ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。
さて私は先日、高濱正伸さんの書いた「おやくそくえほん」を読みました。この方は「花まる学習会」という塾の代表なんですね。まあ、塾といいましても、目標が他の塾とはちょっと違うんです。〇〇中学受験、とかいうそういう短期目標ではないんですね。大人になった時、メシが食える人間になる、ということを目標にしている塾なんです。要するに大人になった時に一人前に経済的自立ができる人に育つための教育をする塾なんですね。
一人前に自立するためには、ただ仕事ができるというだけでは難しいですね。人間関係を健全に結べる大人になるということが大切なのです。それでこの絵本には他の人といい関係を作るためのルールを42にまとめて、そしてそれを列挙しているものなんですね。
最初に出てくるのは、「なにかしてもらったら、ありがとうといおう。」です。「友だちや先生だけではなく、お父さんやお母さんにもちゃんといおう、ありがとうっていう言葉は言った人も言われた人も笑顔になる言葉だよ。しかも何回言っても、くどくならない言葉なんだよ。」そんなふうに書いてありました。
次に挙げられているのは、「何かしてしまった時には、ごめんなさいって言ってあやまろう。素直にあやまるのはとってもむずかしいね。大人でもできない人がいるよ。たとい悪気がなくても何かこわしてしまったら、ちゃんとあやまろう。こわされた人はかなしい気持ちでいるからです。」それからこんなルールもありました。「いやなことをされたら、だまっていないで、いやっと言おう。友だちとの関係は大事だけれど、自分の心を守ることはもっと大事なことなんだ。それにいやってはっきり言われてみて、初めて、あ〜これはいやなことだったんだと気づく友だちもいるかもしれないよ。人ははっきり言われないとなかなか気がつかないものなんだよ。」
いかがですか。大人が読んでもためになりますね。実は私はこの絵本を、ダイヤモンドという経済雑誌で知ったのです。社会人でもできない大人がいるから、これをもう一度学び直したほうがいいんじゃないのか、ま、そんなことが書いてあったんですね。
あなたは神から愛されている
ところで、この42のルールブックの一番最後は、とっても印象深いものです。それは、「自分のことを好きでいよう。」なのです。「でも自分のことが好きか嫌いかよくわからなくなってしまった時には、どうしたらいいんだろう。そんな時には、お父さんお母さんに、ぎゅっとしてもらおう。」と勧めていました。
人は自分を大切にするためには、自分以外の人から愛されるという経験をすることがとっても大事なことです。他の誰かから評価されたり、認められたり、何より愛されることによって初めて自分を受け入れていくことができるからです。子どもにとって自分を受け入れてくれる存在は、なんといっても親ですね。
では、親自身が自分を愛することができなくなり、自分自身を受け入れることができなくなってしまった時には、いったいどうしたらいいんでしょう。魂の親に、ぎゅっとしてもらうことが一番の早道なのです。あなたの造り主である神から愛されているのだということを噛みしめることです。
聖書は神があなたを愛しているんだ、と明確に語っています。そしてその愛が疑いようのないものとなるために、ご自分のひとり子イエス・キリストをこの世に遣わしてくださったのです。イエス・キリストが十字架にかかる一週間あまり前のことです。キリストはこのようにおっしゃいました。
人の子が来たのは失われた人を捜して、救うために来たのです。
人の子とはイエス・キリストのことです。神が人類の一員としてこの世に到来してくださった、その救い主の別名、それが人の子と言われているのです。この救い主が来られた目的は明確です。神との関係を失って、死と滅びに向かっている人々を救うために、来られたのです。さばくためではなく、救うために来てくださった方、あなたのための救い主となってこの世界に来てくださった方、それがイエス・キリストなのだというのです。
動物学者の日高敏隆さん
日本を代表する動物学者に日高敏隆という方がおられました。東大から京大へ、そして最終的には滋賀大学の学長を務められた方です。実は彼は少年時代身体が弱く、体育の授業はほとんど見学でした。しかし当時は尋常小学校の時代で、軍人が学校の中に来て、教練といって、ま、トレーニングしていくというそんな時代だったんですね。大人になって兵隊になるということが最高の小国民の美徳であると考えられた時代です。
ま、そんな時代に虚弱体質の少年は、学校の中に居場所がなかったのです。いつも休んでばかりの日高少年に先生が言いました。「天皇陛下はな、おまえのような子はいらないとおっしゃってるぞ。」会ったこともないくせによくもそんなことを言えたもんですね。しかし、失意の日高少年はそれを真に受けます。たまらなくなって家に帰り、そしてその言葉を両親に相談すると、両親までもが「そうだ、そうだ、その通りだ。」と言ったので、ほんとに絶望してしまったそうです。学校には休みがちで、家の裏の庭先でいつも地面を見つめているようなそんな少年時代だったそうです。
ところがそのうち地面を見つめていると、地面を這いまわっている虫を観察するようになったのです。そして観察していると、いろいろ興味深いことが出てきたんですね。それでお父さんに言いました。「お父さん、僕大きくなったら、昆虫学者になりたい。」するとお父さんは言いました。「そんなものになって食っていけるんか。」一喝された彼はやがて、死を考えるようになるのです。
からだをはって執り成される方
小学校4年の時、新しく担任になった若い先生は休みがちな彼のところに突然家庭訪問に来られたのです。何事かといぶかりながら、しげしげと見つめる両親のその目の前で、先生はこう言ったんです。「日高、おまえな、自殺することはいいと思うか。悪いことだと思うか。」うろたえる両親に向かって「お父さん、お母さん、私たち教師は時に、親も見えていない子どもの気持ちが見えることがあるんです。おたくのお子さんは、自殺を考えています。」そう言ったかと思うと、突然土下座して、深々と頭を下げながら「お父さん、日高君が昆虫学者になるのを許してやってください。」その迫力に押されたお父さんが「あ、わかりました。わかりました。」とつい答えてしまったそうです。「日高君、聞いたか。お父さんが許してくださったぞ。」そう言ってこの日、先生は帰っていかれたのです。
それから50年経っても、彼はこの時のことを忘れませんでした。死にかかっていた自分を助けてくださった先生を思い出すたびに、うれしくなるとともに、奮い立ったというのです。
ところで、あなたのためにも、からだをはって、神に執成しをしてくださった方がおられるのをご存じでしょうか。イエス・キリストです。キリストは十字架の上で、あなたの罪を赦すためにからだをはって、血を流して、祈り、執成し、赦しを勝ち取ってくださったのです。
日高少年をうらやましがる必要はありません。あなたにはイエス・キリストがおられるからです。このキリストがあなたのために、祈り、執成し、いのちを差し出してくださったがために、あなたは、救われるのです。
どうぞ、ぜひイエス・キリストを信じて、永遠のいのちを受け取ってください。心からお勧めします。
(ルカ 19:10)