ごきげんいかがですか。尼川匡志です。
来年はオリンピックイヤー。2013年にIOC(国際オリンピック委員会)で東京にオリンピック招致が決定したのが、ついこの間のことのように思います。時間の過ぎるのは本当に早いものですね。
その間に、オリンピックに関する心配事がいろいろ出てきました。新国立競技場の設計や費用、シンボルマーク、競技会場を何処にするのか、担当大臣の失言など。
ですが、個人的に一番気になっているのは、競泳の池江璃花子選手のことです。
池江璃花子選手のことば
ご存知のように池江さんは今年の2月にご自身が急性白血病であることを公表されました。水泳ファンのみならず日本中の人が大きなショックを受けたことを覚えています。
発表の翌日から骨髄バンクへの電話が殺到しました。それを受けて池江さんは再度コメントを発表したのです。その一部を紹介いたします。
『昨日から沢山のメッセージありがとうございます。そんな中で皆さんにどうしてもお伝えしたく、更新させていただきます。皆様の励ましのメッセージの中に「骨髄バンクの登録をした」「輸血、献血をした」など、沢山の方からのメッセージを頂きました。私だけでなく、同じように辛い思いをしている方達にも、本当に希望を持たせて頂いています。私は、神様は乗り越えられない試練は与えない、自分に乗り越えられない壁はないと思っています。』
さて、彼女のコメントの中に『神様は乗り越えられない試練は与えない』という言葉がありました。これは聖書の言葉です。今日はこの言葉から考えたいと思います。元はこうです。
あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練に合わせることはなさいません。むしろ、耐えらるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。
脱出の道は完全でなければならない
この言葉は実に多くの人に勇気を与えてきました。私自身も何度も励まされた言葉です。
神は耐えられない試練を与えないんだ。試練とともに脱出の道を用意しているんだというのです。大切なのはこの脱出の道です。
あなたが遭難してボートで海を漂流していたとします。そこに、大きな船が近づいてきて助け上げられます。その船が安全な場所にあなたを送り届けてくれたらいいですが、もし奴隷船で、奴隷として繋がれることになったら、結局は危機から脱したとは言えません。
脱出の道とは本当にあなたを安全な所に導くものでなければならないのです。
イエスと親しい3きょうだい
さて、聖書の中にとても仲の良い3きょうだいの記事が出てきます。マルタとマリアとラザロです。彼らはベタニアというエルサレムから東へ3キロほど離れた村に住んでいました。イエスは彼らととても親しかったようです。
ある時、ラザロが病気になりました。数日寝ていたら回復するだろう考えていたのですがそうではありませんでした。どんどん悪くなっていく。
マルタとマリアは心配になりイエスのもとに使いを送ります。そして、「あなたが愛しているものが病気です。」そのように伝えるのです。彼らのイエスへの絶対的信頼がよく伝わってきます。この短いメッセージだけでイエスが最善をしてくださることを彼らは体験的に知っていたのです。
イエスはきっと取るものもとりあえず飛んで帰ってきてラザロの病気を治してくださる。彼らは信じていました。しかし、そうではなかったのです。イエスは使いが来てもなお二日間おられた場所にとどまっていた。そう書いてあります。
神は最上のものを与えられる
神は私たちがこうして欲しいと思う願いを、時に裏切られることがあります。そんな時には、是非、覚えていて欲しいのです。神は私たちが望んでいるものよりも遥かに素晴らしいものを与えようと準備しておられるという事実を。神は私たちを失望に終わらせるようなことはしたくないのです。
マルタとマリアの願いはラザロの病気が治ることでした。しかし、イエスが彼らに与えたいことはそうではなかったのです。
さて、ラザロは死にました。そして、墓に葬られて4日が過ぎた時、やっとイエスはベタニアに戻られたのです。そして、イエスはラザロを死からよみがえらせます。
マルタとマリアはイエスが病気を治されることは良く知っていました。しかし、死人をよみがえらせることは十分に分かってはいなかったようです。
彼らが求めた試練の脱出の道は病気が治ることです。しかし、神が与えたかったのは死人がよみがえるという事実。死んで終わりではないんだということでした。たとえ、病気が治っても死は必ず再び襲ってくるのですから。
脱出の道はイエス・キリスト
さて、試練は私たちの人生につきものです。その中で最大のものは死と向き合うことではないでしょうか。
その時、あなたに脱出の道が備えられているなら、勿論、諸々の試練が試練でなくなるとは言いません。でも、大きな安心があり、安全ではないでしょうか。神が備える脱出の道とは目の前の問題が解決するだけではないのです。
死をも突き抜ける完全な脱出の道を与えたいんです。イエスはそれを明らかにするために、ラザロが葬られて4日後に彼を死からよみがえらせました。
イエスは「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。」と言われました。
イエスこそが究極の試練の中での脱出の道なのです。その道は全知全能の父なる神のもとにつながる安全で完全な道です。
私たちは試練を望みませんが、もし、あなたが試練に遭われたなら、その時、見出すべき脱出の道はイエス・キリストであることを思い出していただきたいのです。心からお勧めいたします。
(1コリント10:13)