えてみたいんです。

わたしの心とは何か

一つ目、わたしの心とは何でしょうか。
当時、ツァラアトにかかれば、共同体から出て行かなければなりませんでした。家族を含め、すべての人との関係が断ち切られ、孤立してしまうんです。人生はめちゃくちゃになります。この人がツァラアトで何年苦しんでいたか分かりません。でも自分の力では解決のしようがないんです。そんなとき、イエスのことを聞きました。罵られるかもしれない、石を投げつけられるかもしれない。それでも彼はイエスを信じ、イエスの前に出る決心をしたんです。どんな思いでイエスを待っていたんでしょうか、山から大勢の人が下りてきました、談笑が聞こえてきます。彼の鼓動が激しくなり、恐れたと思います。群衆がツァラアトであるということを知ったようです。笑い声が罵声に変わって行きました。だれかが近づいてきます。イエスです。彼の前で立ちどまりました。次の瞬間、彼の全身に衝撃が走ったんです。
イエスの手がやさしく包み込むように触れたんです、何年も忘れていた感覚でした。そして、「わたしの心だ、きよくなれ」という声が聞こえてきました。「わたしの心だ」と言われたんです。だれからも顧みられず、居なくなっても誰も困らない、そのように思われているだろう自分に向かって、ツァラアトが癒されることを「わたしの心だ、わたしの喜びだ」と言ってくださったんです。私たちが苦しみから解放されることは、神の願いであり、イエスの心であるということを、この記事を通してあなたに伝えられているんです。

だれにも話さないように、と言われたお心

二つ目のこと、だれにも話さないように、と言われた心について考えます。
イエスはだれにも話さないように、と彼に言われました。それはイエスが医者として来たのではないからです。イエスの心の願いは、苦しみに縛られている人々を解放し、喜びの人生を与えることでした。病気は確かに人生の大きな苦しみの一つです。しかし病だけが人を苦しめているのではありません。この世界には無数の不条理や、理不尽な出来事、災害、人からのいじめや嫌がらせ、そして死の問題、数えればきりがないんです。それらがいつ誰に襲いかかり、その人の心を引き裂くのかが分からないんですね。イエスがこの世界に来た目的は、そのような悲しみの人生から、人々を解放することでした。そのためには、人間が持っている罪と死という最大の問題を解決しなければならないんです。イエスはそこに向かって進まれていました。ツァラアトを含む人間が持つすべての汚れを、「わたしの心だきよくなれ」ときよめるために来てくださったんです。ですから、どんな病気でも治るという噂だけが独り歩きすることを、この方は望まれていなかったんですね。

ささげ物をしなさいと言われた心

三つ目のことを考えます。ささげ物をしなさいと言われた心についてです。
罪は私たち人間を苦しめる原因ですが、それは罪というものが、いのちの主権者、万物の創造者である神から私たちを切り離す、仕切りになっているからです。ツァラアトという病は、ある意味で罪というものを、視覚的によく表す病気だと言われます。それは潜伏期間が長いことや、現れるまで周囲の人に全く気付かれないことや、表面に現れたときはすでに手遅れになっていること、人生を破壊してしまうこと、そして人間と神との関係を遮断することなどから、そのように言われたんですね。
さて、この人のツァラアトは消え、家族の待つ家に戻れるようになりました。しかし、イエスはそれだけにとどまってほしくなかったんです。彼に神との関係回復をすることを促されたんですね。それがささげ物をすることでした。私たちにとって神との関係が回復することが、すべての問題の解決の源になるんです。祝福に満ちた神とつながって行くこと、それが最大の祝福なんですね。ですからイエスは、彼にささげ物を促されました。神との関係回復を思い出すように、導かれたんですね。私たちの罪が除かれること、神との関係が回復し、幸いな人生を歩めるようになること、イエスはご自分の心としてそのことを願ってくださったのです。この方が私たちの救い主なんですね。
この方を信頼し、あなたもイエスの前に出る決心をしてください。心からお勧めいたします。


使用CDジャケット
国分友里恵:ガリラヤの不思議な人

今日のみことば
イエスは深くあわれみ、手を伸ばして彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ」と言われた。
(マルコ1:41)