#1090 全知全能の神による希望

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。

さて今年は一年延期された東京オリンピックの年ですね。このオリンピックや世界選手権の水泳競技をテレビで観戦すると、選手たちが泳いでいる画面上に動く線が表れますね。選手が線より速ければ、世界新記録になります。これは視聴者向けの演出なんですね。しかしこのラインが、選手自身に見えていたらどうでしょう。目標が可視化されて選手も踏ん張りやすいんではないでしょうか。
そのように考えた世界陸連が昨年十月七日に実験を行ったのです。スペインのバレンシアで行われた世界陸上競技大会で、男女のトップランナーに世界記録を狙わせるために、トラックの内側にライトが点滅する装置を設置したのです。世界記録ペースをグリーンのライトで知らせるのです。その結果、男子1万メートル、女子5千メートルで、世界新記録が達成されたのです。狙い通りの効果が出たんですね。
このペースで走るなら、自分は人類が誰も走ったことのないスピードで走ったことになる。つまり人類最速人間になれるという希望が、選手の力を引き出したといのです。このように希望には人間を奮い立たせる力があるんですね。
聖書の中に次のように書いてあります。

あなたがたは、キリストを死者の中からよみがえらせて栄光を与えられた神を、キリストによって信じる者です。ですから、あなたがたの信仰と希望は神にかかっています。

聖書が人間に与える希望は、神に支えられた希望だ、と語るのです。それは一体どんな希望なんでしょう。三つのポイントでご紹介しましょう。

自分のルーツからくる希望

第一に、人間存在に尊厳を与える希望です。
なぜなら、すべての人は最も崇高なる存在である神に似せて造られたからです。つまらないものに似せられたのではありません。最も高貴なる存在に似せて造られたのが、人間なのです。
以前「落ちこぼれの天使たち」という映画を観たことがあります。実話をもとに作られた映画です。南カリフォルニアのヒスパニック系移民が住む貧困地区の高校に、新任の数学教師が赴任して、希望を見出せないでいる落ちこぼれの生徒たちに数学を教え、全員を大学合格にまで導いていくという映画です。
初めは学級崩壊状態でどうにもならない教室ですが、主人公の教師エスカランテのひと言が、生徒たちの心をがっちり掴むんですね。クラスの問題児エンジェルにエスカランテが質問するんです。「-2+2はいくらだ。」
あんまり簡単な質問で馬鹿にされたと思ったのか、そっぽを向いて答えないんですね。しかし、あんまりしつこく訊くので、吐き捨てるように「ゼロだよ。」と答えるのです。
「その通り、-2+2はゼロだ。このゼロをギリシャ人もローマ人も知らなかった。無の概念を知っていたのは、君たちの祖先マヤ人だ。君たちには古代文明数学者たちの血が流れているんだぞ。」
その瞬間、ふてくされていた生徒たちの目がきらりと輝いて「おいおい、このおっさん何でも知ってるぜ。」とクラス中が高揚するんですね。これが授業成立の始まりとなったのです。それまで生徒たちは没落民族の成れの果てで、どんなにがんばったって結果は決まってる、つまらんルーツから出た自分たちは、つまらんものにしかなれないと諦めていたのです。しかし自らのルーツに誇りを持てるように鼓舞されたことで、彼らの向学心に火が付いたんです。
ところで、あなたのルーツは誰だかご存じですか。神です。バイブルの神です。人間のルーツをずっとさかのぼっていくとアダムとエバにまで行きつきますが、そのアダムとエバをお造りになったのは全知全能の神です。
その創造主にして最も崇高なる神が、あなたのたましいの親、あなたをお造りになられたのです。私はこの事実を思う時、心の奥深いところから、力が湧いてきますね。

死からの復活の希望

第二に、死からの復活の希望です。
キリストは一度、死んでくださいました。しかしそれは病院のベッドではありません。たった三本の釘で、十字架にはりつけにされる、惨たらしい死を経験されたのです。
先日私は、約束をテーマにしたエッセイで、最優秀賞を取った方のエッセイを読みました。彼女のお父さんはとてもまめな人で家のカレンダーに自分の予定を書き込むというのが習慣になっているという人でした。やがてカレンダーからスマホの予定欄に移り変わっていくんですが、そんなお父さんが、ある時、急性白血病という病気になり、たった二ヶ月の入院の末に亡くなってしまうのです。しかも亡くなった日は彼女の誕生日の前日でした。
亡骸を前にお母さんと三人の子どもたちが思い出を語り合っていた時、突然お父さんの携帯電話が鳴ったんですね。「おかしいな、もう解約したのに。」といぶかりながら携帯を見てみると、予定を知らせるアラームだったのです。「今日、さとみの誕生日を祝うメールを書くこと」しかもその予定を書き込んだ五日前は、お父さんが最悪の体調の時であったのです。苦しみの絶頂の中で、娘の誕生日を祝うことを打ち忘れないように、予定メモを書き込んでいたというその父の姿を思った時、涙が止まらなくなった、と書いてありました。
ところで、キリストは十字架の苦しみの断末魔の中で、どうなさったかご存じですか。ただ歯を食いしばって黙っていたのではありません。キリストは、祈られたのです。あなたのために、祈られたのです。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか自分でわからないのです。」と神にとりなしてくださったのです。この祈りに応えて、神はあなたの罪を、すべて赦されました。それはキリストのいのちの償いの故です。
このキリストの償いを受け入れた証拠として神はイエス・キリストを、死後三日目に復活させなさったのです。死からの復活の希望、これこそは人類に与えられた最も大きな希望だと思います。

再び来られるという希望

第三に、キリストは再び来られる、という希望です。
復活してオリーブ山から天に帰ったイエス・キリストは、また、キリストを信じた者を迎えるためにやって来られるという約束を与えました。これをキリストの空中再臨による携挙と言います。その時すでに死んだクリスチャンたちはよみがえり、生きているクリスチャンは死を経験することなく、栄光のからだに変えられて天に帰って行くのです。
聖書の中で繰り返し、繰り返し、保証され、強調されている約束、それはキリストは再び来て、またクリスチャンたちを迎えに来るという、この約束なのです。
どうぞあなたもイエス・キリストを救い主として信じてください。そしてこの生ける希望を受け取って、希望ある喜びの人生の中を生きてくださいますように、心からお勧めいたします。


使用CDジャケット
ノア:希望があるから

今日のみことば
「あなたがたは、キリストを死者の中からよみがえらせて栄光を与えられた神を、キリストによって信じる者です。ですから、あなたがたの信仰と希望は神にかかっています。」
(1ペテロ1:21)