おはようございます。高原剛一郎です。
さて、ケニヤ出身の女性環境保護活動家に、ワンガリ・マータイという方がいらっしゃいました。
彼女はアフリカ人初のノーベル平和賞を授与された人です。
砂漠化が進むアフリカの大地を緑の大地に戻すために、なんと5100万本以上の植林をする運動を指導したんですね。
ところで彼女は日本にいらしたとき、「もったいない」ということばに出会い、たいへん感激し、世界中に「もったいない」スピリッツを宣べ伝えるようになったんですね。
「もったいない」の語源
では、「もったいない」とは本来どういう意味なんでしょう。
実は「もったい」というのは仏教用語で、ものの本来のあるべき姿、という意味があるのです。
したがって「もったいない」とは、そのものの本来のあるべき姿ではない、あるべきところにいない、あるべきところから離れている、という意味になるのです。
まだ食べることができるのに、残飯として捨てるならば、もったいないことですね。
それは人のエネルギーになるために口に入るべきものが、ごみ箱に行くのは食べ物として本来の姿とかけ離れているからです。
人間にとって最ももったいないこと
ところで、人間にとって最ももったいないことは何でしょう。人間が本来あるべきところから離れたままに生きることです。
では本来、人があるべきところ、とはどこでしょう。あるいは、あるべき姿とは何でしょう。
それは人間を作られた神とともに生き、神の目的のために生きることなのです。
このあるべきところから離れた生き方を、聖書は「罪」と語るのです。
ある時キリストは言われました。「わたしは失われた者を捜して、救うために来たのです」。
失われた人とは、神から離れて生きるすべての人のことをいうんですね。
生きながら死んだ人
私は先日変わったニュースを読んだのです。ルーマニア人の、コンスタンチン・レリウという63歳の男性の話です。
彼は生きていながら、死んだ人として扱われているというんですね。
実はこの方は1999年に出稼ぎのためにトルコという国に行ったのです。
そしてそこに行ったのを機に、妻や子供、家族との連絡を一切断ち切ってしまったのです。家族のために生きることに倦み疲れたようなんですね。
家族はレリウさんと連絡を取ろうとしましたが、まったく居所がつかめません。そうして18年過ぎたのです。
しかし2017年、彼はトルコ当局に強制退去させられてしまいます。不法滞在していたことが発覚したからです。
やむなくルーマニアに送り返され、入国管理の窓口に行ったとき、彼は愕然とするんです。なんと「あなたはすでに死んでいる」と宣告されてしまったからです。
国を捨てたがための不幸
彼は期限切れのパスポートと尋問や血液、指紋認証をへて、ようやく本人と認められて国へ戻ることはできましたが、しかし本当の困難は国に戻ってから始まったのです。
どこに行っても雇ってくれないんですね。というのは、書類上死んでいるので雇えない、というのです。
そんなことならまたトルコに行って稼ごう、と役所に行きますがパスポートは再発行してもらえません。なぜなら死人はパスポートの申請などしないからです。
これでは生きていけないからと生活保護を申請しますが、却下されます。死人に生活費はかからないからです。
とうとう彼は裁判に訴えましたが、そこでも負けてしまいます。死亡申請の撤回期限である2年を過ぎているので、取り消しすることはできない、というのです。
彼は実在しています。息もしています。物理的には存在しています。
しかし、法的には死んだ人と認定されているため、生きていくことが限りなく困難なのです。
というのは、ルーマニア国民として生きていくのに必要な権利や保証は、あくまでも生きている国民にのみ適用されるものだからです。
彼は本来なら受けることができたはずの、さまざまな特権を一つも受け取ることができません。それは彼が死者として認定されているからです。
そしてこのようなめにあった直接の原因は、彼が国と家族を捨てたことが始まりなのです。国や家族が彼を追放したのではありません。彼の方から国と家族を離れていったのです。
そのため、国や家族から受け取ることができたはずの一切の祝福を受け損ねているというのです。
キリストはあなたを探しておられる
ところで神様は、あなたに素晴らしい祝福の計画をお持ちです。しかし、あなたはそれを受け損ねています。
それはあなたが創造主なる神様から離れ、神を無視し、神と絶縁状態を続けているからです。
しかし神様は天国であなたが帰って来るのをただ黙って待っているだけでなく、天から人となってこの世界に生まれ、あなたを探す救い主となってくださいました。この方が、イエス・キリストです。
キリストは、神との関係を失った人を探しておられる方です。
もしあなたが神を知らずに生きて来られた方であるならば、あなたこそキリストが探し求めている人なのです。
キリストはあなたの作者
ところで探すためには、探しているものの特徴を良く知っていなければなりませんね。
見たことがないものを探すことは難しいことです。何の情報もなしに迷子を捜すことはできません。
しかしキリストは、あなたを探す救い主です。
なぜ探せるんでしょう。あなたという存在の特徴を、キリストは誰よりも詳しく正確にご存じなのです。
そしてよく知っておられる理由は、キリストこそは、創造主こそはあなたの作者であられるからです。
作者は目的をもって作品を作ります。つまりあなたには、あなたならではの使命と目的があるのです。
この使命と目的の与え主は、作者以外にはありません。この作者から離れることは、本来あるべきところから離れているという意味で、文字通り「もったいない」ことなのです。
救い主キリストと出会う
私は自分の人生を振り返ったとき、最上、最良の日を覚えています。それは自分が神に愛され、受け入れられ、さらに私にとっての歴史的使命がわかった日です。
神がこの世で私という人間を使ってくださる目的が、明らかに分かった日です。これまで自分が導かれてきたすべての経験、すべての道がここに通じていたのだ、と悟った日です。
そのような気づきは、まずキリストとの出会いがスタートなのです。
キリストは私たちを罪と、罪の結果である地獄から救うためにこの世に来てくださった救い主です。
その救いは口先だけの教えによる救い、哲学的な救いでなく、私たちの罪を実際に背負って、あの2000年前の十字架の上で、私たちの身代わりの刑罰を引き受けることによる救いでした。
どんなに長く神様から離れていても、またどんなにひどい過去を生きてきたとしても、またどんなに深い罪を犯してきたとしても、そのすべての罪はキリストが代わりに引き受けて、ご自分のいのちで埋め合わせをしてくださったのです。
それからキリストは墓に葬られました。そして3日目によみがえりました。そしてそれを目撃した人々の証言が、新約聖書のことばなのです。
私はこの新約聖書の言葉をとおし、イエス・キリストの復活を確信しました。
もしキリストが復活したことが確かであるならば、キリストはただの人ではなく、神であるということになるのです。
どうぞあなたも、このイエス・キリストをご自分の救い主として、心に受け入れてください。心からおすすめします。
(ルカ19:10)