ごきげんいかがですか。那須清志です。
1941年12月8日は、かつて日本軍が真珠湾を攻撃した日です。私は福音を伝えるためにハワイに数度訪れていますが、先日訪れた際に「航空博物館」を見学しました。そこには多くの米軍軍用機だけでなく、日本のゼロ戦や真珠湾攻撃に使われた日本の爆撃機の一部も展示されています。日本人ガイドさんに「アメリカでは大変有名なヒーローたち」について聞きました。それはB-25爆撃機16機で日本の本土を空爆したパイロットたちです。陸軍の爆撃機を無理やり空母に載せ、日本に近づいて発進。もともと空母用ではないので、一旦飛び立ち任務を終えても、空母に戻ることはできません。そのまま中国大陸に向って着陸できる陸地まで進みます。燃料もぎりぎりなので、いざとなったらみなパラシュートで脱出し、機体はそのまま破棄するという命がけの戦略でした。隊長の名前からドーリットル空襲と言いますが、日本の被害はそう大きくなかったのですが、真珠湾攻撃成功に喜ぶ日本軍は心理的なダメ―ジを受け、その後の戦略の練り直しを迫られました。彼らはアメリカ国民にとっては偉大なヒーローとなったのです。一方、日本では真珠湾攻撃に参加したものたちは日本人たちにとってヒーローとなりました。
ヒーローと言われる人たちも、ある人たちから見れば憎い敵となります。すべての人にとってヒーローとなるのは簡単なことではありません。戦争については、戦争そのものが好きな人は多くはないと思います。大抵の人は戦争を望みませんが、愛する者を守るため、力で蹂躙してくるものに対して剣をあげることが繰り返し起こりました。人間世界の悲しい現実を考えさせられます。
今日は、福音を通じて真のヒーローについて三つのポイントで考えていきましょう。
聖書が語る人間の現状
まず、聖書が語る人間の現状です。人間は自分たちを造られた神から離れることによって歪んだ、不完全な状態に陥ったと聖書は語ります。次のように表現しています。
彼らの足は血を流すのに速く、彼らの道には破壊と悲惨がある。彼らは平和の道を知らない。
私たちは平和を願っても、平和を求めてもなかなか作りだすことができません。使う武器は時代によって大きく変わっていきますが、戦いにいたる人間の思いは変わりません。国家間という大規模なものでなくても、身近にいる人間同士でも、互いにいたわり合い、愛し合うことが難しいのではないでしょうか。人間関係に悩んでいる人が大勢います。私たちの問題のほとんどは人間関係から出てくると思います。または自分自身についても問題を抱えます。理想の自分と現実の自分との違い、自分をどうしても受け入れられないなど。自分自身との関係という感じでしょうか。周りの人は造り主から離れた不完全な人間です。同時にあなたも不完全な人間です。自分の状態も正しく判断できず、問題解決の糸口も見いだせなくなっています。愛し合えない人間と平和を保てない国家と、問題の根源は同じであるというのです。これが、聖書が語る現在の世界の状況、あなたの現状です。
神がとられた問題解決の方法
第二に、この問題解決のために神がとられた方法を考えます。それは奇想天外なもので、人類の救いのために、創造主なる神がひとり子なるイエスをこの地上に送るというものでした。それも全く無防備の赤ちゃんの姿で来られたのです。それをお祝いするのがクリスマスです。イエスの誕生は全世界いたるところで祝われ、まさに時代を超えたヒーローとなっています。奇跡を行い大きな力を持っていることを示しながら、人を懲らしめるためにそれを使うことはありませんでした。力は自分が救い主であることを証明するためだけに使い、人々に仕え、愛し、人々の病や弱さを背負っていかれました。そして、最後は十字架の上でヒーローらしからぬ惨めな死を遂げます。しかし、それは人間のための身代わりの死でした。神は悪を見逃せない正義の審判者です。いずれこの地上は神のさばきに服すると語ります。しかし、その前に神はまず救い主を送ってくださいました。イエスの死は普通の人の死と同じではありません。人類の身代わりの死であり、その働きが完成すれば、神はイエスを死の中から新しいいのちを与え地上に戻されたのです。誰もしたことのない死からの復活を遂げたイエス。まさに、時代を超えたヒーローとされたのです。
救い主を受け入れることで変えられる
第三に、救い主を受け入れることで人は変えられるということです。復活して今も生きておられるイエスの力によって、人間の努力ではできないようなことが実際に起こってきました。
ドーリットル空襲に参加した軍人たちの中に、日本が支配している地域に不時着し、日本軍の捕虜になったデシェザーという人がいます。厳しい取り扱い受けていたのですが、彼は収容所の中で聖書を読み、救い主イエスの生涯について深く考えさせられました。特に、肉体の極限状態にあった十字架の上でのイエスの祈り「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか自分で分からないのです。」ということばに打たれました。これは自分を十字架に追いやったものたちのためだけでなく、全人類のための祈りでもありました。イエスは人間のすべての罪を負い、人々の身代わりにさばかれたのです。それが、神が平和をもたらす方法でした。
次のように書かれています。
実にキリストは、私たちがまだ弱かったころ、定められた時に、不敬虔な者たちのために死んでくださいました。正しい人のためであっても、死ぬ人はほとんどいません。善良な人のためなら、進んで死ぬ人がいるかもしれません。しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。
デシェザーはこの神の愛を教えられ、自分の罪のために死んでくださったイエスを受け入れます。そして、自分の受けた愛をかつて敵であった日本人に対しても向けたくなったのです。彼は、戦後、日本へ宣教師となって訪れます。あるとき、東京の渋谷で配っていた福音のパンフレットを受け取った人が、デシェザーの証しを聞いて感銘を受けました。そして、クリスチャンとなり、その後、アメリカ全土でイエスの赦しを語っていきました。その人こそ、真珠湾攻撃のときに、作戦成功の電報「トラ・トラ・トラ」を打電した淵田美津雄なのです。かつてはヒーローともてはやされ、敗戦後は公職を追放された淵田さんは本当のヒーローを見出しました。武器ではなく、愛の力によって真の平和をもたらそうとされたイエスの愛を残りの生涯で語っていったのです。
あなたもぜひ、この福音を信じ、神の愛を実際の生活の中で味わってください。こころからおすすめいたします。
正しい人のためであっても、死ぬ人はほとんどいません。善良な人のためなら、進んで死ぬ人がいるかもしれません。
しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。
(ローマ5:6-8)