#1313 QOL爆上りのルール!あなたを引き上げる神

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。慶相龍です。

さて、外務省によりますと、現在、日本が承認している国の数は日本を含めて196あるそうです。国が変わればルールも変わります。世界には日本ではなかなか想像できないようなルールがあるのです。例えば、アメリカのフロリダ州では、日曜日の午後、独身女性はパラシュートで降りてはいけません。オハイオ州では警察官が犬を静かにさせようとするときには、犬に噛みついても構わないそうです。また、カナダでは飛んでいる航空機に乗り込んではいけません。何かこのようなルールが必要になった理由があるのでしょう。ところで、神の定めたルールもまた、この世のルールとはひと味違います。今日は神の定めたルールとそのルールがあなたに与える祝福についてお話ししましょう。
聖書のことばです。

罪の報酬は死です。しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。

神の立てられた3つのルールについて考えます。

罪の報酬は死

1つ目のルールは、罪の報酬は死というルールです。労働には対価としての報酬が伴います。同じように罪の解決を得ないまま死ぬなら地獄でのさばきが伴うのです。2011年3月11日東日本大震災が発生しました。津波の被害で多くの犠牲者が出ました。津波が来る直前の出来事についてある男性の話を聞きました。地震直後に自家用車で両親を迎えに行ったが、「津波が来るぞ。早く逃げよう」と言っても、「ここまで津波が来るはずないよ」と言って、両親は頑として避難しないのです。その結果、3月下旬にお母さんが遺体となって見つかりました。お父さんの行方は今も分かりません。もっと怒鳴りつけてでも、無理やり引きずり出してでも避難させたらよかった。この男性は後悔しきれなかったことでしょう。罪の報酬は死です。この聖書箇所は神の叫びです。一刻も早くキリストによる罪の赦しを受けよ。地獄はあるぞ。地獄に行くなよ。激しく叫ぶ神の愛のメッセージなのです。神はキリストを信じることによる罪の赦しと永遠のいのちをあなたに与え、あなたを地獄から天国に引き上げようと叫んでおられるのです。

身代わりOKのルール

2つ目に、身代わりOKのルールです。ある男性が自動車事故を起こしました。そして彼は現場から逃げたのです。ところが数日後、彼は警察に出頭しました。しかし、調査の結果、実はその事故を起こして、現場から逃げたのは、その出頭した男性ではなかったことが分かりました。犯人は彼の息子だったのです。男性は息子をかばおうとしたのです。息子は道路交通法違反の疑いで逮捕されました。日本では誰かが身代わりの刑罰を受けようと申し出たとしても、それによって犯罪者の受けるべき刑罰が帳消しになるということはありません。それを認めるための法的ルールがないからです。しかし、神のルールは身代わりOKなのです。ただし、身代わりになることができるのは罪のないキリストだけです。キリストは罪人の受けるべき罰を十字架で受けられました。キリストの十字架によって罪人から罪は取り除かれるのです。これはキリストが生まれる前から旧約聖書の預言で定められていた神の法的ルールなのです。イエス・キリストは十字架の上で「父よ、彼らをお赦しください」と祈られました。父よ、彼らの身代わりに私が今から死にます。あなたのお立てになった法的ルールに基づいて、彼らの罪をお赦しくださいという法的効力のある訴えだったのです。神は正しい方なので、この訴えをルールに則ってそのまま受理されました。キリストを信じるなら、神の法的ルールに基づいてあなたの完全無罪が永遠にわたって確定するのです。あなたは神の目から見て赦されない罪人ではなくなるのです。非の打ち所がないほど罪なき者へと引き上げられるのです。

あなたの人生を無駄にはさせない

3つ目に、あなたの人生を無駄にはさせないというルールです。これは、キリストを信じ、永遠のいのちを持つ人たちに、神が必ず守られるルールなのです。私はかつて、とあるメーカーの営業所で管理職をしておりました。いろいろな部下がいたのですが、中でも売り上げ目標を達成するだけではなく、営業所のために、そして私のために実に協力的に動いてくれる部下がいました。彼のボーナスを査定する時、私は幸せでいっぱいでした。売り上げ目標達成率の項目では本当によく頑張ってくれたなぁと感謝しながら査定しました。チームワークに関する項目では、彼は覚えていないかもしれないけれども、こんなこともしてくれたなぁ、あんなこともしてくれたなぁと思い出しては嬉しくなるのです。私はこんな部下を持っていることに幸せを感じました。
聖書の中でこんな箇所があります。

私たちはみな、善であれ悪であれ、それぞれ肉体においてした行いに応じて報いを受けるために、キリストのさばきの座の前に現れなければならないのです。

キリストを信じる者は、やがてキリストのさばきの座の前に立ちます。罰を受けるためのさばきではありません。勝利を勝ち取ったスポーツ選手が勝利の冠を受けようとして、壇上に上がるように、キリストを信じる人生を走りきった人は、報いを受けるために、キリストのジャッジの座の前に立つのです。「主よ、私がいつそんな良いことをしたというのですか」というような、自分も気づいていないような小さな行いまでも、キリストは満面の笑みを持って評価してくださるのです。キリストはあなたという一人の信仰者を持てたことに幸せを感じながら、あなたに対する報いを準備しておられるのです。新約聖書の多くの部分を書いたのはパウロです。彼は自分の人生をこのように表現しました。「私は自分の努力したことが無駄ではなく、労苦したことも無駄でなかったことを、キリストの日に誇ることができます。」キリストのさばきの座の前に立つその日に、あなたの努力も、あなたの労苦も全てが報われます。神はそんな人生をあなたに計画しておられるのです。勝利者だけが上がることのできるキリストのさばきの座という壇上に、あなたを引き上げて勝利の冠を与えてくださるのです。あなたを天国へと引き上げ、罪なき者へと引き上げ、報いのためのさばきの座の前へと引き上げるキリストをあなたの神、救い主と信じてください。心からお勧めいたします。

使用CDジャケット
大和田広美:なんて幸せなんだろう

今日のみことば
罪の報酬は死です。しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。
(ローマ6:23)