#972 いのちに至る道―悔い改め

メッセンジャー似顔絵

おはようございます。高原剛一郎です。

先日、私は住宅販売で驚異的な売り上げを誇る伝説の営業マンの話を読みました。
この方はトヨタホームに勤務する菊原智明さんという方です。
実は彼は営業職として入社した時から、つくづく自分は向いていないと思い悩んでいたそうです。
と言うのも入社して7年間ほとんど売れず、7年連続最下位の成績で、いつ首になってもおかしくない状況が続いていたからです。
住宅展示場にわざわざ足を運んでアンケートを書いてくださるお客さんは、見込み客と言ってとても有望なお客さんです。
ところが、そういうところに行っても、彼が行くとどういうわけか門前払いをくらうのです。
元々地味なキャラで口八丁手八丁なんて絶対無理というタイプです。
しかも、どん底の成績の時に結婚し、またいろんな事情で新居までローンで購入してしまうのです。
もはや辞めるに辞められません。それより辞めさせられてはどうにもなりません。

一転トップセールスマンになる

追いつめられた心境で会社にいた時、たまたま休みを取っていた後輩のお客さんが来店されたのです。
そのとき彼には醜い考えが湧いてきたのです。このお客さんが購入しようとしている住宅の欠点を並べ立てて、後輩の商談をつぶしてやろうと思うのです。
彼はある意味張り切って購入にあたっての問題点をズバズバと指摘したのです。
するとお客さんは意外なことにその情報を喜んだんですね。
「私たちはそういう話を聞きたいと思っていたのです。よくぞ教えてくれました。」と感謝までされる始末です。
しかし、その時菊原さんは、はたと気づくのです。
実は会社の社内資料の中に、今まで家を購入したお客さんたちの失敗例についての資料が眠っていたという事を思い出すのです。
その資料に書かれてある失敗例は、これから家を購入しようとしている人にとってまさに知りたい事です。
同じ失敗を繰り返さないようにするために、失敗の前例程参考になるものはないからです。
菊原さんはこの資料を読みやすくし、それを包み隠すことなくお客さんに届けてみることにしました。
一体何が起こったでしょう。それまで年間契約数4件だったのが、3カ月連続でトップ成績のセールスマンになってしまったのです。
お客さんはみんなその失敗例の公開に、彼の誠実さを見て取ったのです。

有益な情報を提供すると信頼される

やがて彼は訪問件数を減らしていきます。訪問する時間が足りないほど次々とお客さんからの問い合わせが殺到したからです。
これらのお客さんは、みんな彼のことを信頼するお客さんが紹介してくれた人たちです。
そういう信頼で勝ち得たお客さんには競合する相手がいません。
何がなんでも彼に頼んで家を買おうと考えている人たちであるからです。こちらが必死に頼み込む必要がないっていうんですね。
私はこの話を聞きながら思いました。人は自分を幸せにしてくれる人に対して抵抗することは出来ない。
自分に真に有益な情報を、惜しみなく公開してくれる相手を信頼せずにはおれない。
自分に祝福をもたらそうと、できるだけの事をしてくれる相手の所には自然と足が向くのです。
実は、聖書の中には人間の失敗例、失敗の前例が次から次へと出てきます。
人間はどうすれば不幸になるのか、何を選んで回復したのか、特に不完全さや、醜さ、痛ましい現状について包み隠すことなく書いてあるのです。
これは人間を落ち込ませるためではありません。これら過去の失敗の例から、祝福の人生に至るための命の情報として神が教えてくださっているのです。
さて聖書の中にこのように書いてあります。

神のみこころに添った悲しみは、後悔のない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。

ここから三つのポイントでお話しいたしましょう。

罪人だから罪を犯す

第一に、人は皆、神の前に悔い改めを必要としている罪人であるという事です。なぜなら、すべての人は神に反逆した最初の人間の子孫であるからです。
私は先日BSの放送で、生まれながらに薬物依存になっている赤ちゃんの映像を見て本当に衝撃を受けました。
ウエストバージニア州のハンチントンという乳幼児専門の医療センターのドキュメンタリー番組を見たんです。
この病院にいる赤ちゃんたちは生まれた時からヘロインなどの依存症です。
赤ちゃんたちは皆震え、おう吐し、叫んでいます。大人の薬物離脱症状がそのまま赤ちゃんに起きているんです。
実はこの赤ちゃんたちは、胎児の時からお母さんが接種する薬物を、へその緒を通して受け取って来たのです。
つまり母親という自分のルーツが、薬物汚染しているためにその害悪を受け取って生まれてきた。その彼らにも薬物汚染が受け継がれていたのです。
それと同じように、全ての人は全ての人のルーツである最初の人間の罪を受け継いで生まれてきました。
従ってすべての人は、生まれた時から罪人なのです。罪を犯したので罪人なのではありません。
罪人なので罪を犯してしまうのです。いや、罪を犯さずにはおれないのです。

罪を自分で償うことはできない

第二に、その罪の刈り取りの問題を自分で何とかしようとするのは、世の悲しみ、不毛の努力で、それは死に至る道であると言っていることです。
聖書の中にイエス・キリストを裏切ったイスカリオテのユダという人物が出てきます。
彼は奴隷を売り買いする値段でイエス・キリストを当時の権力者たちに売り飛ばしてしまいます。
ユダはキリストからいじめられたわけでも、ひどい目に遭わされたわけでもありません。それどころか、12弟子の中でもとびきり愛されたのです。
ところが、ユダは自分の期待を裏切るイエス・キリストを裏切りで返し、当局者に売り渡してしまうのです。
これはまぎれもない悪です。徹底した罪と言えるでしょう。
しかし、聖書はそれ以上の罪があると言うのです。それはこの罪を犯してしまった後、ユダが悔い改めずに自分で自分を始末したことです。
彼は自殺しました。自分で自分を罰することで償おうと思ったのかもしれません。
しかし、このようなことは傲慢な事です。人は自分をどのように扱おうが、それでやってしまった罪を償ったことにはならないからです。

悔い改め赦しを願う

しかし第三に、神が望まれる道がここに啓示されています。それは悔い改めることです。
自分で何とかしようとする不毛の努力を辞めて、神の前に赦しを願うのです。
神は私たちがどんなにひどい罪を犯してもびっくりしません。たとえ本人がびっくりするような大それた事をやらかしたとしても神は驚きません。
神は人の罪深さがその程度のものでないということをご存じなのです。
しかし、この人間の罪の深さよりもっと深いものがキリストの中にはあるのです。それはキリストの十字架と復活による罪の赦しです。
私の罪は深いでしょう。しかし、キリストによる罪の赦しはもっともっと深いのです。
神はこの深い赦しをもって人生を新しくするという祝福をもって、あなたが帰って来るのを待っておられるのです。
どうぞイエス・キリストを信じ、心に迎え入れて、新しい命をいただいてください。心からお勧めいたします。


使用CDジャケット
Migiwa:悔いた心

今日のみことば
神のみこころに添った悲しみは、後悔のない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。
(第二コリント7:10)