#1206 価値ある救いが無償な理由

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。

さて、星新一さんの短編作品に『おーい でてこーい』っていうのがあります。ある時、台風が去った後、町の真ん中に大きな穴ができるんです。穴のまわりに集まった人達の一人が「おーい、でてこ―い」と言いますが、こだますら返ってきません。そのうち一人の少年が石を投げ込みましたが、全く音がしません。いろんな科学者がやって来て穴の底を調べようとするのですが、地球の中心に繋がってるのかもしれないくらい深いんです。そこで人々はここには要らない物、汚い物、ゴミや瓦礫やそのような不用品をどんどんどんどん放り込むようになるのです。そのため町も、周辺も、また世界もどんどん綺麗になっていくんですね。というのは、世界中のゴミがこの穴に放り込まれて、どこにも見えなくなるからです。ところがある時、ビルの屋上にいた人が上から声を聞くんです。「おーい、でてこーい」気のせいかなと思ってると、上から石が落ちて来たという小説です。
いやぁ、恐ろしいですね。「人が捨てた物は無くなった訳ではなく、最後は丸々戻ってくるぜ」という、そういう意味の本なんです。これは、聖書のメッセージにつながるところがあると思います。人が一生の間に犯した罪はすべて記録が残っていて、たとえ本人が忘れていたとしても、人が神の前に立つ時に全部戻ってきて並べられるのです。この罪を完全に消すことができたらどんなに良いでしょう。聖書は罪を完全に消し去るキリストについて語っています。ご紹介しましょう。

すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。

ここから3つのポイントでお話し致しましょう。

罪には必ず裁きが伴う

第1に、罪には必ず裁きという結果が伴うということです。今年の2月、アメリカのオレゴン州で28歳の男性が裁判を受けました。二件の傷害事件と一件の殺人の罪です。法廷に入ると規則に則って手錠と足かせを解かれました。ところが、ガードマンの注意がそれたその一瞬をついて彼は猛然とダッシュし、なんと裁判所から脱走することに成功したのです。しかし2時間後、彼は市民の通報によって他人のアパートに潜伏しているところを見つかり、そして再逮捕となったのです。裁判は一からやり直しです。但し、今度の裁判は従来の罪に加えて、脱走と不法侵入の罪が付け加えられた裁判となるのです。彼はどうして逃げたんでしょう。裁きという嫌なものから逃れたかったからです。しかし、罪を犯した人間が裁きから逃れることはできません。逃れようともがけばもがくほど、ますます事態は悪化していくのです。

キリストがあなたの罪を解決された

しかし、人が自分の力でどうしようもできないことを、神は代わりに解決してくださいました。それが第2のポイントです。救い主イエス・キリストがあなたの罪をすべて拾い上げて、永久の処分をしてくださいました。
私は先日、ゴミ収集作業員として働くお笑い芸人 滝沢秀一さんという方の本を読み、大変考えさせられました。彼は芸人としての収入だけでは食べていくことができずにゴミ収集会社に就職するのです。そして兼業しながら芸人を続けていたんですね。しかし、このゴミ収集を通して世の中のことや世界の成り立ちや、果ては人生についてまで深く深く考えるようになられたのです。ところで、このゴミ収集のお仕事というのは本当に体力勝負で、初仕事の時、朝ごはんをろくに食べないで作業していたら、エネルギー不足で泡を吹いて倒れそうになったのだそうです。それからは朝起きると、まずレトルトカレーを大皿に山盛り二杯です。それでも全然太らないというんですね。それぐらいに重労働なんです。ある時、可燃ゴミの中に割れたガラスが混じっていました。掴んだ瞬間に血が手から吹き出したそうです。また、いつもは無口なベテラン清掃員のおじさんが大声で「触るなーっ!」とダッシュで止めに入って来られたことがあったそうです。その時、滝沢さんがまさに掴もうとしていた袋の中には、使用済みの注射器がびっしり入っていたのです。そこは病院の地区ではなく普通の住宅街です。一体、何にこの注射器使ったんでしょう。怖い話ですね。人が生きていくと必ずゴミが出ます。同じように人が生きていくと必ず罪というゴミが出るのです。人の中に罪の性質があるからです。このゴミをなくすためには、ゴミを運び去ってくれる人が必要であるように、私たちの罪を永久になくすためには、罪を永遠の彼方に運び、焼き尽くしてくださる方がどうしても必要なのです。キリストはあなたの罪を永久処分するために来てくださったのです。全く罪のない方が私たちの罪を背負って十字架にかかり、罪の結果を引き受けてくださったのです。そして、このキリストによる罪の償いが神の前に有効であることを立証するために、キリストは死後3日目に復活してくださいました。

罪の赦しは無償で与えられる

第3に、このキリストの犠牲による罪の赦しは価なしに、つまり無償で、無料で、すべての信じる人に与えられるということです。ところで、車を運転なさる方はシートベルトの着用が義務付けられています。このシートベルトは現在、世界中で同じ三点式のタイプのシートベルトが使われているのです。これを発明したのはボルボのニルス・ボーリンという技術者です。ニルスさんがこのタイプのシートベルトを発明するまでは、腰にベルトを巻き付けるような形の二点式でした。しかし、これでは軽い衝突でも上半身が前に飛び出し、多くの人々の死因や、あるいは助かったとしても、むちうちの大きな原因となっていました。ところが三点式にすると、自由度を確保しながら、安全度が劇的に上がるということが実験で分かったんですね。ボルボはこのシートベルトが世界中に広まるならば、自動車事故で命を落とす人は激減するだろうと判断しました。そこで一切の特許申請をしないと決めたのです。つまり、どの自動車メーカーも無料でこの三点式シートベルトを取り入れることができるようにしたのです。無償であるのはこのシートベルトに価値がないからではありません。価値がありすぎるので無償にして、誰もがこの恩恵にあずかれるようにしたのです。さて、キリストの福音は無償のものです。それは、あまりにも価値がある救いであるからです。私たちの側に求められていることは一つだけです。それは信じることです。自分の救い主として死んでくださったキリスト、墓に葬られたキリスト、いや3日目によみがえられたキリストを救い主として信じるなら、あなたは神の前に完全に罪赦された者とみなされるんです。
ぜひ、あなたもイエス・キリストをお信じになってください。心からお勧めします。


使用CDジャケット
Migiwa:十字架の上で

今日のみことば
すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。
(ローマ3:23-24)