ごきげんいかがですか。慶相龍です。
私は、百人以上が働く事務センターに勤務したことがあります。女性の管理者が朝礼で大切なことを知らせるのですが、その声が小さすぎて、聞こえないのです。来る日も来る日も聞こえないのです。ついにスタッフの中から「聞こえません。」という声があがりました。翌日から彼女はハンドマイクを使って話すようになりました。スタッフは大切なお知らせを聞くことができるようになったのです。
ところで天地万物を造られた神もメガホンのようなものを使われることをご存じでしょうか。イスラエル国家あるいはイスラエル民族というメガホンです。神はイスラエルに対するお取り扱いを通して、目に見えない神が確かに存在しておられること、その神がどのような方であって、その神の前に、人間がどのように生きるべきであるのかを示す方なのです。いわば、イスラエルというメガホンを使って、全世界に大切なことを知らせてくださる方なのです。
今日はイスラエルに対する神のことばを通して、全世界の人々、そしてあなたに語っておられる神さまからの大切なお知らせをみてみたいと思います。
イザヤ書の41章14と43章4節から、抜粋してお読みいたしましょう。
恐れるな。虫けらのヤコブ、イスラエルの人々。わたしがあなたを助ける。—主のことば—
わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。
二つのことについて考えてみましょう。
自己肯定感の低さ
一つ目に、神はあなたに、折れない自信を与える方です。
虫けらのヤコブということばは、弱くてみじめなイスラエルという意味です。神は弱くてみじめなイスラエルを助ける、なぜなら神の目には、イスラエルは高価で尊いからだ、神はイスラエルを愛しているからだ、と聖書は語るのです。そしてこの聖書のことばは、神を信じるすべての人々に適応してもよい、神からのメッセージなのです。私はもともと自己肯定感の低い人間です。
自己肯定感の低い人間はちょっとした出来事で落ち込んだり、誰かの言った何気ない言葉をずっと気にしたり、周りの人の目をやたらと気にしたり、失敗をいつまでも引きずったりして、あまり自分のことを好きになれないという特徴を持っています。私はまさにそのような人間でした。自分の価値を自分で認めることができず、ありのままの自分を受け入れることができない人間だったのです。
折れることのない自信
ところで、私たちの脳は身近な人からの言葉ほど、強く受け取るそうです。そして自分にとって最も身近な人というのは、ほかでもありません。自分自身なのです。いつも心の中で「私には価値がないんだ。」と自分にメッセージを送り続けていると、たとえすばらしい評価や賞賛を受けたとしても、素直に受け取ることができなくなるというのです。かくして私も、人からのお褒めの言葉を素直に受け取ることができない人間でした。キリストを信じた後でさえ、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」という神のメッセージに感謝はするものの、どうしても弱くてみじめな自分に価値を認めることができなかったのです。自分を受け入れることが、できなかったのです。
しかし、神は「恐れるな。虫けらのヤコブ、イスラエルの人々。わたしがあなたを助ける。」と仰せられる方です。この神のご本性を知った時、私の目は開かれました。確かに私は弱くてみじめな人間だ、しかし神はそんな私を助けてくださると言う。いわば、私の弱さとみじめさは、神がその力を示すための道具として用いてくださるのだという事実に気づいた時、私は弱くてみじめな自分にゆるぎない価値を見出すことができたのです。心から自分を受け入れることができたのです。
何かができるという理由からくる自信というのは、それができなくなった瞬間にポキッと折れてしまいます。しかし、私は弱くてみじめだけど、それでもよいのだ、なぜならこの弱さ、みじめさこそ、神がご自分の力を示すための道具になるからだ。このような自己肯定感からくる自信は状況に左右されることがありません。この折れることのない自信を神はあなたに与える方なのです。弱くてみじめでも、恐れることはない。神はあなたを助ける。神の目にあなたは高価で尊い。神はあなたを愛しているからだ。聖書はそのように語っているのです。
『君がここにいるということ』
二つ目に、神はあなたに終わらない希望を与える方です。
さきほど、虫けらという言葉は、弱さ、みじめさを意味しているとお話しましたが、人間が最も自分の弱さ、みじめさを感じるのは死を目前にして、手も足も出ない自分に出会った時かもしれません。しかし神は、その死が目の前に近づいた時でさえ、恐れるな、と仰せられる方なのです。
先日、緒方高司さんという小児科医の方が書かれた『君がここにいるということ』という本を読んだのですが、その本の中で紹介されている一つのエピソードに深く心打たれました。エピソードの抜粋を原文のまま紹介したいと思います。
「みくちゃんに会ったのは、研修医一年目のことだった。私が勤めていた大学病院の小児科に入院してきたのである。しかし、今回は治療のための入院ではない。お腹のガンは、もう手の施しようもないくらいに大きくなっており、これが最後の入院になるということだった。ある日、病室に行くと、みくちゃんは算数の問題集をやっていた。まだ小学三年生なのに、四年生の問題集を解いていた。驚いていたら、ベッドサイドにいたお母さんは言った。小学四年生にもなると結構難しくて、訊かれても私もわからないことが多いんです、と笑っていた。余命わずかな我が子に、算数を教える母の心情に思いを巡らせると、私の心は激しく揺さぶられた。」
神はあなたに希望を与える
親が我が子に勉強させるのは、我が子が将来、より良い人生を送るための備えをさせるためです。ところがみくちゃんはこの時、もう間もなくこの世を去ろうとしていました。もちろんお母さんはそれを知っています。ここに、母親の愛を見るのです。お母さんは愛する我が子、高価で尊い我が子の命を、死を待つだけの命で終わらせたくなかったのです。あたかも未来のある命であるかのように、希望を持って過ごさせたかったのです。これが母親の心ではないでしょうか。
お母さんが我が子をそのように思うのと同じように、神はあなたのいのちを罪の結果である地獄の刑罰を待つだけのいのちで終わらせたくないのです。そして、あたかも、ではなく、本当に永遠の未来を、終わらない希望に満ちたいのちを、あなたに与える方なのです。神の目は、あなたは高価で尊いからです。神はあなたを愛しておられるからなのです。あなたの罪のために死なれ、葬られ、三日目によみがえったイエス・キリストを、あなたの神、あなたの救い主と信じてください。神による、折れない自信をご自分のものとしてください。永遠のいのちによる、終わることのない希望をご自分のものとしてください。心からお勧めいたします。
わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。
(イザヤ41:14・43:4)