#1284 偏見を捨てて知った聖書が語る創造主

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。

皆様、こんにちは。実は、今、小学校でも英語が必修科目になったということで、全国的に子ども向けの英語教室というのが随分広がっているんですよね。先日、それをなさってる方のお話を聞くことができたんですが、体験入学ということでね、まだ幼稚園児の子を連れたお母さんがやって来たんです。
教育っていうのは興味と同居しないとあまり効果がないんですよね。クイズ形式で英語に入ってもらおうということでね、果物の絵を描いたカードを見せて、みかんだったら「オレンジ」とかね、りんご「アッポー」とかね、他に何ある…ぶどう「グレープ」とか言うてね、もも言うた時「バーミヤン」って言われたそうです。バーミヤンっていうのは確かに桃の看板を目印にした中華レストランのチェーン店なんですけども「ピーチが答えなのよ」っていうふうに言ったら、この子がね「そんなんバーミヤンがかわいそうや」って、訳の分からんことを言い出してですね、あの桃がピーチにならない。
実は人間っていうのは、慣れ親しんだものを手離そうとする時に、抵抗が湧き起こってくるんですよね。この子は長い間、桃はバーミヤンだと思っていた。いきなりピーチ言われても頭切り替わらなかったんですよね。子どもですらそうであるならば、実は大人というのはもっと保守的になりますからね。今まで自分たちがずっと慣れ親しんできた価値観や世界観と、真っ向から違うようなものバーンと出てきた時に、まず抵抗したくなるっていうのはこれは自然なことだと思うのです。
実はこの日本においては、バイブルの神を紹介しても「神?あんなのいないよ」とか「いるんだったら見せてくれ」とか、神なんかいないという人生観で生きてる方々がたくさんだし、そういう考え方に慣れ親しんでいると、聖書の神ということばを聞いた時に、何かこの得体の知れない抵抗感というのが湧いてくるんじゃないかと思うんですよね。

無神論教の信者

実は私もそうだったんです。私が本格的に聖書が語ってる神って「あっ、これ確かな存在じゃないかな」というふうに思えたのは、高校一年の夏休みなのです。その時、私はアルバイトしてたんですけれども、バイト先の先輩にクリスチャンがいたんですね。彼はいつもね、仕事のデスクのところに聖書をバーン置いてね、こう仕事してるんですけど、私はそれが聖書だということすら分からなかった。弁当箱だと思ってたんですよ。なんかねあの布製のねチャックのついてる物に入ってたからね、この人、そんな仕事中に弁当箱出して何考えてんねんと。聞いたらですね「高原君、これは聖書っていうんだよ。君、この際だから良かったら読んでみないか」っていうふうに勧められた時に「ああ、僕、宗教好きじゃないんで、僕、神様信じてないんで結構です」っていうふうに断ったのです。すると彼は「いや、君は神はいないと信じている。私はクリスチャンだから神はいると信じてるけれど、君は無神論教という宗教の信者ということもできるのではないか?私は神がいるという根拠があって信じてるんだけれども、君、神がいないと信じている以上、根拠を持ってるはずだ。だから、それについてちょっと説明してよ」っていうふうにね。そこから話が始まったんですが、うまく神がいないんだということを論証できるような、気の利いた話をすることができませんでした。

地球に関する聖書の記述

まあ敗北するのが嫌で「だったらあなたは神がおられるのだ。聖書は確かな書物なのだということを私が納得できるように説明できるんですか?」と言ったのが運の尽きです。いや運の尽きじゃなくて祝福の始まりですこれは。もうね、待ってましたとばかりにね、もうとにかくね次から次へと、なぜ聖書は真実なのかということを話をしてくれるんですが、その話、一番最初に聞いたのが今だに忘れることができない。それが今、お手元にある資料に書いてあるヨブ記なんです。このヨブ記っていうのは、今から3500年前、世界史で言うならば青銅器時代に書かれた古い書物。そのヨブ記の26章の7節1行目にこう書いてあるんです。

神は北を、茫漠としたところに張り広げ、地を、何もないところに掛けられる。

ここで言ってる神っていうのは、人が造った神々ではなく、人を、世界を、宇宙をお造りになった、この全天全地の第一原因者のことを神と呼んでいます。これが私の人生を大きく動かしました。この2行目、地って書いてますよね、地球という意味です。神様は地球を何もないところに掛けられるというふうに書いてあるんですよね。皆さんの玄関先には表札が掛かっているでしょう。なぜ表札が掛かってるんですか。フックがあるからです。フックがあるからそこに引っ掛けて、そして表札が掛かってるんですよね。
皆さん、地球上で一番重いものって何ですか?地球です。60兆トンですよ。この重い重い地球っていうのはいったいどこに掛かっているんだろうか。インド人はこう考えました。象の背中に乗っていると。象の足の地面どこやねんと。亀やって言うんですよ。ほお〜。亀の甲羅の裏側どこについとんねんと。蛇やって言うんですよ。バランス悪いん違うん?いや、とぐろ巻いた状態やと。蛇の下は何やねんと言わないんです。きりないから。大昔からこの地球というのは何にもない宇宙空間に浮かんでいるのだ。この60兆トンの重量のある惑星は浮いているのだということを、前もって語っているのはバイブルだけです。
しかも神は北を茫漠としたところに張り広げる。北を張り広げるというふうに書いてあるのですが、この張り広げるということばにはもう一つ意味がありましてね、傾けるという意味があるんです。
実は地球というのは地軸が23.4度傾いています。もし皆様のご自宅に地球儀があれば、地球儀全部傾いて、その角度は23.4度です。よっぽど安物でない限り。この若干23.4度傾いているので、赤道は暑すぎることなく、南極北極は生物が住める程度の寒さでおさまってるんです。地球というのは宇宙空間に浮いていて、しかも回転軸が北の方向に向かって少し傾いているのだということを、3500年前にすでに書いてある。

聖書は神によって書かれた

なぜそんなことを古代人が書くことができたのか。実はこれはヨブという人物を通して、この宇宙の設計者がことばを授けて書かしめたのだというのです。もし宇宙を設計し、地球をお造りになった方がいるなら、ご自分の造った作品に対して、正確なコメントを残すことができるはずです。
この聖書に書いてあることが荒唐無稽なことばかりであるならば「ああこれは確かな書物ではない。こんなものは信頼に値しない」ということになるんですが、聖書はどこを見てもどのページくってもね、科学が進歩すればするほど、聖書が前もって語っている事に科学の方が歩み寄っていくんですね。この世界には作者がおられる。宇宙を造った方、自然界を造った方、そして、あなたを創造された魂の親がおられるのだ、あなたの第一原因者がおられるんだっていうんですよね。さあ、この作者は作品のことを心にかけておられて、作者であるからこそ語ることのできるさまざまなアドバイスや生きる勇気の湧くことばが散りばめられているのです。
私は、初めてその先輩からこの聖書の話を聞いた時にね、何かが崩れたんですね。何が崩れたか。偏見が崩れ出したんです。今までは「ああ、神様?宗教の話でしょう。そういうのは弱い人間がやったらいいんじゃないですか。私は用が足りてますから」という態度だったんですが、いや強いとか弱いとか関係ない真理の書物です。
ぜひ、皆様にこの聖書の中身を知っていただきたいと思います。心からお勧めいたします。

 

使用CDジャケット
吉村美穂:天地創造

今日のみことば
神は北を、茫漠としたところに張り広げ、地を、何もないところに掛けられる。
(ヨブ26:7)