ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。
さて、資本主義経済の国では、経済活動は基本的に自由放任ですね。政府の介入はほとんどありません。誰もが会社を作ることができます。いくらで仕入れて、いくらで売るか自由。いくら儲けても自由。倒産しかかっても国は助けてくれませんね。しかし、あまりにも規模が大きすぎる経済破綻の時には、国家が介入するのです。リーマンショックがそうでした。アメリカの投資銀行リーマンブラザーズが破綻したことに端を発して、世界的に金融危機が広がっていったんです。国がもし何もしなければ、発生したアメリカのみか世界全体の経済が致命的なダメージを受けて、へたをすればある国ではクーデターの危機すらあったんです。それでアメリカはじめ世界中の政府が金融機関の救済に乗り出したんですね。
これは聖書の語る救い主の介入と似てると思います。この世界をつくられた神さまは人間を自由意志を持つものとして創造されました。人間はどのように生きるかを選べる自由を持っています。崇高な生き方をする自由だけではなく、醜い生き方をすることもできるんです。
自由意志を使って神を信頼する選択を選ぶこともできます。しかし、同時に神を全否定して自己中心に生きる選択を選ぶこともできるんです。しかし、この自由の乱用で世界中がいよいよ破滅に至るところにまで立ち入ったがために、神はとうとう超自然的に人類歴史に介入されました。
神自らが人間としてこの世に生まれてくださったのです。この人となられた神こそは、イエス・キリストなんです。
ある時キリストは、世間の鼻つまみ者であったザアカイという人物の家に泊まることにされました。それを見た世間は黙ってませんでした。なぜあんなあくどい奴のところに行くのかと、イエス・キリストを非難したんですね。その時キリストが語ったことばは、これです。
人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです。
ここには、キリストがこの世に来られた理由が三つ書いてあります。
キリストは失われた人のために来られた
第一に、人となられた神、イエス・キリストは失われた人のために来られたのです。
先日、私は新幹線でうたた寝をしてしまいました。東京駅で飛び降りたものの、車内に老眼鏡を忘れてきてしまったんです。それに気づいたのは夜になってからでした。最近すっかり視力が衰えた私にとって、その眼鏡は必需品なんです。
遠近両用ではやはり読みづらくて不便しました。あの老眼鏡はきっと東京の落し物保管所にあることでしょう。しかし、所有者である私の手元にはないんですね。存在はしていても所有者の元から離れてるんです。これを失われている、と言うんです。
あなたは確かに今、実在されていますね。しかし、神から離れて生きているなら、神にとってあなたは失われた人です。なぜなら、神こそはあなたに対して所有権を主張できる、あなたの作者であられるからです。
キリストはあなたを捜すために来られた
第二に、人の子イエス・キリストはあなたを捜すために来られたのです。
以前に、私たち家族は、とっても悲しい目にあいました。しばらくした時、私たちの心を慰めてくれるものを見つけたのです。それは家に迷い込んできたセキセイインコでした。真っ白のからだにブルーの星マークが胸についた小鳥です。
第一発見者であった娘にせがまれ、とうとう我が家で飼うことに決めたんです。初めの三か月ほど、とても元気でした。マルコと名付けられたこのセキセイインコは、我が家のアイドルになったんですね。ところが、ある時からだんだんだんだん元気がなくなってきたのです。とうとうぐったりして枝にとまることもできなくなりました。娘はわらで作った入れ物を用意し、インターネットで鳥の名医を探し出し、二時間かけて診せに行ったのです。そしてそこで言われたのは、もうすぐ死ぬということだったのです。
原因を聞いて絶句しました。餓死です。餌箱にエサはたくさんあったんです。しかし、小鳥というのは、ついばんだアワやヒエや穀物の中身だけ食べて、殻を出すんです。そして餌箱の表面は殻だらけになって、その下にあるエサにくちばしが届かなくなっていたと言うんです。私たちの無知が招いたことでした。しかし、あまりにも落ち込みが激しく怒ってる娘に対して、私は言いました。「もうええやんか。そっくりのセキセイインコを探して飼ってやるから」すると彼女は、私をにらみ返して言ったんです。「お父さん、本気で言ってるの。世の中に何千羽とセキセイインコがいても、マルコはマルコしかいないよ。代わりなんかどこにもいないよ」
たしかにそうです。三か月だけでしたが、私たち家族と関わりを持ったセキセイインコは世界中であのマルコしかいません。だからマルコの代わりは他にはいないのです。
それと同じように、神にとってあなたは他に代わりのない存在なのです。たしかに地球上には70億人以上の人間がいるでしょう。しかし、神さまの目にはどうしてもあなたでなければならない理由があるのです。神から離れた今のあなたこそ、神が捜し続けている人なのです。神はあなたが今日までずっとあなたに関わって来られたお方なのです。
キリストはあなたを救うために来られた
第三に、この人の子となった救い主イエス・キリストは、あなたを救うために来たのです。
あなたを罪の結果である死と死後のさばきから救うために、人となって天から下ってきた神、それがイエス・キリストなのです。
アントニー・デメロという方の書いた作品に、戦場の兵士の物語があります。戦友が一人戻って来ないので、連れ戻しに行かせてほしいと上官に懇願する兵士の話です。しかし上官は却下しました。死んでいるかもわからない兵士を捜すために、生きてる兵士を危険にさらすことはできないって言うんです。
ところが兵士は命令に背いて出かけて行き、そして一時間後に戦友の遺体を抱えて戻ってくるんです。しかし、彼自身も重傷を負ってしまうのです。上官は烈火のごとく怒って言いました。「奴は死んでると言ったはずだ。これで戦力が二人減った。遺体を担いで戻ってなんになる」しかし兵士は息も絶え絶えにこう言うんです。「そうですが、上官。彼のもとに行った時、まだ息があったんです。彼はこう言いました。ジャック、きっと来てくれると思っていたよ」
死を受け入れていた戦友は救命処置を求めていたのではありません。兵士としては役に立たなくなった自分をも愛して捜しに来てくれる、人間のかたちをしたふるさとを求めていたのです。
そして、そんな救い手を私たちは誰もが求めているのではありませんか。そして、そんな救い主が本当におられるのです。イエス・キリストがそうです。
どうぞ、あなたを捜して救うために来られたイエス・キリストを今、信じ受け入れてください。心からお勧めしたいと思います。
(ルカ19:10)