#1044 遥かに高い神の思い

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。那須清志です。

先日、目の見えない方がこの世界をどう見ているか、についての本を読みました。
人が外界から得る情報の、8割から9割は目から入ってくると言われています。ということは、目が不自由だということは、この世界の情報をほとんど得ていないということになります。
でも実際は、目以外の方法で世界をしっかりとらえています。却って目の見える私たちの方が、目に頼りすぎて「目で見たものがすべて」みたいに思っていて、見方が狭くなっているかもしれないのです。
例えば「日本一高い富士山ってどんな形」って聞かれたら、あなたは何と答えますか?私は「漢字の八の字みたい」と答えます。しかし、目の見えない人にとっての富士山の形は「上がちょっと欠けた円錐形」というとらえ方が普通だそうです。
では「お月さんはどんな形」と言われたら?私は、「お盆のような真ん丸」と言います。でも彼らにとっては「ボールのような形」です。
違いは何でしょうか。目に見える者にとっては、ペラペラの平面にとらえがちですが、目の見えない人たちは立体的に物をとらえているのです。不思議ですね。目に見える人の方が、本物が立体のものを平面のように見ているのですから。
同じ人間でも、世界のとらえ方が違うならば、ましてやこの天地万物、私たちを造られた神は、どれほど異なるでしょうか。
次のような聖書の言葉があります。

わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、あなたがたの道は、わたしの道と異なるからだ。──主のことば──天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いより高い。

今日は、はるかに高い神の思い、について三つのポイントで考えていきましょう。

神はすべてをご覧になる

まず神の義です。神はすべてをご覧になり、すべてを正しく裁くことのできるお方です。
先ほどの目の見えない方のもののとらえ方で、もう一つ考えさせられることがありました。ある盲学校の美術の時間に、粘土で立体物をつくりました。全盲の子どもが壺のようなものを作ったのですが、壺の内側に細かい細工をし始めたそうです。
見える者にとっては、外側に飾りをほどこすのが普通でしょう。しかし彼にとっては外側も内側も同じなのです。隠れたところにも飾りを、と思ってしたのではありません。彼にとっては隠れていないのです。壺の外も内も同じ表面なのです。
霊的な存在である神にとって、私たちが隠せるところはありません。人は他人の心の中をのぞけませんが、神にとっては中ではないのです。神から見るとすべては表面で、表にあらわれています。ですから、もしあなたが人の悪によってひどい仕打ちを受け、その悪に対して正当な裁きがなされていなくて絶望することはありません。神はご存知です。必ず、来るべき時に、悪に見合った裁きはあります。
同時に神の正しさは、私たち自身にも及びます。すべてをご覧になる神の前で、自分自身は大丈夫でしょうか。「心の憎しみは、心の中で殺人を犯しているのと同じだ」というのが神の見方です。その神の前で、完全な歩みができる人はいません。高い神の思いから見ると、すべての人が神から離れて的からはずれた、すなわち罪に陥った、というのが聖書の宣言です。

神は人を愛しておられる

二つ目は神の愛です。創造主から離れ、不完全になってしまった人間を、神は驚くべき愛で愛しておられます。罪という病は憎まれますが、人間に愛を注いでおられます。
江戸時代、今の和歌山県に花岡青洲という医者がいました。彼は記録に残るものとして、世界で初めて全身麻酔を用いた手術を成功させた人です。通仙散という全身麻酔薬を作ったのですが、それに至るまでが大変でした。動物実験までは良かったのですが、人間に使うとなると問題が生じたのです。最後は、母親や妻が実験台になることを申し出ました。母親はそのために亡くなり、妻は失明しました。こうして彼らの犠牲の上に、この薬ができたのです。人の病を治すために、そこまでできるのか、と驚くばかりです。
地に住む私たち人間は、天よりはるかに低いことは誰もが認めるでしょう。でもこの人間の中にも、このような素晴らしい犠牲的な愛をいだく者がいるのです。そして、この愛の源なる神を知るヒントを、彼らは提供してくれます。
神は、人間に何とか救いをもたらしたいと、はるか昔から聖書をとおし、また神に扱われた民族や個人を通して、神の愛を示し続けて来られたのです。

驚きのマゴットセラピー

三つめは神の救いです。神は人の姿をとり、イエスとなってこの地上を歩まれました。では実際にどのようにして、救いを実現してくださったのでしょうか。
マゴットセラピー、マゴット治療というのをご存知ですか、これはマゴットという虫を壊死した患部に載せると、この虫が腐っている部分だけを食べて取り除いてくれるのです。正常な細胞は全く傷つけずに、悪い部分だけを取ってくれます。おまけに殺菌力のある液を分泌して、消毒もしてくれます。麻酔を使わなくても処方でき、強い副作用もありません。他の治療と同時に行うこともできます。いいとこだらけですね。
ところでマゴットというと、マスコットみたいにかわいい感じがするのですが、実は日本語に訳すとウジ虫です。私は、初めてそのことを知ったとき気持ち悪くなりました。それは幼い時に、ウジ虫の湧いた動物の死体を見たことを思い出したからです。この治療法のデメリットは、患者によってはウジ虫に対して気持ち悪く感じることや、虫が患部をはいずり回るときの違和感といいますから十分うなずけます。
実はこのマゴットセラピー、数千年前のアボリジニやミャンマーで行われたという記録があるらしいので、さらに驚きです。これはまさに、人間の思いをはるかに超えた治療方法ではないでしょうか。

イエス・キリストによる救い

実に神は人間の罪を取り除くために、もっと信じられないような方法を取られました。人間を用いられたのではありません。この働きにふさわしい完全な人間はどこにもいません。また、地上にある動物や虫を使われたのでもありません。救いは神が人となられた、イエス・キリストによってもたらされました。
イエスの生涯がいかに完璧であったかは、新約聖書に記録されています。イエスは人間の罪をになって、十字架で処刑されました。それはあなたの罪をにない、あなたの代わりに裁かれるためでした。虫のようになって食べていったというのではなく、自らが虫けらのようになって、踏みにじられたのです。
この、まさにはるか高い神の方法について、あらかじめ旧約聖書の中で預言という形で知らされました。救い主が人間の身代わりに裁かれ、虐げられる様子の預言です。イエスの誕生の千年前に書かれたものです。

しかし私は虫けらです。人間ではありません。人のそしりの的民の蔑みの的です。

十字架によって罪の赦しのわざは成し遂げられました。神から引き離された所に行くことがないように、神自らが罪を背負って、のろわれてくださったのです。
それだけではありません。預言通りに三日目に復活され、救いの完全性がこの世界に示されました。それ以来考えもしなかったようなこの救いの方法が全世界に宣べ伝えられています。
あなたも是非、この創造主なる神様に立ち返り、イエス・キリストの救いを受け取ってください。心からお勧めいたします。


使用CDジャケット
福沢路得子:主の恵み語るは楽し

今日のみことば
わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、あなたがたの道は、わたしの道と異なるからだ。──主のことば──
天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いより高い。
(イザヤ55:8-9)