#1012 二度現れるイエス・キリスト

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。

先日、私は、自分が所属する集会で聖書のお話をしていました。すると、そこに思いがけない方が現れました。いつもお世話になっている皮膚科の先生です。
その日は私を診察するためではなく、聖書のメッセージを聞くために初めて来会してくださったのです。私はとてもうれしくなりました。
ところで、聖書の中にキリストがこの世に現れた理由が書いてあります。しかも、キリストは二度現れると語る個所があるのです。こんな言葉です。

しかし今、キリストはただ一度だけ、世々の終わりに、ご自分をいけにえとして罪を取り除くために現れてくださいました。そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪を負うために一度ご自分を献げ、二度目には、罪を負うためではなく、ご自分を待ち望んでいる人々の救いのために現れてくださいます。

さて、今読んだ箇所にはキリストは二度現れるとありました。しかし、一回目と二回目では現れる目的が違うんです。
今日は、それぞれの目的についてお話しいたしましょう。

ゴミ収集という仕事

第一回目の到来の目的は、私たちの罪を取り除くためにご自分をいけにえにするために現れたと言うのです。
罪とは、神と人との間に壁となっている悪のことです。そして、この罪の故に人は死と死後のさばきが定まっていると厳粛な宣言が書いてありました。
しかし、喜ばしいことに、この恐るべき罪の償いを、キリストはご自分の命で果たすために、十字架の上で死んでくださったのです。
私は先日、『ゴミ収集という仕事 清掃車に乗って考えた地方自治』という本を読みました。
行政学の研究者が、東京の新宿区で、九カ月に渡って清掃員としてゴミ収集の現場を体験した記録です。
新宿区には歌舞伎町という日本最大の歓楽街があります。そこから出るゴミは想像を絶するものだったと言うのです。
実は、ゴミの収集車は小型プレス車というのが正式名称です。ゴミを押し板で圧縮しながら、最大約2t詰め込みます。
新宿区では車一台に付き作業員二名で作業し、一日に六台分を詰め込むよう作業量が決められています。
初めて向かった現場はファミリータイプのマンションです。容量いっぱいに、紙おむつなどを詰め込んだ袋が多く、雨を吸ってずっしり重いんです。
六十リットルのゴミバケツ一杯に詰められたごみを、投入口まで抱え上げて、ひっくり返す作業は、やってみないと分からない辛さだと言うんです。
更にプレス車の回転盤は、縄跳びに入ってくように、うまくタイミングを見計らって投げ込まないと、袋が地面に落ちてしまい、拾い上げるのに余分な体力を使うはめになるのです。
しかも、均等にタンクの中に押し込まれるように左右に投げ分けなければなりません。

危険や苦難を伴うゴミ収集

さらに、危険を伴う作業なんです。ゴミ袋の中には注射器、避妊具、下剤、人糞まで入ったごみ袋があるのです。
慎重に取り扱いたのですが、時間がそれを許しません。職員はみな、破傷風のワクチンを打って仕事をしてると言うのです。
スプレー缶や電池が入っていると、圧縮してるうちに爆発し、火災を起こすことがあります。
ひとたび火災になれば運転手や作業員が危険にさらされるのはもちろん、一台九百万円もする清掃車が廃車になってしまうのです。
ゴミの中にはルール破りのものが沢山あります。特に、きちんと水気を切っていないゴミは最悪です。プレスされるときに水分が飛び散るのです。
通行人にかかると取り返しのつかないトラブルになります。そこで作業員が身をていして盾となり、ゴミ汁の飛散を体で食い止めているのです。
さらに新宿区には焼却場がありません。タンクが満杯になった車は、指定された遠方の焼却場に向かうのです。
そして、作業員は、別の場所に待機している清掃車のもとに走るのです。
こうして二台の車を使いまわすため交通事情によってはどうしても待ち時間が生じます。
車の到着を待っている作業員を見かけた住民は「ちゃんと働け!」とクレームをつけてくると言うのです。
清掃車の運転手は収集作業が終わると翌日に備えて車をピカピカに洗います。臭いが出ないようにタンクの中まできれいに、丁寧に洗浄するんです。
ゴミという汚く、臭い、誰もが嫌がるものを運搬するのだから、車まで汚れていれば住民はいい気分にならないからだと言うのです。

罪というゴミを持ち去られる方

ところが心無い人は、からかうような言葉を投げつけてくるということがあるそうです。
しかし、もしこのゴミを自分たちの生活圏から運び出してくれる人がいなくなったら、私たちの町はどうなるでしょう。
街は汚れ、カラスが襲いかかり、臭いが立ち込め、不衛生になって、ハエやゴキブリやネズミが大繁殖し、伝染病蔓延のもとになります。
ゴミという不愉快なものを持ち去ってくれる人がいるので、私たちは快適な生活が出来るのです。
しかし、ゴミという不愉快なものを持ち去る仕事は、とても生易しいものではないのです。
実は、キリストは、人類が生み出す最悪、最暗黒のゴミである罪を、永遠の彼方に持ち去るため一度この世に現れてくださったのです。
物理的なゴミを背負うことが耐え難いことであるなら、罪という醜いゴミを、抱きかかえて持って行くということは、どんなに苦しいことでしょう。
しかし、キリストはそれをしてくださったのです。

クリスチャンが引き上げられる「携挙」

第二に、二度目に来られるときの目的です。
キリストは十字架で死んでくださり、墓に葬られ、そして三日目によみがえりました。そして、天に帰って、今私たちのために祈り執り成しておられます。
しかし、やがて二度目の到来があるのです。それは罪を負うためではなく、キリストを待ち望んでいる人々のため、すなわちイエスを救い主と信じた人々をこの世界から救うために来られるのです。
この世界での救いではなく、この世界からの救い、それをもたらすためにキリストは再び来られると言うのです。
この世界にいるすべてのクリスチャンを、一瞬にして天に引っ張り上げるため、空中まで迎えに来るために、キリストは再び来られると言うのです。
これを携え上げると書いて「携挙」と言います。これが起こった瞬間、世界中のクリスチャンたちは同時に姿を消します。
消えたのではなく空中まで引き上げられたのですが、他の人々にはあまりに一瞬の出来事なので、消えたかのように見えるのです。

キリストが迎えに来るという約束

ところで、私は一年の大半を講演旅行に使っています。二週間の度はざらです。三週間の旅行も年に3回はあります。全ての行程を終えて大阪に戻って来ると、さすがにへとへとになるんですね。
しかし、天王寺の駅に降り立つと、見慣れた白い軽自動車が停まっています。家内が駅まで迎えに来てくれるのです。
駅から家まで車で15分ほどかかります。しかし、家内は家でじっと待ってるのではなく、途中まで出向いて迎えに来てくれるのです。
それは大いに慰められることです。と言うのは、キリストの携挙を連想させるからです。
キリストはクリスチャンたちを、ただ天で待っているだけではなく、王であるキリストが、自ら空中にまで迎えに来てくださるのだと約束しておられるのです。
それが二回目の現れです。この二回目の表れを経験できるのは、一回目の現れの目的を受け取った人にのみ起こることなのです。
どうぞあなたも、このイエス・キリストを救い主として信じてください。心からお勧めいたします。


使用CDジャケット
向日かおり:十字架の上で

今日のみことば
しかし今、キリストはただ一度だけ、世々の終わりに、ご自分をいけにえとして罪を取り除くために現れてくださいました。そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪を負うために一度ご自分を献げ、二度目には、罪を負うためではなく、ご自分を待ち望んでいる人々の救いのために現れてくださいます。
(へブル9:26-28)