#1013 あなたではなく神です!

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。慶相龍です。

阪神タイガースの原口選手、27歳の若さで今年の初めに大腸がんの手術を受け、見事復帰して感動を与えてくれました。
ところで彼が大きな病を通して教えられたことについて話しているのを聞きました。二つの言葉が印象に残りました。
一つは「遅かれ早かれ、人間は死ぬんだ」もう一つは「人生は一度きり」この言葉でした。
若くて、強靭な肉体を誇るアスリートの言葉だからこそ、深い意味を持っていると思うのです。
聖書は語ります。キリストを信じるなら神とあなたを断絶する罪は解決されます。
一度きりの人生、死の恐怖から解放されます。死で終わらない永遠のいのちがあなたのものになるからです。
今日の聖書のことばです。

キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。

なぜ、キリストを信じるだけで、あなたは罪赦されるのでしょうか。三つのことを考えたいと思います。

キリストの十字架は完全

一つ目に、キリストの十字架は神があなたの罪を赦す方法として完全だから、あなたは罪赦されるのです。
十字架は神であるキリストの自発的行為なのです。いわば、十字架は神の思いがそのままなされた、神の心を満足させる行為なのです。
私はキリストを信じる前の大学時代に、パチンコ好きが高じて、悪徳高利貸しから借金をしました。返済するためにとても苦しんだのです。
返済が終わった時は、心に久しぶりの安堵と喜びが感じられました。
キリストは十字架で死なれる前に「完了した」と言われました。これは、支払いが終わった、という意味です。
完了したと言われたキリストの心には、どんなに大きな安堵と喜びがあったことでしょう。
キリストは実に、枕するような気持ちで十字架の上で頭を垂れたのです。あなた自身に特別な理由があるからではありません。
キリストの十字架があなたの罪を赦すための行為として、神の心に喜びと満足をもたらす完全なものなので、キリストを信じる時あなたは罪赦されるのです。

神は正しい方

二つ目に、あなたが正しい方だからでなく、神が正しい方なのであなたは罪赦されるのです。
先ほど借金の話をしましたが、学生としては返済するのに、あまりにも手ごわい金額だったのです。
返済できたのはなぜでしょう。恥ずかしい話なのですが、高利貸しからかかってきた督促の電話に、冷や汗をかきながら対応していた私を見た妹が、私の代わりに返済してくれたのです。
妹は成績がよかったのですが、私が大学に行くために自分は大学進学の道を諦めて、高校卒業するとすぐに勤めに出ていたのです。
一方私はろくに授業にも出ず、パチンコで借金まで作ってしまいました。こんな兄に兄妹愛を示し、借金を肩代わりしてくれた妹のおかげで、私はそれ以上、借金取りからは返済を要求されることはなくなったのです。
ところで、キリストはあなたの罪のためにあなたの身代わりにさばきを受け終えてくださいました。
それにも関わらず、神がさらにあなたにさばきを要求するとするなら、神は正しくない方です。
神はそのようなことを決してなさいません。神は正しい方なのです。あなたが正しい方だからではありません。
キリストがすでにあなたの身代わりにさばきを受けてくださったので、神はこれ以上あなたにさばきを要求しない、正しい方だから、あなたは罪赦されるのです。

イエスはペテロのために祈られた

三つ目に、罪赦されるための資格が無条件にあなたに与えられているからです。
キリストが自ら、十字架の上で私たちの罪をその身に負われたのは、私たちにどのような良いところがあるからなのでしょうか。
それについてこの聖書のことばの著者であるペテロは記録していません。
実はペテロは自分に何か特別に良いところがあるからではなく、キリストがただ無条件に、こんな自分を愛して十字架にかかってくださったことを知っていたのです。
イスカリオテのユダという弟子はイエスを裏切りました。銀貨30枚でユダヤ人にイエスを引き渡したのです。
その結果彼は、良心の呵責に耐えきれなくなり、自殺してしまいました。
ペテロもまた、イエスが十字架にかかられる直前にイエスを裏切るという大失敗をしてしまったのです。
しかし、イエスはやがてペテロがご自分を裏切ることを承知の上で、ペテロの信仰がなくならないようにと、あらかじめ祈ってくださってのです。
そしてペテロがイエスを決定的に裏切ってしまった時、イエスは振り向いて、ペテロを見つめられました。

ペテロを見つめるまなざし

2011年の3.11。東日本大震災による津波が東北地方を襲いました。
ある女子高生がお母さんと一緒に津波に流されていました。途中まで二人は近くにいたのですが、やがて遠く引き離されていったのです。
女子高生は言いました。「お母さんは私の姿が見えなくなるまでずっと私を見つめていた。」
娘さんを見つめるお母さんのまなざしには「死んだらあかんよ。また会おうね。」という思いが込められていたに違いありません。
自分のことではなく、ただ娘さんの行く末を案じるお母さんの愛が伝わってきます。
ところで、イエスはもうすぐ十字架にかかられ死ぬことになります。そして三日目に復活するまでの間、ペテロの前から姿を消さなければなりませんでした。
ペテロを見つめるイエスのまなざしは、こう語っていたに違いありません。
「ユダのように死んではいけない。あなたのために祈ったから、復活したらまた会おう。」ペテロが自分を裏切ることを承知の上で、そのペテロのために祈りとりなし、ペテロが実際に自分を裏切った時には死を目前にした自分のことよりも、ペテロの行く末を心配しペテロのために自ら十字架にかかったイエスは、間違いなく、無条件にペテロを愛しているのです。

無条件に愛されている

同じようにイエスはあなたがどのように罪深かろうと、どのように不敬虔であろうと、それでもあなたの行く末を案じ、あなたを罪から救うために十字架にかからずにはおれなかった方なのです。
あなたが救われる資格はあなたの中にはありません。
あなたが救われるのは、ただ神が無条件にあなたを愛しておられて、あなたが罪赦されるための資格を一方的にあなたに与えておられるからなのです。
そしてこの資格は、あなたが疑いを捨てて、イエスをキリストと信じた瞬間に、有効になるのです。
どうかご自分のものにしてくださいますように、心からお勧めいたします。


使用CDジャケット
Migiwa:十字架の上で

今日のみことば
キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。
(1ペテロ2:24)