ごきげんいかがですか。尼川匡志です。
私が住んでいる宮崎の隣、鹿児島県の歴史上の有名人と言えば、何といっても西郷さんでしょう。その西郷さんの座右の銘に「敬天愛人」があります。実はこの「敬天愛人」、西郷さんのオリジナルではありません。いくつかの説があるんですが、中村正直氏の西国立志編の中からの引用であって、聖書に由来するという説があるんです。その聖書の箇所から今日は考えてみたいと思います。ある時、律法の専門家がイエスのところに来て質問しました。
「先生、律法の中でどの戒めが一番重要ですか。」イエスは彼に言われた。「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』これが重要な第一の戒めです。『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』という第二の戒めも、それと同じように重要です。」
そしてこれが、聖書全体を要約していると言われたんですね。この二つの戒め、「神を愛し、人を愛する」を四文字熟語にしたものが「敬天愛人」だと言うんですね。さて今日は私たちにとって大切な「愛する」ということを考えてみたいんです。三つ考えます。まず一つ目、隣人を愛するということ。二つ目、自分を正しく愛するということ。そして三つ目、神を愛するということです。
隣人を愛するということ
それでは一つ目、隣人を愛するということについてです。先ほどのイエスのことばに「隣人を自分自身のように愛しなさい」とありました。あなたは隣人を愛しておられますか。聖書が隣人という時、ただ身近な人の意味ではありません。自分の近くで問題や迷惑行為を行い、時にあなたに悪口を言ったり、傷つけるような存在のことなんですね。イエスはその人を愛しなさいと言われたんです。そう聞くとね、「無理です」と思いますよね。愛するどころか憎しみさえ感じるかもしれません。少し視点を変えて考えてみたいんです。人を愛して生きている人と、人を憎んで生きている人、どちらが幸せだと思われますか。人を憎めばね当然周りに敵が増えますよね。憎んでいる人から好意を持たれるということはまずないからです。そして、人を愛するならば逆に味方が多くなります。つまり人を愛している人の方が幸せに生きることができると言えそうなんです。隣人を愛するということは自分自身が幸せに生きることと無関係ではありません。ただ嫌な人の顔を思い浮かべてしまうとね、どうしても愛せないという思いが私たちの中に出てくるんです。さて、出来るか出来ないかは別にしまして、人を愛する人生と、人を憎む人生ならあなたはどちらを選択されますか。私は人を愛する人生が良いと思いますね。イエスが言われた「隣人を自分自身のように愛しなさい」とは私たちが幸せな人生を歩んでいくための入口だといえそうです。ただそれを自分の努力や力で行おうとすると難しいんですね。
自分を正しく愛すること
ではそのために必要なこととは何でしょうか。それが二つ目、自分を正しく愛することなんです。「隣人を自分のように愛しなさい」ということばをもう一度考えてみます。隣人を愛することが、私の人生の幸せの入り口だというふうに言いました。そして隣人を愛するための入り口が、実は自分を正しく愛することなんですね。あなたは自分を正しく愛せていますか。隣人を愛することは出来ないけれども、自分なら愛することができるよと答えられると思うんです。しかし、案外自分自身を正しく愛せてる人は少ないんではないでしょうか。例えば、あなたは自分の声が好きですか。顔はどうでしょう。病気がちな弱い体はどうですか。引っ込み思案な性格や優柔不断で人の顔色を見てしまう性格はどうですか。記憶力が悪く、運動センスが乏しく、能力にかけている自分に嫌気がさしたりしませんか。あなたを産んだ両親は好きですか。出身校にコンプレックスはありませんか。人と比較して落ち込んだことはないでしょうか。これらは努力ではほとんど変えることは出来ませんよね。あなたはその自分をありのまま受け入れることができますか。愛していますか。隠してはいないですか。そう考えてみると、自分の嫌なところがたくさん見えてきます。なかなかありのままの自分を受け入れられないことに気が付くのではないでしょうか。私は私のままで良いと思うことは実は簡単ではないんですね。自分を大切にできない人は他人を大切にできません。同じように、自分をありのまま愛せない人は他人をありのまま愛することは難しいということなんです。そして、他人を愛せないなら幸せな人生を歩む入り口には立てない。つまり自分を正しく愛することはとても大切なことだと言うことができるんですね。
神を愛すること
三つ目、神を愛することです。では自分を正しく愛するために必要なことは何でしょうか。それが神を愛すること。もう少し詳しく言えば、私を私として変わらない愛で愛してくださる神に目を向け、その神を愛することだというんです。聖書が語る神は、私を私としてこの世界に生み出した創造主のことなんですね。その神が、「私の目にはあなたは高価で尊い。私はあなたを愛している」と言われるんです。このメッセージを聞くことはとても大切です。私がありのままの私でよいという根拠は、私を生み出し、生かしておられる神が保証されているからなんです。この世は、私のできることや、持っていること、外見で価値を決めます。しかし、創造主は、私の存在そのものに価値を見出してくださるんです。だから私は私のままでいいということになるんですね。この神のメッセージを受け取るために必要なことが、神を愛することです。なぜなら自分が愛する人の言葉と、どうでもよい人の言葉であるならば、どちらが心に響きますか。愛する人の言葉ですよね。神を愛する時、神のメッセージが私たちの心に響くんです。だから自分を正しく愛せるようになるんですね。神を信じることは宗教行為ではありません。自分を正しく愛することの始まりです。それが隣人を愛する第一歩であり、幸せな人生の入り口に立つことなんです。神を愛することはすべてのスタートです。ぜひこの神を信じてください。心からお勧めしたいと思います。
これが、重要な第一の戒めです。
『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』という第二の戒めも、それと同じように重要です。
(マタイ22:37-39)