#1178 永久不滅の3つの恵み-信仰 希望 愛-

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。

先日ある方が、8歳、6歳、4歳の三人姉妹に『マッチ売りの少女』を読み聞かせました。話が終わるや否や、真ん中の子が聞いたんですね。「マッチってなに?」すると他の二人も「私もわからなかった」と言ったんです。生まれてから今まで、マッチを見たことも聞いたこともない、そういう子どもたちにショックを受けたそうです。かつてはとても便利な物も、時代と共に、もっと便利な物の登場によってやがて姿を消してしまうもんですね。
ところが聖書はいつまでも廃れないもの、いつまでも残るものについて、紹介してるのです。
次のように書かれています。

こういうわけで、いつまでも残るのは信仰と希望と愛、これら三つです。その中で一番すぐれているのは愛です。

たといどんなに時代が変わっても、また息を引き取る直前であったとしても、決して価値を失わないのが、この三つです。
今日はこの三つの価値についてご紹介しましょう。

キリストが完全に信頼できるという信仰

第一は、キリストへの信仰です。
キリストは何があっても裏切ることなく、あなたを受けとめてくださる方です。
アメリカにおける最も速い長距離ランナーの一人は、ケイラ・モンゴメリーという人です。しかも彼女は15歳の時に、多発性硬化症という免疫異常を起こす病気を発症するんです。体温調節ができなくなるんです。運動によって体温が上がると腰から下の感覚が全くなくなります。そうなると、まるで自動操縦のように勢いを保ったまま、延々と走り続けてしまうんです。
これは競技において、ある種有利なことのようにも思います。しかし問題があります。ゴールを切った後も、彼女は自分で止まることができないのです。これは命取りですね。そのため止まることについては、全面的にコーチに頼るしかないのです。
コーチの仕事はゴールした後も走り続ける彼女を、全身で止めることです。コーチはゴールの前で両手を広げて待ち構え、ケイラ選手はその胸に飛び込むんです。全速力で体当たりされた時の衝撃は、決して小さくないでしょう。しかしコーチはびくともしません。それどころか、ケイラ選手が壊れないように彼女の走りを止めると、155センチの彼女の身体を持ち上げて、競技場の外に運び出すのです。
その間彼女はずっと叫んでいます。「私の足はどこへ行ったの。お願い、助けて」コーチは繰り返し「大丈夫だよ。僕がちゃんと受けとめたから、大丈夫だ」このように言って励ますんですね。コーチは彼女を安全な場所に降ろし、氷水を与えると少しずつ体温は下がっていき、足の感覚が戻っていくのです。ケイラが安心して全力で走れるのは、ゴールの向こうに安全圏に運んでくれるコーチがいるからです。
ところで人生の最後に待ち受ける死の向こう側に、あなたは信頼できる方を持っておられますか。あなたを、死と死後のさばきに飲み込まれないように、しっかりとあなたを受けとめ、絶対安全圏に移してくださる方がいるということをご存じでしょうか。イエス・キリストはあなたのたましいを正面から受けとめて、天の御国に届けてくださる方なのです。

神が用意される本物の希望

第二に、死を目の前にしても、決して廃れないものは本物の希望です。
かつてオーストリアのユダヤ人精神科医にフランクルという人がいました。彼はユダヤ人でしたので、オーストリアがナチスに併合されると、狙われたのです。そして、結婚してたった9ヶ月後に、家族がばらばらに強制収容所に入れられ、そこで父も、母も、そして新婚の妻も亡くなるのです。
彼はアウシュビッツの強制収容所の中で見聞きしたその体験を基に『夜と霧』という本を書くのです。その中に希望というものが、どんなに人間に生きる力を与えるか、数々の事例をあげて証言しているんですね。多くの仲間たちが次々にガス室に送られていくのを見ながら、彼は、必ず生き残ると決心を強めていったそうです。こんなに貴重な体験を、外にいる人に伝えないで終わるようなことがあってはならない。そのように覚悟するのです。
そして心の中に、ある光景をイメージしたというのです。それはアメリカのある大きなホールで、大勢の人々の前で、人を生かすのは希望だ、生きる意味こそなくてはならないものだ、と講演している自分の姿です。聴衆は感動して立ち上がって拍手をしている景色を彼は思い描いて、生き延びたというのです。あの人たちのところに行って、私は話さなければならないのだから、と自分自身に言い聞かせたのです。今は生き地獄のような収容所でも、次に来るのは素晴らしい世界だと信ずることで、生きる勇気を得たのです。
神はあなたのために、死んだ後、素晴らしい国を用意しておられます。そうであるなら、死は恐ろしいものではなくなります。この希望が人を勇敢にするんです。

キリストの十字架という神の愛

第三に、神の愛です。
多くのものは時代と共に廃れていき、変わっていき、消えていきますね。しかし、何があっても変わらないのは、神の愛です。
神はあなたを愛しておられます。それはあなたが神を愛するからではありません。たといあなたが、神を憎み、否定し、拒否している時も、神さまの愛は変わりません。たといあなたが神を愛し、ほめたたえ、何かを献げたとしても、神の愛はそれまで以上に増えるということはありません。というのは、常にマックスなんです。常にこれ以上はないという愛で愛し続けておられるのです。
あなたがしくじったからといって、神の愛が減ることはありません。あなたが成功したからといって、神の愛が増すわけではありません。なぜなら、神はあなたの出来、不出来で、愛するかどうかを決めるのではなく、神ご自身の本質が愛なので、あなたを愛さずにはおれないというのです。
そして神はあなたを愛するあまり、あなたの罪をキリストの上にすべて転嫁してくださったのです。一般に責任転嫁というと、悪い意味で使われますね。というのは、本来自分が負うべき非難や制裁から逃げるために、自分が原因である失敗を、他人のせいにすることであるからです。自分が引き受けなければならないことを、他人になすりつけることは、卑怯なことです。
しかし神は、罪人が受けるべき制裁を、十字架にかかられたイエス・キリストの上に下されました。神から捨てられるはずのないキリストが、神から捨てられたのです。それは神から捨てられるはずだった罪人が、神に受け入れていただくためでした。そしてキリストは、死後三日目に復活して、この救いが、神の受け入れが、確実であるということを保証してくださったのです。これは神の愛が、なさしめたことでした。
どうぞあなたも、神への信頼、天国の希望、そして変わらない神の一方的な愛による救いを、受け入れてください。心からお勧めいたします。


使用CDジャケット
小坂 忠:勝利者

今日のみことば
こういうわけで、いつまでも残るのは信仰と希望と愛、これら三つです。その中で一番すぐれているのは愛です。
(1コリ13:13)