#1258 天のふるさとを持つ幸い

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。

さて、2024年7月3日から日本の紙幣デザインが一新します。5千円札は津田梅子ですね。日本の女子高等教育の先駆者です。その父である津田仙も日本の近代化の基礎を築いた教育者です。そして、この津田梅子と仙は二人ともクリスチャンでした。当時、クリスチャンの存在そのものが珍しかった時代に、親子二代のクリスチャンで日本の未来の基礎を築いたんですね。初めにクリスチャンとなったのは梅子でした。彼女は明治4年岩倉使節団の一員として6歳でアメリカに渡ったのです。そして、そのまま11年間をアメリカで過ごすことになったのです。彼女がホームステイしたのはワシントンのランマン夫妻の家でした。そして、このランマン夫婦はクリスチャンだったんです。毎週日曜日、教会に行くにつれ、言葉の理解も進み、心も解かされ、8歳の頃、イエス・キリストを信じ洗礼を自ら志願したのです。キリストを受け入れた彼女は喜びに満ちました。罪の赦しと天国の希望が嬉しくてならなかったんですね。このランマン家の敷地の中にお庭番の小屋がありました。そこに黒人の夫婦が住んでいたのです。彼女は毎日のようにその小屋に通い、文字が読めない彼らに聖書を説明し、福音を伝えたのです。「私らが天国に入るニュースを聞くことができたのは、あのお嬢ちゃんが熱心に伝えてくれたからだ」とこの夫婦は言っていたそうです。さてその頃、日本から悲しい知らせが届きました。彼女の弟が病気で死んでしまったのです。悲嘆にくれる母親に対して、弟の魂は天国にいるということを、そして、天国で神に大歓迎され慰められているということ。そして、「お母様があの子と再会するためにはお母様もキリストを信じて欲しい。そうするならば必ず再会できるから」と伝えたというのです。それがきっかけで両親も教会へ通うようになり、とうとう両親ともにキリストを信じたというのです。さて、彼女の語った聖書メッセージは単純です。それをキリストが語っていることばで置き換えて言うならば次のメッセージなんです。

あなたがたに言います。それと同じように、一人の罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人のためよりも、大きな喜びが天にあるのです。

もし人が悔い改めるなら天国は大騒ぎして喜びます。それは天国の王である神が罪人の帰りを誰よりも喜んでくださるからだとキリストは紹介されたんです。
今日はここから三つのポイントで解説しましょう。

罪人とは神から離れている人

第一に、罪人とはどういう人のことをいうのかということです。それは、神から離れている人のことです。
私の大学時代『マーフィーの法則』という本が大流行しました。これは別名『こんちくしょうの法則』というんですね。要するに起こってほしくないことが起こってしまうこと。あってはならないことなのにそれが起こってしまって思わず「こんちくしょう」と思うようなこと。これをマーフィーの法則っていうんです。例えば、洗車を始めると雨が降る。スポーツ観戦でトイレに行っている時に限って点が入る。コーヒーをこぼすと大事な書類の方に流れていく。トーストを落とすとバターを塗った方が絨毯につく。そういうのが延々と書いてあるのです。そして、その流れの中で、困った時には必死に神に祈るが上手くいっている時には神を忘れるというのが書いてあったんです。その頃、教会に通い出していた私はよくこの文章を覚えています。困った時には必死に神に祈るが上手くいくと神のことなどケロッと忘れてしまうということを、このマーフィーの法則の中では、あってはならないこととして紹介されているということに衝撃受けたんです。その文章を読むまで、それはあってはいけないことだとは少しも思ったことがありませんでした。なぜこれがあってはならないことなんでしょう。神に対して恩知らずの態度であるからです。そして、神は困った時だけ助けに来たらいい、言わば、しもべのように見なすことであるからです。神はしもべではありません。主権者です。この主権者の力で私たちは生かされているに過ぎないのです。ところが、それを忘れて神から離れて生きている人を聖書は罪人と語ってるんですね。

悔い改めとは神に方向転換すること

第二に、悔い改めとは何でしょう。考えを変えて神に方向転換することです。
ところで、悔い改める必要のない九十九人の人とはどんな人のことなんでしょう。聖書によるとすべての人は神から離れています。全員が罪人です。全員が悔い改める必要のある人です。では、悔い改める必要のない九十九人とは誰のことなのでしょう。悔い改める必要がないと思っている罪人のことを言っているんです。つまり、自覚症状のない罪人なんですね。そんな自覚のない罪人の心の目を開くために神は日夜働いておられる方です。そして多くの場合、自分の力でどうにもならない現実にぶつかった時、人は初めてへりくだって方向転換の必要性を感じるようになるのではないでしょうか。磁石はプラスとプラスでは反発します。プラスとマイナスでは引き合います。神は絶対的究極のプラスです。なので、自分は神なしに十分にプラスなのだと思ってる限り神と出会うことはできないのです。人はマイナスなのです。死を前にした時、全く無力そのものではありませんか?このように自分は力のない破産した罪人であることを認めることを悔い改めというのです。

神は悔い改めた人を大歓迎される

第三に、人が悔い改めてキリストを信じる時、神は大歓迎して私たちを迎えてくださる方であるとキリストは語っておられるのです。
ある中国人の画家が描いた『放蕩息子の父』という絵があります。ボロを着、髪も髭も伸び放題の汚らしい男を、その父親が駆け寄って来て抱きしめてるという絵なのですが、よく見ると父親の右足には靴、左足はサンダルなんですね。あまりにも慌てて飛び出したので、ある種滑稽な姿になって息子に抱きついているのです。神はあなたを迎えるために、ある種滑稽なまでのことをしてくださいました。キリストを十字架の上でおさばきになったのです。そして、墓に埋葬されてから、三日目に復活させてくださったのです。このキリストの死と埋葬、復活によって、初めてどんな罪人も天国に行く道が開かれたのです。先程ご紹介した津田仙は、後に青山学院の前身となる農学校を建てた人です。彼は札幌農学校ができる前に東京で聖書と農業を教える学校を創りました。そして、日曜日には校舎を開放して、そこで聖書の集会を開いたのです。毎週日曜日、仕事を休み教会で礼拝を守り続けました。そして、71歳の春、彼は列車の三等座席に座ったまま天に召されたのです。教会の礼拝で司会をするため体調悪い中、教会に向かう途中でした。誰にも気づかれることなく天国に帰ったのです。そして、その表情は実に平安そのものであったと伝えられています。なぜなら、天国で大歓迎されるということを知っていたからです。どうぞ、あなたもこのイエス・キリストを信じて天国に国籍を持つ者となってください。心からお勧めいたします。


使用CDジャケット
国分友里恵:天の喜びと無限の愛を

今日のみことば
あなたがたに言います。それと同じように、一人の罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人のためよりも、大きな喜びが天にあるのです。
(ルカ15:7)