#1228 嘆きを踊りに変える救い主

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。三綿直人です。

さて、山形県の観光名所の一つに、立谷川の河川敷があります。山形県天童市を流れるこの川の河川敷には約3万株の芝桜が咲き、見頃の6月には6万人もの観光客が訪れ、芝桜の美しさに感動していると言うんです。しかし、以前そこは洗濯機や家具などが散らばる不法投棄の場所、ゴミで満ちた場所でした。
このゴミ捨て場であった河川敷を、花が満ち溢れる観光名所に変えた人が、田所さんというお爺さんです。田所さんは神奈川県の方ですが、娘さんが山形に嫁ぎ、その縁で山形が大好きになり、娘が嫁いですぐに山形に家を衝動買いで買ったって言うんですね。そしてお孫さんを連れて立谷川に行こうとしたところ、その河川敷が不法投棄のゴミでひどい状態だったんだそうです。愛するお孫さんを安全で綺麗な立谷川で遊ばせてあげたいという思いで、彼は鋤一本抱えて一人でゴミを処分し、ゴミが無くなっただけではまた捨てられてしまうので、芝桜を植え始めたと言うんです。
2006年に田所さんたった一人で始まったこの活動は、彼がガンで他界した2013年の後も、思いに共鳴したボランティア団体「立谷川の花さかじいさん」が引き継ぎ、今、河川敷は花の桃源郷と言われるほどになっているんです。かつての不法投棄の場所は、芝桜が咲く河原となりました。ゴミ置き場は観光名所へと変えられたんです。それは、たった一人の人から始まったのでした。
さて、聖書の福音とは何でしょう。それは、悲しみと痛みに満ちたこの世界を、喜びと感動に変えることのできる救い主がおられる、ということです。その救い主こそ、イエス・キリストなのです。
今日の聖書の箇所をお読みしましょう。

あなたは私のために
嘆きを踊りに変えてくださいました。
私の粗布を解き
喜びをまとわせてくださいました。

この聖書の箇所から、3つのポイントでお話ししましょう。

救いの方向性

まず、1つ目は、「救いの方向性」についてです。
聖書の福音と人間の宗教の違いは、何でしょう。ズバリ、「救いの方向性」なんです。先ほどお読みした聖書のことばは、「あなたは私のために」と書いていました。つまり聖書は、神が人のために救いを用意したという救いの方向性を教えています。しかし人間が作った宗教は、人間が神のために何をするのか、という方向性です。ですから、世界にさまざまな宗教がありますが、それらの宗教の共通点は、救いが人間側の努力や善行や献身にかかっている、ということです。この点について聖書の福音と人間の作った宗教は決定的に違うんです。田所さんがお孫さんのために努力したように、救い主が私たちのために努力してくださったというのが福音です。田所さんのお孫さんが、おじいちゃんの懸命な作業によって美しい河川敷、芝桜に満ちた美しい風景を楽しむことができるように、救い主があなたのために努力してくれたことによって、あなたの悲しみに満ちた人生は喜びと祝福に変えられるんです。
ぜひ、覚えてください。聖書は救い主があなたのために救いを用意した、という方向性です。あなたが神のために何をしなければならないのか、という人間が作った宗教の方向性とは全然違うのです。

嘆きの原因

2つ目に、「嘆きの原因」について考えてみましょう。
私たちのこの世界には、悲しいことですが嘆きがたくさんあります。健康問題、経済問題、人間関係の問題、戦争、飢饉、愛する人との死別などなど。このような嘆きの原因は何でしょう。聖書はズバリ、「人間の罪」だと教えているんです。河川敷はそもそも綺麗な場所でした。しかし、人間がゴミを捨てて汚れた危険な場所になってしまったんです。この世界は、神によって美しく造られました。しかし、神から離れた人間が、今もこの世界を汚し、嘆きで満ちた世界になってしまっているのです。
先日読んだ本で、寄生虫ロイコクロリディウムについて知りました。この寄生虫は、幼虫の時カタツムリに寄生し、カタツムリをコントロールするんですね。カタツムリは本来暗いところを好みます。しかしロイコクロリディウムに寄生されたカタツムリは、明るいところを好むようになるんです。しかも触覚が緑や赤に変色し、空を飛んでいる鳥に見つけられやすくなって、捕食されやすくなるんですね。鳥にカタツムリを食べさせたロイコクロリディウムは、今度は鳥に寄生し、鳥の体内で成虫となります。そして、成虫となったロイコクロリディウムは鳥の体内に卵を産むんです。そしてその卵は、鳥の糞と共に地に落ち、その糞をまたカタツムリが食べ、カタツムリの体内で幼虫になり、カタツムリがコントロールされてまた鳥に食べられるというんです。すごいですよね。
私は、この寄生虫ロイコクロリディウムの話を読んで、人間の罪に似ているなぁと思いました。聖書は、私たち人間の内側に罪が住み着いていて、善を行いたいと思っていても、悪を行ってしまうのだと教えているんです。罪を犯したから罪人なのではなく、生まれながらに罪が寄生しているので、人は罪を犯すんです。私たちは何が良いことか、知っています。しかし、その良いことではなく、悪いことを選択してしまうんですね。
あなたは思い当たるところありませんか?愛することは素晴らしいことだとわかってますが、妬みや憎しみが湧いてきます。平和は素晴らしいとわかっていても、自分が困った状態であれば争ってしまうのです。この世界が嘆きで満ちているのは、他ならぬ私自身の罪、あなたの罪が原因だと聖書は教えているんです。

嘆きを踊りに変える救い主

3つ目のポイントでお話を結びましょう。
「嘆きを踊りに変える救い主」がおられるということです。イエス・キリストがこの世界に来られたのは、私たちの嘆きの原因である罪を取り除き、私たちの心に平安と喜びという花を咲かせるためです。
田所さんが不法投棄のゴミを取り除いたように、キリストは、私たちの罪と悪を取り除くために、十字架にかかられました。そして、罪と死を滅ぼし、この世界を再び神が創造された美しさを取り戻すようにしてくださったのです。キリストは死んで3日目に復活し、弟子たちに現れました。弟子たちはこの喜びと平安をもってキリストの思いを受け継ぎ、この世界の花さかじいさんとして生きたのです。そのムーブメントは、今もキリストを信じるクリスチャンたちに引き継がれています。
聖書は、嘆きの原因である罪を教えるだけでなく、その罪を取り除く救い主について教え希望を伝えているのです。このイエス・キリストによって、だれでも人生の嘆きは踊りに変えられます。
あなたもぜひ、この救い主をお知りください。そして、このイエス・キリストを信じ、あなたの人生の嘆きが踊りに変えられることを経験していただきたいと思います。心からお勧めします。


使用CDジャケット
その翼:向日かおり

今日のみことば
あなたは私のために
嘆きを踊りに変えてくださいました。
私の粗布を解き
喜びをまとわせてくださいました。
(詩篇30:11)