ごきげんいかがですか。那須清志です。
あなたは信頼できる方を身近にたくさんお持ちですか。それについて私は本当に恵まれています。実はその中に、この「聖書と福音」のメッセンジャーのメンバーが含まれています。何と言っても関係が深いんです。尼川さんは私の妻の小中学校の同級生。慶さんの奥さんは私の大学時代の同級生仲間。三綿さんは、彼が学生だった時に教会の若者の集いに熱心に参加していました。そして、メインメッセンジャーの高原さんとは大学時代の同級生。私に聖書のすごさを紹介してくれた命の恩人です。こんなふうに色んな繋がりがあり、性格も気質も様々ですが、同じ主を信頼し、気心知れた気の置けない人たちです。この信頼できる人と協力して福音をお伝えできるのは大きな喜びです。新約聖書の中に次のようなことばがあります。
聖書はこう言っています。
「この方に信頼する者は、
だれも失望させられることがない。」
この方というのは、救い主イエス・キリストのことです。ここでいう聖書は、旧約聖書のことです。神は大昔から救い主の到来を予告し、その方に信頼することを勧めていました。さて、イエスに対する信頼ということを考えるとき、何が信頼を生み出し育んでいくのでしょうか。根拠は何でしょう。三つのポイントで考えていきます。
イエスは2000年間信頼されてきた
まずは時の長さです。一時的にだませても、だまし続けるのは難しいと言われますが、信頼できるかどうかは時間が証明してくれると言えるでしょう。冒頭で話したこの番組のメッセンジャー達との付き合いは、長い人で40年を越えます。長い間、楽しい事辛い事、共に経験していく中で、この人は信頼できると証言できるんです。その確信は時が経つにつれて強まりました。では救い主イエスについてはどうでしょう。十字架の死の後、三日目に墓を突き破って復活され、天に帰ったイエスは今も生きておられます。創造主なる神が目には見えなくても生きておられるように、イエスも私たちのそばにおられるのです。最初信じにくいのは当然ですが、時間とともにその確信は強まっていきます。地上に来られたイエスは、それ以降2000年間信頼されてきました。そして信頼する者を失望させることがなかったのです。最初はびくびくしながらでも構いません。あなたもこの方を信頼してみませんか。きっと時がその確信を強めてくれるでしょう。
様々な国の人がイエスを信頼している
次にイエスを信頼できる根拠となるのは信頼している人の多さです。現在世界の人口は80億人を超えています。その中で救い主イエスを信じている人は三分の一もいます。私の教会は最近多国籍化しています。韓国、中国、インド、ネパール、ミャンマーと。他の国のクリスチャンたちも集うようになっています。インドのクリスチャンの家に行った時のことです。子どもが箸やスプーンではなく、手で料理をつまんで食べていました。頭では知っていても実際に見ると、おお!と思いました。生まれも育ちも異なる人々も、本質的には同じ人間。創造主の前で不完全な罪人であることを認め、救い主を信頼し、平安と喜びを味わっているのです。今なお国内で混乱が続くミャンマーでも、昨今思想の統制が厳しい中国でも、多神教を信じる人が多いネパールでも、唯一の救い主イエスを信頼し、イエスと共に歩む人は多いのです。
救出活動とその影響
イエスを信頼できる根拠の三つ目は、その影響力の大きさです。
今から130年ほど前、1890年、現在のトルコ、当時のオスマン帝国から日本へ船で使節団が送られてきました。ところが帰り道、和歌山県沖で台風のために、その船エルトゥールル号は沈没してしまったのです。600名近い犠牲者が出ました。その中でも、付近の住民たちが献身的な救出活動を行い、69名の乗組員が救われ、その後日本海軍の軍艦によって生存者はトルコへと送り届けられました。トルコではとても感謝され、今でも有名な話だそうです。その約100年後の1985年、イランイラク戦争のとき、200名を超える在留邦人がイランに足止めされ、戦火に巻き込まれそうになりました。その時トルコ政府が自国の飛行機をイランに派遣し、彼らの脱出を助けてくれたのです。トルコは、海の恩を空で返したと言われています。このエルトゥールル号遭難事件の際には、住民たちが自分たちの備蓄の食糧まで使って、異国の人々を助けたと言います。
イエスの働きの影響力
一方イエスの救出活動とは次のようなものでした。自分をいやしめあざける人々のために祈り、人類の罪を背負って十字架の上で神からさばかれました。人間が救われるにはその方法しかありませんでした。神がはるか昔から計画されたものです。その働きは、死後三日目のイエスの復活によって完成し、イエスが天に昇られることによって新しい時代が始まったのです。この出来事が世界中に大きな影響を与えました。2000年経った今日でも、ひと時も忘れられることなく、毎週教会でこの出来事が覚えられています。そして、そのお返しというには及ばないにしても、イエスがされたように人々に奉仕していこうという者が絶えません。人を信頼するという時、その人が完璧だから信頼するというわけではありません。いつも正義を行い、愛に満ちた人しか信頼できないとなれば、この地上に信頼できる人などいないでしょう。私たちが信頼できるのは、完全な人というより、自分の弱さを正直に認め、間違いを間違いとして指摘し合える人ではないでしょうか。裏切ってしまう弱さを持ってることを、神の前に正直に告白できる人、私が信頼してる人たちはそんな人なんです。一方その意味ではイエスは特別な人です。創造主なる神が人となられた方で、唯一罪を持たない方、罪と無関係な方と言えます。同時に謙遜で、人の弱さに同情できる愛なる方でした。その方が私たちの身代わりとなるために罪を背負い、罪人として十字架の上でさばかれてくださったのです。完全な人でしたが、神の子として信頼して近づく者を決して失望させない唯一の方、これがイエス・キリストです。この特別な方が、長い間大きな影響を与え、多くの人によって救い主として信頼されています。「イエスに信頼する者は、だれも失望させられることがない。」とあったことばの前に次のようにあります。
もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。
自分の弱さを認め、イエスの十字架での身代わりの死と復活を感謝を持って受け入れ、イエスを自分の救い主とするなら、あなたは救われます。ぜひこの方に信頼し、新しい歩みに入られることを心からお勧めいたします。
「この方に信頼する者は、
だれも失望させられることがない。」
(ローマ10:11)