#1002 言語は神の創造を立証する

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。

さて、昨年の子供の名前ランキングを見ると、男の子は「ハルト」「ユウト」「ソウタ」がベスト3です。
女の子は「ユイ」「アカリ」「ハナ」がベスト3です。
そして5月1日以降は令和にちなんだ名前が登場するのではないかと、ある新聞に載っていました。名付けるのは親の特権ですね。
ところで、生物界では新種が発見されると名前を付けます。その場合、思い付きでは駄目なのです。分類学の手続きに従って名前が決まるのです。
例えば人間の場合、「真核生物 動物界 脊索動物門 哺乳綱 霊長目 ヒト科 ヒト属」に分類され、学名は「ホモ・サピエンス・サピエンス」です。
意味は「知恵のある、人である人」という意味なんです。
大変長ったらしい分類名になりますが、でたらめに名づけると分類にならないんですね。
実は生物ごとに仕分けができるような名付けというのは、深い洞察と幅広い知識なしにはとても出来ないことなのです。
そして聖書によると、人類初の生物分類命名者は最初の人アダムであったと書いてあるんです。聖書にはこう書いてあります。

人はすべての家畜、空の鳥、すべての野の獣に名をつけた。しかしアダムには、ふさわしい助け手が見つからなかった。

アダムは言語を操ることができた

さて、ここで一つはっきり分かることがあります。アダムは動物に名前を付けることが出来た、つまり彼は言語を操ることが出来たのです。
神によって造られた人間は、初めから言語を使いこなす能力を持つものとして創造されたというのです。
今世界には色んな文明、色んな文化があって、先進国もあれば未開の地に住む人々もいるでしょう。
ある人々は服というものを持たずに生活しています。また別の人々は貨幣というものを持たない文化の人たちがいます。
しかし、世界中どこを見渡しても言葉を持たない人々はいないのです。
そして、この言語というものに注目すると、神による創造と聖書の真実を確信せざるを得なくなるのです。と言うのは進化論ではこの言語獲得のプロセスをどうやっても説明がつかないからです。
進化論によると、言葉を持たない動物から言葉を持つ人間に変化していったのは、大脳の発達によって徐々に言葉が発明され、紡がれていったということになります。
はじめは動物たちがするような奇声や、うなり声や、吠えたりしていたのが、少しずつ言葉を発音するようになり、やがてそれが文法というルールを持った言語に発展していったという訳ですね。

先天的に言語を獲得する能力がある

ところが、言語学者の間ではそれは概ね否定されています。
と言うのは、人が言葉を話せるのは、人の脳の構造が根本的に動物と異なっていて、人間の脳には言語を獲得する能力が先天的に備わっているからだと言うのです。
鳥には先天的に飛ぶ能力が備わっていますので、飛んでいる親鳥を見たときに、やがて真似をして飛べるようになります。しかし、飛ぶ能力のない生物が飛ぶ生物を見ても飛べるようにはなりません。
そもそも飛ぶ能力が備わっていないからです。
それと同じように、言語構築能力を持たない動物には、何万時間人間の言葉を聞かせても話せるようにはならないのです。
人が話せるようになるのは、人間の大脳のブローカ野という部分に、世界に現存するあらゆる言語を起動できる能力が初めから備わっているからなのです。

ひとりでに話せるようにはならない

第二に、人間として生まれたからと言ってひとりでに話せるようになる訳ではありません。
話せるようになるためには、言語を話せる親から口移しで聞かされる必要があるのです。
幼いころに人間社会から隔離されて育った狼少女たちは、狼と同じようにうなり声をあげることしかできません。
それは彼女たちに人間の言葉でアプローチする親がいなかったからです。
能力はあっても、その能力に言語というアプリを提供する人がいない限り、言葉をマスターすることは出来ないのです。

人から教わらなければ言語は習得できない

第三に、人が言葉をマスターするのには臨界期という期間があると言うのです。
ある年齢を越えてしまうと人は言葉を取り込むことが出来なくなるのです。
言葉をマスターするには年齢的限界時点があると言うのです。それはおよそ3歳と言われています。三つ子の魂百までとはよく言ったものです。
しかもこの言葉の伝授は人間のきずなが成立する中でないと働かないと言われているのです。
アメリカのワシントン大学の脳言語学者パトリシア・クールという教授はある実験をしました。アメリカの幼児に台湾語を聞かせる実験です。
台湾の人に先生役になってもらい、絵本を使って幼児に語りかけてもらうのです。
幼児の脳は台湾語に反応し、第二言語習得の準備を始めます。脳の中で大人の言葉のデータを集め、分類し始めるのです。言葉を統計処理するんですね。
ところで、この同じ絵本をDVDなど機械を使った伝達方法で試してみると、学習反応が起こらないということが分かったんです。
つまり幼児期の母語習得は人間関係の中でないと起こらないのです。

進化では説明ができない

進化論では、ある時点で猿に近い生物が人間に変わったという仮説に立ちます。しかし、サルと人間では脳の基本構造がまるで違うのです。
言語を全く習得できない生き物が、突如として言語習得能力を先天的に持つ人間になるというのは、あまりにも大きな隔たりを一足飛びに飛び越えて行くということで考えにくいことです。
仮にそのような進化が万一起こったとしても、人は言語を話せる親に育てられない限り言葉をマスターすることは不可能なのです。
人が言葉を話せるのは、人の先祖が言葉を話せたからです。言葉を持たない世代は、言葉を使える世代を生み出すことが出来ないのです。
つまり人の先祖は人なのです。そして、その最初の人間、究極のご先祖、人類のルーツであるアダムは神が創造した作品なのです。
ある人はキリストを信じると、ご先祖に申し訳ないと考える方がいらっしゃいますが、あなたがご自分のご先祖を大事にしたいと思うなら、最初のご先祖であるダムとエバを造られた神を崇めることが良いのではないでしょうか。
創造主を信じるということは、ご先祖を悲しませるどころか、ご先祖を喜ばせる事になるのです。
どうぞ聖書の語る創造主なる神様を信じてください。すべてはここから始まるのです。心からお勧めいたします。


使用CDジャケット
渕野頌子:信じ続けて

今日のみことば
人はすべての家畜、空の鳥、すべての野の獣に名をつけた。しかしアダムには、ふさわしい助け手が見つからなかった。
(創世記2:20)