#1204 驚くべき恵み

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。

私の大好きな作家にC.S.ルイスという人がいます。ある時彼の友人たちが、聖書の神と人間のつくった宗教の最大の違いは何だろうと議論していました。そこへルイスが後から入ってきてひと言こう言ったんですね。「そりゃあ、簡単だよ。恵みだよ」恵みとは受けるに値しない者に対する、神の一方的な愛の行動のことです。愛されるに値しない者への一方的な愛、あるいは呪われるべき者に対する無条件の愛を恵みと語るんですね。
さて、聖書はこのように語っています。

罪の報酬は死です。しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。

このことばの中に神の恵みが豊かに言い表されているように思うのです。そこで、ここから三つのポイントでお話しましょう。

神を畏れないという罪の価値観

第一に、神は正義の神です。罪に対してさばきを下す神です。この感覚を失ってしまう時、人は罪に対して無感覚になり暴走しますね。
遠藤周作の作品に『海と毒薬』というのがあります。戦時中の1945年、九州帝国大学医学部で米軍捕虜の人体実験が行われました。撃墜されたB29の生存者のうち8人が九大に連行され、人体実験の材料として生きたまま解剖されたのです。事実は関係者によって隠ぺい、否認されていましたが、最終的にはGHQの調査で明らかになってB級戦犯として、5人が絞首刑18人が懲役判決となりました。この事件をモチーフにした作品が『海と毒薬』という小説なんです。
この作品の中には一番こわいものは世間であって、神なんかこわくないという、そういう考えの人物がたくさん出てくるんです。世間にさえ知られなければ罪なんかこわくない、罰なんかない、バレなければ何をやっても大丈夫だと考える人たちが出てくるんです。人体実験のモルモットにされたのは米兵だけではありませんでした。助かる見込みのない患者が治療のためではなく、ただ新しい手術方法の実験台になるんですね。9割の確率で死んでしまう手術なのですが、病院の外では毎晩空襲で死んでいく日本人がたくさんいるんです。どうせいつかは死ぬんだから、もう死ぬことが近づいている人間を医学の進歩のために利用するのは、それは価値ある良いことなのだという論理で、人体実験を始めようとするんです。

死後にさばきを受ける

しかし、この小説の中で断固として人体実験や人権蹂躙に反対する人物が一人だけ出てくるんですね。それは日本人の医学部教授と国際結婚したドイツ人女性ヒルダという人です。ある時、助かる見込みのない患者が発作を起こすのです。ドクターは看護師にある種の安楽死の注射を命じます。看護師がまさに注射を打とうとしたその時、それを見ていたヒルダは彼女を突き飛ばして、大声で叫ぶんですね。「死ぬことは決まっていても、殺す権利は誰にもありませんよ。神さまがこわくないのですか。あなたは神さまの罰を信じないのですか」
ドイツ人のヒルダは聖書の神を信じていました。神という絶対的基準を畏れていました。ですから目の前でそれを踏みにじることを見過ごすことができなかったのです。この感覚が人間を正気に保つのです。神は罪に対して怒りを燃やす方です。罪の報酬は死です。報酬とは、受け取るべきものです。罪に対しては、死と死後のさばきを受けることが定まっていると言うんです。
しかし聖書は続きに、こうも書いています。「しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」本来、罰を受けるべき罪人に対して神は、神のひとり子イエス・キリストにある永遠の赦しを、私たちにプレゼントしてくださったと言うのです。

罪を犯した少年への母の愛

2014年、イランの北部のタールという町で、死刑執行がされることになっていました。19歳の少年が喧嘩で17歳の少年をナイフで殺害してしまったんです。裁判の結果、犯人のバラルは死刑が確定します。絞首刑です。イランでは椅子の上に立たせて、首にロープを結わえます。そして被害者の家族がその椅子を蹴り倒すんですね。しかもその刑は公開されるんです。大勢の人々がそれを見に来ています。そして、その中に犯人バラルの母親もいたんです。彼女は泣き続け、とうとう力がなくなり地面に突っ伏していました。
そこへ被害者の両親がやって来たのです。母親はマイクを持って言いました。「私は息子を亡くして以来、毎日が気が狂うようでした。本当に辛くて苦しくてたまりません」そう言ったかと思うと、椅子の上に立った犯人バラルの顔を一発平手打ちにしたのです。そして続けて言いました。「これで赦す」そして首からロープを外し、目隠しを取り、彼を自由にしてやったのです。イラン学生通信の記者がその様子を記録していました。そしてインタビューします。「なぜ赦すんですか?」すると彼女は言いました。「私のように息子を亡くして悲しみにくれる母親を増やしたくないのです」バラルの家族はこの母親のところに駆け寄り、泣きながら感謝していました。
私はその一部始終の写真を見て、本当に衝撃を受けました。母親はバラルのためというより、バラルの母親の憔悴した姿を見て、心が動いたのです。この母親の弱々しい姿を見た時、赦しの決断をせずにはおれなかったんです。

キリストが身代わりとなられた

神はあなたの罪をなぜ赦してくださるんでしょう。キリストが十字架の上であなたの罪を一身に背負い、極限まで苦しみ弱くなってくださったのです。キリストの身代わりのゆえに、あなたの罪は赦されます。しかも、神はあなたを赦すのは、キリストのゆえであると同時にあなたを愛して、そうしてくださるのです。あなたを赦すためにご自分のひとり子を打ち砕いてくださった方。そんなことをする親はこの世界にどこにいるでしょう。あり得ないことですね。でも、このあり得ない神の一方的なあわれみを、恵みと言うのです。キリストは確かに一度、死んでくださいました。そして確かによみがえられたのです。復活のキリストがあなたの救い主です。
どうぞこのキリストをご自分の救い主として、そして神からのプレゼントとして受け取ってください。
心からお勧めします。


使用CDジャケット
Lena Maria:Amazing Grace

今日のみことば
罪の報酬は死です。しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。
(ローマ人への手紙 6:23)