#1327 イエスが与える3つの救い

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。那須清志です。

 最近、何度か2歳になる孫の世話を仰せつかりました。内容はワンパターンで、公園に連れて行き、走り回ってヘトヘトにさせ、帰りのバギーで適度な揺れを与えて眠気を引き出し、そのまま昼寝に突入させるというものです。彼がはまっているのが車のミニカーです。どこに行くにも持っていく、握ったまま眠る。並べて、眺めて、何かしゃべる、そんな感じです。その中でもお気に入りなのが「救急車」。先日、遊んでいた公園のすぐそばに救急車が来ました。孫にとっては喜びを与える車ですが、収容された人にとっては「救うために急いで来てくれた車」です。
 さて、次のような聖書のことばがあります。

神は、すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます。

 救急車は、怪我や事故、病気のトラブルの際、人を救います。では、聖書が語る「救い」とは何でしょうか。これは人間が願い、考え出した「救い」ではなく、神が提供しているものです。人間を含む天地万物を創造された唯一で真の創造主なる神がおられます。「神なんて信じない」と言う人さえ、創造主なる神がいのちを造られ、いのちを与えたお方は「魂の親」としてそういう人をも愛しています。その神が「人間の救い」を望んでいるというのですが、いったいどのような救いでしょう。救いの三つの面から考えていきましょう。

罪のさばきからの救い

 第一に「罪のさばきからの救い」です。すべての人は神から離れて、神が願う正しい行いができなくなりました。心の中をご覧になる神は、外見は立派でも、動機が不純だったり、見せかけの偽善の行為にも心を痛めます。義なる神は、人間のなしたあらゆる行為に対して、公平で、完全なジャッジを下されます。このきよい神の前に胸をはって出ることができる人はいるでしょうか。
「死後のさばき」というところまでピンと来なくても、自分のしてきたことを「悪かったなあ」と反省したり、悔んだりしている姿を見たとき、善を求める人間の心の複雑さを思わされます。
 先日、小・中学校時代の同級生に久しぶりに会いました。彼女が「一つ謝りたいことがある」と切り出したのです。小学校2年生の同じクラスだった時、私の前で『きよしこの夜』を歌って、私が泣いたと言うのです。私の名前は「きよし」というのですが、「プライドを傷つけてしまったのね」と分析していました。私は全く覚えていないので、びっくりしました。50年以上も前のことでも心にひっかかり、それを告げることで「すっきりした」と言う彼女の顔を見たとき、さらに驚きました。
 創造主である神はこのように「心砕かれている人」を救いたいと願っておられます。義のゆえに、死後のさばきを実行する方が、同時に愛のゆえに人間の救いを願っておられるというのです。

罪の体からの救い

 二つ目は「罪の体からの救い」です。根から切り離された草木は元気なように見えてもいずれは枯れてしまうように、神から離れた人間の行く末は「死」です。聖書によれば、最初人間が造られたときには「死」はなく、途中で人類に入ってきたものです。これまで、すべての人は死に、いつでもどこでも「死」はありました。だからといって、人間は「死」を受け入れているようには見えません。みんな死ぬのだから仕方がないとは思いにくく、起こってほしくない、といつも心は叫んでいるのです。「死」は人間にとって特殊で、異常なものであることを私たちの心は知っているのです。人を愛する神は、この痛み、苦しみ、それ以上に、死ぬものとなった人間そのものを救いたいと願っておられます。聖書は、「死」の解決について明確に語ります。人間は死なないと言っているのではなく、「死」を目の前にしても、諦めたり、恐れたりすることなく、次の世界へのステップとして静かに向き合うことができる新しい方法を提供しています。これは人間が造り出したあらゆる宗教の中にはありません。神が用意した方法だけから出てくるものです。

生きていく上での不安や迷いからの救い

 三つ目は「生きていく上での不安や迷いからの救い」です。創造主を信じているからといっていつも正しい行いができるわけではありません。神を知り、自分のすべきことがわかっていてもなかなかできない自分にあきれてしまいます。却って、神を知ってからの方が、自分の不完全さをより深く、身に染みて感じるということが多いです。神との関係、人との関係の中で多くの問題を私たちは抱えますが、その状態からの救いを神は望んでおられます。これは思い煩いが一切なくなるということではありません。病気にならないということでもありません。さまざまな問題の只中で、造り主なる神の助けを受けるということです。自分よりも自分のことをご存じで、いいところも悪いところも知った上で、最高のアドバイスをしてくださる神とともに歩むことができる、これが三つ目の救いです。
 これまでみた三つの面の救いを、神は一人の人を通じセットで用意されました。その方こそ「救い主イエス」です。いにしえから予告され、2000年前イスラエルに送られた救い主で、単に立派な人というよりは、神が人の姿をとって来られた特別な人でした。
 大阪万博の人気パビリオンの一つにイタリア館があります。友人は6時間も待って入ったそうです。大きなディスプレイに趣向を凝らした映像を映しているパビリオンが多い中、イタリア館の実物展示が注目されています。日本初公開の大理石のファルネーゼ・アトラス像、レオナル・ド・ダヴィンチ自筆のスケッチ、ミケランジェロ作の彫像、バチカンからの絵画など、本物を味わえる貴重な機会です。特に後者の二つはキリストに関わる芸術作品で、芸術にインスピレーションを与えた聖書の影響を感じます。
 万博会場に行けば、日本にいながら世界のことを味わえます。多くの国が日本に乗り込んできたからこそわかるんです。同様に、神は旧約聖書で予告していたとおりに、救い主をこの世界に送り込みました。それまで以上に詳しく神について語りましたが、この世界に来た第一の目的は人間を救うためです。預言どおりに十字架によって身代わりの死を遂げ、一つ目の「罪のさばきからの救い」をもたらしました。死後三日後、預言どおりに死を突き破ってイエスは復活しました。この新しい体による復活を遂げることで二つ目の「罪の体からの救い」の実例を示したのです。イエスはその40日後に、天に引き上げられました。地上からのアドバイスに代わり、信仰者たちの内に神の霊である「聖霊」を下すという次の段階に進むためです。その霊によって、信仰者は内側から慰められ、励まされます。まさに三つ目の「生きていく上での不安や迷いからの救い」をもたらしてくださいます。
 あなたもイエスを信じ、彼を通して与えられるこのような救いをぜひ受け取ってください。心からお勧めいたします。


使用CDジャケット
Migiwa:The Salvation Poem救いのうた

今日のみことば
神は、すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます。
(1テモテ2:4)