#1098 あなたをアシストする神

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。

さて、昨年はコロナウイルスが世界中に蔓延して大変な年でした。同時にアフリカではサバクトビバッタが大量に発生して、一年かけて育ててきた作物が全滅するという村が続出したんですね。何しろこのイナゴの大群の通り過ぎた後は、本当に何も残らないのだそうです。
本来大収穫が約束されていた畑という畑には、力尽きたイナゴの死骸が残っています。ひどいところにはくぼみに1メートルも積もっているそうです。絶望した農夫たちは畑をあきらめ、都会に出て行ってしまいます。それで、村ごと消滅してしまうということが起こってるんですね。
ところが私は先日、ユーチューブで勇敢な農夫たちの姿を見たのでした。彼らはイナゴが去った後、鍬を担いで畑に出かけて行くのです。そしてイナゴの死骸を畑の土の中に圧し込んでいく作業にいそしんでいました。額に汗して、目には涙があります。1年間の努力はすべて泡と消えました。しかし、まだ希望があるんですね。イナゴの死骸が肥しとなって、1年休ませた土地を豊かなものにするということを彼らは信じているのです。
目の前の現実だけを見るならば絶望的な気分になります。しかし絶望の次に、失ったものを償って余りある収穫を期待できる、それが彼らを行動に励ませたのです。聖書は人間の罪を鋭く指摘します。そこだけ見ると、人を悲しませる本ですね。しかし罪を指摘することが目的なのではありません。その罪と、その罪の結果からの救いを得させることが聖書の目的なのです。聖書に次のような言葉があります。

「キリスト・イエスは罪人を救うために世に来られた」ということばは真実であり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。

ここから3つのポイントで聖書の福音をお伝えしましょう。

神はあなたに対して本気

第一に、神が人となってキリストとしてこの世に来られた、という知らせは聞き逃したり、うわの空で適当にあしらうようなことではなく、真正面から向き合うべきメッセージです、というんですね。
昨年のクリスマスのとき、あるご夫婦が私に面会するために来られました。九州の地方から片道6時間以上かけて、たった30分のメッセージを聞くため正装をして来会されたのです。そして、どうしてもおききしたいことがあるという風に言われたんですね。私は身が正されるような心もちになりました。
本気で取り組む覚悟で来られた人を見ると、こっちも本気で応じたくなると思うのが自然だと思います。相手が真剣であればあるほど、こちらも真剣にならざるを得ません。人は本気に触れると、本気になるのです。そうしないなら、相手に対して失礼なことですね。
ところで神はあなたに対して、本気の方です。あなたを幸せにすることについて、どこまでも本気の方です。そしてあなたを究極の祝福に入れるために、この地上のどこかの田舎から来たというのではなく、天から下って来てくださった方なのです。
私はこのキリストの到来に、神の全力投球の姿を思うのです。そして神の真剣さに対して、人がなすべきは、その言葉に真剣に耳を傾け、額面通りに受け止めることではないのかな、と思うのです。

死の根本原因:罪

第二に、キリストは罪人のために来られた、というんです。
人間のために来られた、と書かず敢えてここでは「罪人のために来た」と書いてあります。聖書によるとすべての人は、神の前に罪人なのです。私を含めてあなたも、またすべての人が自己中心で、自らを神のようにして生きる罪人なのです。そしてこの罪人であるという指摘は、人を責めたり、またなじったりするものではなく、救いを得させるための指摘なのです。
私は毎年、胃カメラ検査、また数年に一度は大腸検査をします。自分の体の奥のほうをカメラを介して見ることができるんですね。実は私はこの検査が苦手です。下剤を飲み続けるのは本当にしんどいことです。それでも検査を受けるのは、日本人の死因の大きな理由である、胃がんと大腸がんから自分の身を守るためです。自分を死に至らしめるがんやポリープを探すのは、怖い病気にならないようにするため、死に直結する病を遠ざけるためなんですね。
しかし人間を本当に死に至らしめる、根本原因はカメラで見ることはできません。死の原因は罪だからです。神と関係が切れていることを、聖書は罪と語るんですね。この罪のせいで人は二度死にます。一度目はからだの死、二度目は魂の死です。

キリストの十字架、復活

第三に、この罪の結果である永遠の死から私たちを救い出すために、キリストは十字架にかかって、ご自分の命を捨ててくださったのです。借金という苦しみから逃れるには返済するしかありません。罪という借金から私たちを解放するため、キリストはご自分の命をもって、私たちに代わって返済してくださったというのです。
ところでアメリカのプロバスケットボール史上最高の選手として、伝説的な名選手がいます。オスカー・ロバートソンという選手です。身長196センチ、体重100キロ、ニックネームはザ・ビッグオーです。彼の背番号は永久欠番となっています。現役時代の14年間に、アシスト王6回、オールスターゲーム出場12回、オールスターゲームMVP受賞3回、オールMBAチーム選抜が11回、60年代から70年代にかけて、最も輝いた選手の一人なんですね。特にアシストがすごかったのです。
アシストというのは、ゴールにつながるパスをすることをアシストというんですね。シュートするのは他の選手なのですが、その時々において、一番シュートしやすい選手に芸術的なパスを繰り出す名人でした。現役時代、なんと9887回もアシストしているんです。後年、あるスポーツ記者が彼に訊いたのです。自分として一番のアシストは、どのチームとの試合のどんな場面でしたか?すると彼はこう言ったんです。「娘の腎臓移植のために、私の腎臓一つを送ったことだ。あれこそ人生最高のアシストだった」。
なぜこれが最高のアシストなんでしょう、腎臓をプレゼントすることで愛する娘を死から取り戻すことができたからです。キリストは一つしかない命を、あなたのためにささげてくださいました。それはあなたに罪の赦しを得させるためです。そしてあなたのために死んだだけではなく、三日目によみがえられたのです。
どうぞあなたも、あなたに永遠の命を差し出しておられるキリストを信じてください。あなたの救い主なのです。どうぞこの方を自分の救い主として心に受け入れてください、心からお勧めいたします。


使用CDジャケット
角谷憲太郎:神

今日のみことば
「キリスト・イエスは罪人を救うために世に来られた」ということばは真実であり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。
(1テモテ1:15)