ごきげんいかがですか。尼川匡志です。
「ギフティッド」という言葉をご存知でしょうか。
これは、神によって与えられた素晴らしい才能のことを言いますが、最近は天才児のことを意味するようです。
いくつかの国で、彼ら天才児の持つ優れた能力がさらに伸ばせるように、いろんな場を提供する制度が採用されています。
カナダもそんな国の一つです。7年前に日本人の大川翔君という少年が、12才でカナダのハイスクールに飛び級で入学し、14才の時には同じくカナダのトップの大学複数校に合格したそうです。
彼は最終的にブリティッシュコロンビア大学を選択し、入学しました。
昨年は山中伸弥教授の研究助手をしたと伝えられていました。彼の持つ才能は素晴らしく、将来が本当に楽しみな青年です。
さて、このギフティッドは神によって特別な能力がプレゼントされた人のことです。
確かに天才と呼ばれる人の能力は神に与えられているものだと思います。
でも何も彼らだけに与えられたのではありません。私も神にギフトされた人間です。
それは天才的な能力があるわけではありませんが、この命も体も、そしてさまざまな能力も、すべては神からプレゼントされたものなんです。
その意味ではすべての人がギフティッドなんですね。聖書の中にこんな言葉があります。
私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをあらかじめ備えてくださいました。
この聖書の言葉から三つのことを考えたいと思います。
自分の所有権は神にある
一つ目は、私たちの所有権は神にあると言うことです。
私たちは自分の所有権が自分にあると考えます。
「私の人生どう使おうと自由じゃないの。」そう考えるのは心情的にはよーく分かります。
でも、そうではありません。もし、私たちが人生の所有権を持っているなら、そのスタートと終わりも自分で決定できるはずではないでしょうか。
でも、誰も自分が生まれたいと思って生まれた人はいません。気が付けば存在していたのです。
いくら辛くて、苦しくて、死にたくても、「生きよ」と言われれば100才でも生き続けなければならないんです。
また平成の時代に生きることも、日本人に生まれることも、男か女かさえも私たちは一切選ぶ自由は持っていません。
これが現実です。これで私は自分の人生を所有しているんだと言えるでしょうか。
自分の所有に見えるけれども、そうではなく神の所有であるということを知る必要があるんではないでしょうか。
私たちは神の大切な作品
二つ目は、私たちは神の作品だということです。
私たちの所有権は神にありますが、それは奴隷として生きることでも、所有物として生きることでもありません。作品なんだと言うんです。
私は以前カメラマンをしていました。広告写真の撮影をしていたんですね。
仕事の写真は一日何百枚も、時には一千枚を超えるほども撮影したことがあります。
しかし、そんな仕事の写真以外に自分の作品を撮影することもありました。
それは仕事のような撮影の仕方ではありません。思い入れを持って、自分の気に入った場所で、好きな被写体をゆっくりと時間をかけて撮影するんです。
作品とはそういうもんです。そして、それは人の評価に左右されません。誰が何と言おうと私にとって大切なものなんです。
さて神の作品とは何でしょうか。神が思い入れを持って造った存在だということです。神のお気に入りです。
私たちは時々、「自分のこんなところはいやだなあ」と思うことがあります。
しかし、そこにも神の思い入れがあるんです。私にはどう見ても欠点にしか見えないところに、神のご計画が溢れているように思うんです。
私は気の弱い性格なんです。若い頃はそんな自分が嫌でたまりませんでした。
でもどうしようもありません。性格は変えようがないんです。外見は強いふりをしますが、心の内は弱いままです。
あるとき分かりました。神様が私をこのように造られたのだ。だからこの特徴は大切にすればいいんだ。
なぜなら私は神の大切な作品として生まれたからです。
神が示す道に進む
三つ目は、良い行いは神が用意し、そして神が私たちを導かれるということです。
私たちは自分の人生、何が正しくて正しくないか分からないんですね。
あなたの人生は正解ですか、良く分からないんじゃないでしょうか。
でも神があなたの人生を用意し、正しい方向に導いてくださるんです。
私の人生は本当に不思議なことの連続でした。
昨年の2月に家内と二人、奈良県から宮崎県に引っ越しました。今そこで福音を伝えています。
宮崎には家族も親族もいません。正に無縁の土地でした。
数年前まで九州に行くなんて考えもしませんでした。しかし、今はすっかり宮崎県民です。
そして、これが実にいいんですね。時間はゆっくり流れるし、暖かだし、体の冷えやすい老齢の私たちにはぴったりの場所です。
右に行くべきか左に行くべきか迷いました。でも神が示してくださる磁石に従って進むとき、その道は準備され最高のものとなります。
今私はそのことを満喫しているんです。
主導権をイエスにお任せする
人生の所有権は私にはありません。しかし、それは神の言いなりの人生を歩むことでは決してないんですね。
神の作品として他人の評価を気にすることなく誇りを持って生きる人生です。
そして、神の示す磁石に従って進む時、その人生は予想もできないすばらしい風景が開けてくるんです。
そのためにとっても大切なことがあります。それは神に任せるという考え方のチェンジです。
私たちの人生は始まりも終わりも自分の自由にはなりません。性格も変えることが出来ません。最高の人生がどの道かさえ分からないんです。
ですからあなたは、自分の人生の主導権を、神であるイエスにお任せになればいいんです。「イエスを私の主とします」と告白することなんですね。
そして、私の人生は人を死から救い出す事のできる神の全能の力によって導かれるんだと信じることです。
そのとき、あなたにギフトされた人生は、最高の彩りを持ってゴールへと導かれるんですね。
ぜひその素晴らしい人生を選択して下さい。心からお勧めします。
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