#1181 人生の意味は神の愛に生きること

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。

先日、私の講演会に産業医として働いている方が来られました。産業医というのは職場で働いている人の健康管理について、助言したり指導したりするお医者さんのことです。
この方によりますと40代の8割くらいの人は、自分が幸せな人生を生きることを諦めているというんです。ある場合はうつ病になったり、突然、職場も家庭も放り出したり、かと思うと全ての事に無気力になったりする人がいます。これを『ミッドライフクライシス』というそうです。ミッドライフっていうのは中年のことですね、クライシスは危機です。つまり、中年の危機です。
私はフンフンと聞いておりました。そうしましたら、最後、「私もそうでした」とおっしゃったのです。私は一瞬「えっ!」と声が漏れそうになりました。でも、この方によると自分の人生を本当に満たしてくれるものと出会うことによって、乗り越えることができると言われたのです。そして、この方自身が神とのつながりを見出すことで人生の虚無感から脱出できたのだとおっしゃったのです。
ある時、キリストは言われました。

人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです。

ここからお話しいたしましょう。

失われた者とは誰のことなのか

第一に、失われた者とは誰か。神との関係を失っている人、神を認めないで生きている人、自分の作者を無視して生きるすべての人のことを聖書は失われた人と呼ぶのです。そして、人は自分の作者との関係を失うと同時に人生の意味も失ってしまうのです。
人生の意味が特に分からなくても生きていける人って、まぁいますよね。特に若い時は世の中から受ける刺激がいっぱいです。人生の意味を考えなくても毎日毎日楽しいもの、美しいもの、興奮させてくれるようなものに触れて、その日その日をやり過ごすことができるでしょう。しかし、それだけでは乗り越えることができない時がやがてやってくるのです。

夏目漱石『夢十夜』

夏目漱石の短編集の中に『夢十夜』というのがあります。「こんな夢を見た」で始まる幻想小説なんですね。それは、夢に託した漱石自身の問いかけなんです。この夢十夜の十番目の夢にこんな話が出てくるんですね、町一番のイケメン男子庄太郎の物語です。彼は毎日毎日美しいものを見て人生を満喫するというタイプの人です。果物屋さんのベンチに座って町行く女性を眺めたり、綺麗な人、綺麗な花、綺麗な果物、綺麗な色、そういったものを鑑賞するんですね。美しいものに目がない彼はその日その日を美しいものを追い求めて満足しているということです。
これは若き日の漱石の人生です。「今、楽しければそれでいいじゃないか」という考えです。ある日のこと、一人の絶世の美人が果物屋の前に立つのです。庄太郎はすっかり目が釘付けになります。何しろ美しかったんですね。彼女は果物かごを持つと「まあ、重いわ」とひと言言うんです。庄太郎は「ああ、でしたら私があなたの家まで届けて差し上げましょう」と言って、二人は店を出るのですが、すぐ近くの家かと思いきや長い時間電車に乗り、降り立った駅の周りは草原が広がっているのです。やがて絶壁の崖のところまで歩いてくると、彼女は向き直って言いました。「さあ、飛び降りてごらん」底が見えないほどの高さです。「それだけはご勘弁を」と断ると、「じゃあ豚にペロペロ舐められてもいいんだね」と言うんです。庄太郎は豚が大嫌いでした。すると目の前に豚が現れて寄ってくるんですね。それでステッキで鼻先を叩くと崖の下に落ちていったのです。ところが、2頭目が現れる。同じように撃退すると。3頭目、4頭目、やがて何千頭という豚が群れをなして彼を舐めるために押し寄せてくるのです。庄太郎は7日間にわたって豚を叩きまくり、崖の下に転落させるのですが、とうとう腕がこんにゃくみたいになって倒れてしまいます。そこへ豚が殺到して彼を舐めまわすんですね。気がつけば彼は一人でした。しかし、以前の彼とは別人になり、まるで廃人のようになって町へ戻ってきましたが、間もなく彼は死ぬでしょうという話です。

神が人生に意味を与えられる

さて、漱石は一体何を言いたかったんでしょう。この豚はこの世における労働です。仕事って一つ片付けると達成感がありますね。しかし、すぐに次の別のやつがやってきます。それをこなすとまた次のがやってくる。そしてとうとう際限なくやってくるのを相手にしているうちに死んでしまうのが人生だ。それが分かると廃人のような心境になると言いたいのでしょう。なぜなら人生には特に意味なんかない。ただ死ぬまでの間、何かに追い立てられて働くだけのその期間にすぎないからだというのです。
さて、このような虚無感に支配される時、人が必要とするものは何でしょう。人生の意味ではないでしょうか。人生ってただ生まれて働いて死ぬだけのことではありません。神はあなたを意味あるものにお造りになったのです。そして、意味ある人生を与えてくださる方なのです。
では、意味ある人生とは何でしょう。人生の意味っていうのは人間を出発点に考えても分からないんですね。それは、人間の作者、人生を与えた方にお尋ねしない限り分かりません。結論を言うなら、神に愛と信頼で結ばれて、神と共に歩み、神が与えた使命を生き、神を永遠に喜ぶために人は造られたのです。

本当の幸せとは

先日ある雑誌にカナダ人の家族の話が載っていました。一組の夫婦と四人の子どもの六人家族です。ところが、この四人の子どものうちの三人が徐々に視力を失って失明するという病気なんです。これは遺伝病で現代医学で治療の術がないんです。
そこで両親はこう考えました。まだ目が見えている間に世界中の美しい光景を見せてあげたい。それで家財産を整理し、一年間アフリカからアジアを回る旅に出たんですね。そして、一つでも多く世界遺産といわれる絶景を見せて、子どもたちの記憶にとどめてもらおうとしたんです。実際、世界の絶景というのは素晴らしくて、しばしばこの両親は言葉を失うほどの感動、そんな事の連続であったそうです。
ところが、しばらくしてひとつ気が付いたことがあったそうです。それは、大人が感動するものと、子どもが感動するものは違うということです。例えば、夕日に染まって真っ赤になったゴビ砂漠の砂丘地帯です。360度の視界の全てが赤い世界でまるで火星に降り立ったみたい。なんて美しいと感嘆するんですが、子どもたちは足元に這い出してきたカブトムシに熱中して喜んでるんですね。せっかく地球の裏側まで連れて来たのに、子どもが喜ぶのはカナダにいても見れるような身近なことばかりに興奮しているんです。しかし、子どもたちがそのように喜んでいる姿を見ていると、次第に自分たちまでが幸せな気持ちになって行くことに気がつくんです。
本当の幸せは互いに愛し合い、信頼し合う関係の中にあったのです。神はその幸いをキリストによって用意してくださいました。神に愛し愛される信頼の関係の中に私たちは入ることができるように、キリストが準備してくださったんです。
どうぞ、あなたもキリストを信じて、神の子とされ、愛と信頼の関係で神に繋がってください。心からお勧めいたします。


使用CDジャケット
松本優香:きみは愛されるため生まれた

今日のみことば
人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです。
(ルカ19:10)