#1011 愛と慰めと望みの神

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。

さて、私たちの生活の中でもはや必需品となったもののひとつにスマートフォンがありますね。これさえあったら、電話になり、時計にもなり、地図になったり時刻表にもなる。持ち運び用のパソコンですから、すごく便利な道具です。唯一の欠点はバッテリーが消耗することですね。使えば使うほど電池は減っていきます。そこで、どの程度まで減ったのかを示すアイコンがアプリケーションとして開発されました。
初期のスマホでは、そんな目印はついていませんでした。でも、電池の減り具合が分からないと不便なので、一目でバッテリーがどの程度減っているか示すアプリが開発されたのです。開発した人は本当に頭がいいなと思います。
ところで、自然界にも同じようにバッテリーの消耗量を表示する植物があるということをご存知でしょうか。
じつは最近の研究で植物と昆虫との間で、すごいことが起こっているということが明らかになったのです。
花の蜜を集めているハナバチは花の作る電場をキャッチしているというのです。
ハナバチを相手にする植物は、大気中の電場を利用して、電流を起こし、花に蓄積しているのです。
ハチが花に止まって蜜をもらっていくたびに、花の電位が変化するのですね。
たくさんのハチが花を吸っていくと、それだけ花に蓄積された電位は下がっていくのです。
つまり花は、蜜があるかないかの在庫表示をし、ハチの方は花の電気メッセージを読み取って、蜜の在庫を素早く知ることができるようになっているのです。
スマホのバッテリー残量を示すアイコンは、偶然できたのではありません。アプリを開発したエンジニアがいるのです。
とするなら、花に蜜の残量を表示する電気的メーターは、これを設計開発した大いなる作者がいるということができるのではありませんか。
聖書はその作者こそは、あなたをお造りになった創造主なる神だというのです。

さてこの神について、聖書はより詳しく、次のように語っています。

どうか、私たちの主イエス・キリストと、私たちの父なる神、すなわち、私たちを愛し、永遠の慰めとすばらしい望みを恵みによって与えてくださった方ご自身が、あなたがたの心を慰め、強めて、あらゆる良いわざとことばに進ませてくださいますように。

ここでは、創造主なる神様を3つの観点で紹介しています。
第1に、私たちを愛する神。
ここで使われている愛とはアガペーという言葉です。それは神様から発した無条件の愛の事なのです。
私は年に何回か子どもたちに聖書のお話をする機会があります。小学校低学年の子供たちは、不思議に私に合うとある話題を振ってくるのですね。
「今日ぼくの誕生日やねん。」
「そうか。」
「ぼくなんか、昨日誕生日。」
「そうか。」
「わたしは、明日誕生日。」
とにかく誕生日が近い子は、それを黙っていることができないのですね。子どもは誕生日が大好きです。みんなに言いふらします。
どうして子供はそんなに誕生日が好きなのでしょう。それは、無条件で自分の存在を肯定してもらえる日だからです。そして、こんな日はほかにありません。
普段褒められたり喜ばれたりするのは、何か良いことをしたときです。
率先してお手伝いをしたとか、言われる前に宿題をしたとか、妹の分まで服を畳んであげたとか、とにかく何かいいことをしたときに、それと引き換えに褒められたり喜ばれたりするのですね。
それはそれでとても大切なことだと思います。しかし、誕生日はただ自分が自分だというだけの理由で喜んでもらえる日なのです。
そんな無条件の愛を、たった1日だけ味わえる日。それが誕生日です。
しかし、神さまの愛は1日限定ではありません。あなたが産まれてから、いままでずっと途切れなく神はあなたの存在を喜んで、愛を注いで来られた方なのです。

第2に、永遠の慰めを与える方です。
慰めという言葉は、ギリシャ語ではパラクレセオースという言葉です。このパラという言葉は、そばにいるという意味があります。
神様はいつもそばにいて、あなたに必要な支援を与えていかれる、これがパラクレセオース。そして、そのことをあなたにもしてこられたのです。その証拠にあなたが今生きておられるのです。
先日私は、何もしない自分を貸し出している人の本を読みました。レンタルさんと呼ばれている人なのですね。男性です。
彼はツイッターで「何もしないことを貸し出します。」国分寺駅からの交通費と、かかったときだけ飲食代を負担してください。飲み食いと、ごく簡単な受け答え以外何もしません。
そんな人と一緒にいたいですか。誰がこんなところに申し込むのかと思いきや、なんと1日30件も引き合いがあるというのです。
ある女性は、下の階のベランダに落ちてしまった自分の下着をとりに行くために、ついてきてほしいというのですね。女性ひとりで行くには心細い、といのは下の回の人は男性なのです。でも、男性と一緒に行ったら、下の回の人も下手なことをしないだろうというわけです。
またある人は、自分の裁判の傍聴に来てほしいというのです。裁判は被告も原告も嫌なものです。しかし、心細くなったとき、そこに自分のためにいてくれる人がその場にいるということだけで、何か力がでてくるのです。それが支えになるのです。別に気の利いたことをいうわけではありません。ただいるだけです。しかし、いるというこの存在の力が人を支えるのです。
神はいつも存在しておられる方です。存在しなかった瞬間が1秒もない方です。そのお方は、あなたを支えるためにあなたの傍らに立ってくださる方なのです。

第3に神は、すばらしい望みを与えて下さる方です。望みというのはまだ実現していない良きことについての約束を言います。
実は世の中で、人が何らかの活動に取り組むのはみな、何らかの希望に基づいています。
炎天下の中、一生懸命畑仕事をする農家の方々は、どうしてそんなつらい仕事ができるのでしょうか。
収穫の時が来ると、何十倍にも実がなるという希望があるからです。
神はすべての人に希望を与えて下さいました。それは例え死が訪れても、死の次にやってくるのが地獄ではなく、永遠の天国という希望です。
この希望は罪人の代わりに死んでくださったキリスト、死後に3日経って復活なさったキリストを自分の救い主として信じる人に与えられる希望なのです。
さらに、キリストは復活したのちに、天に昇って行かれました。それは天で私たちの住まいが用意出来たら再び迎えに来て下さるからです。
キリストが再び来られることを再臨と言います。その時クリスチャンたちはみな、新しい栄光のからだに変えられて、天に引っ張り上げられるのです。これこそ素晴らしい望みです。
どうぞあなたも、キリストの中にある神の愛、永遠の慰め、素晴らしい望を受け取ってください。イエスキリストを信じて下さい。こころから、お勧めします。


使用CDジャケット
大和田広美:ああ愛されて

今日のみことば
どうか、私たちの主イエス・キリストと、私たちの父なる神、すなわち、私たちを愛し、永遠の慰めとすばらしい望みを恵みによって与えてくださった方ご自身が、
あなたがたの心を慰め、強めて、あらゆる良いわざとことばに進ませてくださいますように。
(第二テサロニケ2:16-17)