#1266 ペテロの失敗に学ぶ

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。尼川匡志です。

私は現在熊本に住んでいます。関西や関東への移動は大抵飛行機です。友人には飛行機以外の人が多くいます。理由は高所恐怖症だったり、鉄の塊が空を飛ぶのはおかしいという感覚的な理由だったりします。しかし、実は飛行機ほど安全な乗り物はないそうです。アメリカの国家運輸安全委員会によれば、飛行機で死亡事故に遭遇するのは0.0009% つまり100000分の1未満の確率だそうです。これは入念な安全点検の賜物であり、墜落事故機からブラックボックスを回収し、原因究明を徹底的に行ってきた努力の積み重ねの結果なんですね。つまり、失敗から学んできたと言えます。
さて、航空機事故は別として、人生の中に失敗はあっても良いのではないか。私はそう考えているんです。不必要なものではないからです。失敗のなかには人生を転換する力が秘められているんですね。今の時代、失敗を嫌い無難に生きようとする傾向が強いのではないかと思います。安全志向は確かに大切ですが、ただ安全を願って生きているなら、本当の人生の醍醐味、素晴らしさを味わえないんじゃないか。私はそう思うんですね。
聖書には人間の失敗がたくさん記されています。新約聖書でNo. 1のしくじり先生は、なんといってもペテロでしょう。今日はこのペテロの失敗のなかにある宝を見たいんですね。3つのことを考えながら進めていきます。

失敗までのプロセス

1つ目、失敗までのプロセスです。2つ目、失敗の理由です。3つ目、失敗のなかで見出した宝です。
それでは1つ目、失敗までのプロセスです。あえて失敗をすることをお勧めしませんが、失敗のなかには素晴らしい宝が詰まっています。多くの失敗は今まで経験したことがない、新しい一歩を踏み出した結果起こるんですね。ですから、不安がつきまとうのは当然です。しかし、もしあなたがいま神を信頼し、前進することをお考えなら躊躇せずにその道を一歩踏み出していただきたいんです。ペテロと同じように神はあなたを守り、素晴らしい体験をさせてくださることに間違いがないからです。
さて、私は大阪で信仰を持ち、奈良へ福音宣教のため15人の仲間たちと前進しました。60歳のとき家内と2人で宮崎に移り、66歳で熊本に引っ越したんです。福音宣教のためです。新しいことにトライするのですから、当然失敗もしました。倒れ立ち上がれないことだって多くありました。しかしその失敗と思えるなかにこそ、大切なものがあったんですね。ですから失敗は失敗とは言えないんではないか。神を信じる者には、失敗はないのかもしれない。そう思うんです。さて、あるとき弟子たちはイエスに湖の向こう岸に渡るように言われ、舟に乗り込み出発しました。あいにくの向かい風で舟は進みません。夜明け近くになり、イエスが湖の上を渡って彼らのところに近づかれたんです。彼らはイエスを幽霊と思い恐れます。イエスは言われました。「わたしだ。恐れることはない」するとペテロがイエスに言ったんですね。「あなたでしたら、私に命じて、水の上を歩いてあなたのところに行かせてください」と。「来なさい」と返されました。そしてペテロは舟から出たんですね。すごくないですか。嵐の湖ですよ。出たら死ぬ。それが私たちの常識です。ですが、彼は自分の常識ではなく、イエスのことばを信頼したんです。だから出ました。愚かに見える行為です。彼は神に不可能はない、そう信じたんですね。その結果、水の上を歩いた唯一の人間になりました。あなたは安全だと思っている場所から、神を信頼して一歩外に出ることができるでしょうか。簡単ではないんですね。しかし、それは間違いなくあなたの人生を変える一歩になるはずです。

失敗の理由

2つ目、失敗の理由です。ペテロは舟から出て水の上を歩きました。一歩また一歩、イエスに近づいて行ったんです。未知の体験でした。慎重に進んだんです。ペテロは自分の力で水の上を歩いているとは考えていなかったでしょう。信仰によってイエスの持つ神の力で歩んでいた。十分にわかっていたはずです。しかし水の上で歩こうという、自分の意思を働かせなければ前に進むことってできませんよね。右足と左足を交互に動かさなければならないんです。少し前傾姿勢を取り、進もうとしたから歩けたんですね。勝手にペテロの手足が動いたわけではありません。私たちは神の支えで生かされ、歩んでいきます。その時私たちは何もしなくてもいいのではないんです。自分の意思を働かせ、自分の力でしなければならないことだってあるんですね。ここに私たちが間違ってしまう理由があるような気がします。ペテロがこの時、どう考えていたのかはわかりませんが、ふと自分の力で水の上を歩いている錯覚に襲われたのかもしれません。それは不可能なことなんです。聖書には、風を見て怖くなったとありますが、風は見えませんよね。彼は自分の現状を見たのではないか。イエスを信じてというところから、自分の力でなんとかしなければならないと思ったような気がするんです。神ではなく自分の力で、そう考えた瞬間ペテロは沈みました。自分の力では不可能なんです。

失敗の中で見出した宝

3つ目、失敗のなかで見い出した宝です。イエスとペテロの間隔がどれぐらいあったかわかりません。しかし彼が沈んだ瞬間、イエスの手がペテロを掴んだんです。身体全体がイエスの腕一本にかかりました。完全にぶら下がった状態です。ペテロも自分の体重を感じたことでしょう。ゆっくりと引き上げられていきました。神の力強さを味わった瞬間です。これが神の力だと言うつもりはありませんが、イエスに握られた感覚をペテロは生涯忘れることはなかったはずです。イエスとペテロは舟に戻りました。舟の弟子たちは全員イエスに「あなたは神の子です」と告白しました。しかし舟の弟子たちとペテロとでは、体験したことがまるで違うんです。舟の弟子は全てを見ていました。それは幸いなことです。しかし、ペテロは神の力を味わったんですね。イエスが掴んでくださった手の感覚を間違いなく生涯の宝にしたはずです。イエスとともに歩む人生には失敗はない。私はそう考えています。失敗に見えることのなかに神を体験するという宝があるからです。キリストともに歩む人生に踏み出してほしいんです。舟から一歩、外に出てみてください。失敗はありません。神があなたを守ります。心からおすすめしたいと思います。

 

使用CDジャケット
国分友里恵:ガリラヤの不思議な人

今日のみことば
するとペテロが答えて、「主よ。あなたでしたら、私に命じて、水の上を歩いてあなたのところに行かせてください」と言った。
イエスは「来なさい」と言われた。そこでペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスの方に行った。
(マタイ14:28-29)