#1262 創造主へのアカウンタビリティを準備しよう

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。

さて、私は少年時代、漫画家の永井豪先生に熱烈なファンレターを出しました。大好きだったデビルマンの絵を描いて送ったんですね。すると、思いがけなくも返信がありました。そこに永井先生の愛読書が紹介されていました。ダンテの『神曲』という本です。この本を読んでデビルマンを描いたっていうんですね。さて、この本は地獄編、煉獄編、天国編の三部作です。当時はちんぷんかんぷんでしたが、クリスチャンになってから読んでみるといくつか発見があったんですね。ダンテは死後の裁きの世界を遍歴した後、最後に永遠の淑女であるベアトリーチェという女性に導かれて天国に行くという、そういうお話なんです。このベアトリーチェという女性は実在した人なのです。ダンテが幼少の頃に出会い心惹かれた少女です。しかし、彼女は24歳の若さで亡くなってしまうのです。彼の中には永遠の理想的女性のイメージとして彼女が焼き込まれていたんですね。優しくて美しくて賢くて清らかで、何よりも愛の結晶のような存在です。そして、このベアトリーチェこそは福音のイメージだったのです。ダンテは福音という救いのメッセージを究極の女性の姿で描いたんですね。福音の中には、神の優しさ賢さ清さ、そして、力強さが表わされているからです。そこで今日はこの福音をお伝えしましょう。

だれが、私たちを罪ありとするのですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、しかも私たちのために、とりなしていてくださるのです。

ここから3つのポイントでお話しいたしましょう。

人間は神に対して説明責任を負う

第一に、人間は神に対して説明責任を負う存在であるということです。ところで最近accountability(アカウンタビリティ)という言葉をよく耳にしますね。説明責任という意味です。主には企業が株主総会で一年間の経営実績を説明するときに使われる言葉ですね。
以前、クリスチャンの日銀総裁であった速水優さんという方が、このaccountabilityの元々の意味はバイブルから来ているのだとある新聞に書いておられました。株式会社は出資者である株主に対して、どういう経営を行ない、どんな成績をあげてきたのかということを説明する責任があります。事と次第によったら株主総会で経営陣の交代が決まるかもしれないんですね。株式上場の会社にとって株主総会は一番緊張する機会ですね。しかし、それを避けることはできません。義務なんです。それと同じように、人間は一人ひとり自分に人生を与え、能力を与え、チャンスを与え、命を与えたオーナーである神に対して、どんな人生を生きてきたのかを説明する責任があるというのです。そして聖なる神の前で、「私は神を尊び、人を愛し、完全な人生でした」と言える人は一人もいません。みんな罪人なんです。ところが聖書はこう語っているんです。だれが、私たちを罪ありとするのですか。私たちの罪を帳消しにするためにイエス・キリストが十字架にかかって、身代わりに死んでくださったので私たちの罪はすでに赦されいる。だれが今、私たちを罪ありとするのですかとクリスチャンの立場を語っているんですね。1997年の12月、ジュリア・ヒルという女性が突拍子もないことをしたんですね。高さ100mにも達する樹齢1500年のセコイアの木のてっぺんに登り、そこで738日間生活したんです。彼女はどうしてもセコイヤの樹木を守りたいという情熱に燃えていました。しかし、環境破壊が進むと1500年生き延びた木も枯れることがあるんですね。そこで、その辺り一帯を所有するパシフィックランバーカンパニーという会社に、この木の周辺60mに人が近づかず、開発しないエリアを設けるように申し入れたんです。そして、この要求を会社側が受け入れるまで、木のてっぺんに2年と8日間とどまり続けたんですね。嵐が来ようが雪が降ろうが、雨が降ろうが炎天下であろうが、木のてっぺんにマットレス置いてしがみつきながら生活したんです。地上スタッフによる食糧や必需品の支援を受けながら踏ん張ったんですね。とうとう根負けした企業が彼女の要求を全面的に受け入れた時、彼女はそこから降りてきたんですが、体重は激減し、すっかり別人のようにやつれ果てていたのです。
さて、キリストは私たち罪人のために十字架にかかってくださいました。神であるキリストは降りてこようと思えば、いつでも十字架から降りることができました。しかし、そうなさらなかったんです。ご自分のいのちで私たちの罪の償いを果たし終えるまで、キリストは十字架から降りなかったのです。実に、キリストの体を十字架にとどめたのは釘ではなくあなたへの愛だったのです。

キリストはよみがえられた方

第二に、キリストはよみがえられた方です。復活することにより、十字架が敗北ではなく死に対する勝利の技であるということを証明なさったのです。
実は、キリストが十字架にかかる前日の夜、最後の晩餐という食事会が行われました。その席にはキリストを金で売った裏切り者のイスカリオテ ユダがいました。そして、この食事のあと数時間後にローマの兵士たちがイエスを逮捕しにやってきた時、残りの弟子たちもみんなイエスを置き去りにして逃げていったのです。つまり、最後の晩餐というのは、弟子たちにとっては思い出したくもない苦い思い出であるはずの出来事なのです。ところが、弟子たちはこの最後の晩餐を再現した礼拝を、毎週毎週毎週行うようになったんですね。しかも悲しみの時間としてではなく喜びの時として、この礼拝、聖餐式を行ったんです。もし、キリストが死んだままで復活がなかったなら、喜びの時になるでしょうか。トラウマになって、とてもできないはずです。しかし、トラウマにはならず喜びの時に変えられたのは、弟子たちがよみがえったキリストと出会ったことによる変化なのです。

キリストは今もとりなしてくださる

第三に、キリストは今もとりなしていてくださる方です。父なる神様の前で私たちのことを「彼らはわたしを信じたクリスチャンです。わたしの子どもです。わたしの友です」と宣言し推薦してくださっているお方なのです。
ところで、東京タワーのネーミングは一旦公募されたんですね。その時、得票数的には『昭和塔』というのがナンバー1でしたが、結局、東京タワーになったんです。また、高輪ゲートウェイ駅の駅名も一番人気は『高輪』、二番人気は『芝浦』、三番人気は『芝浜駅』でしたが、結局、高輪ゲートウェイというそんな駅名になったんですね。つまり、応募したみんなの思惑は無視されたんです。しかし、誰もそれにケチをつけることはできませんでした。なぜなら東京タワーも、高輪ゲートウェイも、民間企業の持ち物だからです。最終的にはオーナーが決めるんです。オーナーが決めていいんです。オーナーの決定こそは鶴の一声なのです。キリストはご自分を信じる人をご自分のものとして宣言してくださる方です。キリストはキリストを信じることで神の子とされたこのものたちを愛して、そして、天国で推薦し、とりなしていてくださる方なのだというんです。
どうぞ、あなたもこのイエス・キリストを信じて、永遠のいのちをいただいてください。心からお勧めします。

 

使用CDジャケット
松本優香:もうひとつの実を望まれ

今日のみことば
だれが、私たちを罪ありとするのですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、しかも私たちのために、とりなしていてくださるのです。
(ローマ8:34)