#1274 キリストが目指した着地点

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。尼川匡志です。

さて、2022年内閣府の調査によると15歳から64歳までの人口の2%にあたる147万人がひきこもりだそうです。コロナ禍の影響もありますが、以前に比べて中高年層の増加が目立つそうです。人と人との関わりが希薄になり、関係が崩壊した結果ですね。多くの人が孤立し不安の中で生きています。現代社会の闇が広がっているようです。聖書には孤立した人たちの記事がたくさん記されています。ツァラアトの人、38年病に伏した男性、姦淫の現場で捕らえられた女性、ザアカイもそうでしょう。そして、今日見る12年の長血の女性もそうです。これらの人たちはいずれも人間関係が壊れ、孤独の中に生きていました。イエスは彼らに近づき、その言葉に耳を傾け、時間を共有されたんです。彼らはイエスの愛に触れ立ち上がりました。今日は長血の女性の記事からキリストが何を目指しておられたのかを考えたいんです。
1つ目、この女性の持っていた悩みです。2つ目、女性が目指していた着地点。そして3つ目、イエスが目指した着地点です。

女性が抱えていた痛み

それでは1つ目、この女性が抱えていた痛みを考えます。この女の人は5つの痛みを抱えていたんですね。1つ目は肉体の痛み。長血という病は婦人科の病気で、激しい痛みを伴ったようです。以前の聖書には『ひどい痛み』と記されています。かなり辛かったようですね。いつ終わるか分からない痛みの中で彼女は生きていました。2つ目は精神的な痛みです。良くなると思って医者に行くのですが、かえって悪化したんですね。期待を裏切られた心の痛みは想像ができません。3つ目は経済的な痛みです。彼女は働けず、医療費がかさみ、12年の間で持ち物を使い果たしたんです。貧しさに伴う不安を抱えていたと思います。4つ目は社会的な痛み。汚れていると言われる病気でした。ツァラアトと同じです。彼女が触れたものは汚れ、彼女に触れた人は汚れるんですね。誰も彼女に近づくことはしませんでした。会話もなく孤独でした。そして5つ目、霊的な痛み。「病気は罪のせいに違いない」心無い言葉をかける人もいたでしょう。彼女はこの肉体的、精神的、経済的、社会的、霊的な5つの痛みを抱えていたと言えます。孤独で苦しい時間を過ごしていたんですね。私たちも様々な痛みを持っています。病気の痛み、加齢に伴う痛み、人に傷つけられ心から血を流すこともあります。経済的に不安を抱える痛みもあります。周囲の人たちとの人間関係がうまく築けず社会との関わりを失うこともあるでしょう。更に死の恐怖や罪の悩み、霊的な悩みも抱えます。これらの痛みの中で私たちも心が塞ぎ、孤独と不安の中で生きるんですね。この女性と同じとは言いませんが共通することもあります。

女性が目指した着地点

2つ目を考えます。女性が目指した着地点です。彼女は絶望の中でイエスのことを聞きました。いつ終わるか分からない苦しみの中で諦めかけていたと思います。そのとき、神からの光が届いたんですね。苦難を願う人は誰もいません。できれば避けたい。でも、どうしても避けれないことだってあるんです。そのとき、あなたにも神からの光が届いているかもしれないんですね。「諦めてはいけない」と。神はあなたの苦しみをご存じです。彼女はイエスに会うことを願いました。でも、人前に出て行けないんです。彼女は全身を覆い、自分とは分からないようにしてイエスに近づきました。着物に触れることができれば治ると信じていたからです。私は聖書の話をお伝えするとき、さまざまな事情でイエスを公に信じることができない人とお会いすることがあります。そのとき、言うんですね。「誰にも分からないように、まず、あなた自身がイエスに近づき、信じ、祈って、触れてみることです。この方の力を体験したら、そのとき、公にすればいいんです」と。女性は群衆に紛れイエスに近づきました。その瞬間、衝撃が走るんです。12年間彼女を苦しめ続けていた痛みが嘘のように消えたんですね。しかし、同時にイエスが立ち止まりました。振り返って言われたんです。「誰がわたしにさわったのか」彼女は逃げ出したかったでしょう。彼女の願いは既に叶っていたからです。しかし、イエスの願いは遂げられていませんでした。あたりを探されました。イエスにはおそらく分かっていたと思います。ただ彼女に自分の意思で出て来て欲しかった。だから待たれていました。イエスの深い思いが伝わってきます。

イエスが目指す着地点

3つ目、イエスが目指す着地点とは何でしょうか。私たちは問題解決が着地点だと考えます。しかし、イエスはそうではないんですね。問題を抱えた中でその人が神に出会い、神の愛を知ることが願いです。それがイエスの着地点なんですね。この世界では問題は繰り返します。多くの人がその中でもうダメだと諦めかけてしまいます。しかし、そうではないんです。神は言われます。「わたしを信頼せよ」と「解決の道はあるんだ」とイエスはそのことを彼女に伝えたかったんです。彼女は多くの痛みを抱え、社会から孤立し、希望を失っていました。でも、イエスはこの女性を気にかけておられたんです。いや待っておられたと言っていいと思います。イエスはこの時、ひとりの少女の命にかかわる問題のため、先を急いでおられました。しかし、この女性の痛みを真っ正面から受け止めるため、すべてのことをストップされ、この女性に向かい合ったんです。神が愛している事実を知って欲しかったからです。ですから彼女が出て来るのを待たれたんですね。そして、その言葉の一つ一つを地に落とさず、大切に受け止められました。いくら時間がかかってもです。私たちが人生で知らなければならない大切なことが一つあります。それは、神は私に関心を持っておられるという事実です。12年の長血の女の記事が聖書に記されたのは、この神の思いをこの女性に、そして、私たちに知って欲しいからだと思います。彼女はほんの少し前まで孤独で誰からも顧みられない自分を、メシアであるイエスが待ってくださっているなど夢にも考えていませんでした。その彼女にイエスは言われたんです。「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。苦しむことなく、健やかでいなさい。」愛のメッセージです。あなたも今日、イエスの前に出てください。そして、この愛のメッセージをお聞きください。心からお勧めいたします。


使用CDジャケット
大和田広美:ああ愛されて

今日のみことば
イエスは彼女に言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。苦しむことなく、健やかでいなさい。」
(マルコ5:34)