ごきげんいかがですか。那須清志です。
私たちの身のまわりに、創造主なる神の配慮や知恵を多く見出すことができます。また私たち自身が神の偉大な知恵を秘めているのです。普段何気なく行っている呼吸を取り上げて考えていきます。
よく、空気がないと生きていけない、と言いますが、いくらまわりに空気があってもそれを肺に取り入れることができなければ、ガス交換ができません。ところが肺自体は自力で膨らむことができないのです。膨らんだゴム風船がしぼむように、ある程度自然に肺は縮みますが、呼吸のために絶えず肺が働くためには、肺のまわりの筋肉が必要になります。その筋肉をまとめて、呼吸筋といいますが、なんと20種類以上もあるそうです。それも肺を膨らませる筋肉と縮ませる筋肉は異なっていて、みごとなコンビネーションで働いています。
からだの筋肉は元々白筋と赤筋の二種類あります。白い筋肉と書く白筋は、早い動き、瞬間に大きな力を出す筋肉で、陸上の短距離選手に割合が多いそうです。一方、赤い筋肉と書く赤筋は、ゆっくりした動きが得意で持久力があり疲れにくく、マラソン選手に多いのです。
さて呼吸筋の中の肋間筋は、他の筋肉と違いほとんど赤筋だけでできてるそうです。とても不思議なことである医学博士は次のように言っています。「私は肋間筋という呼吸筋は、ある意味選ばれた筋肉なのだろうと思っています。もしかすると息の出し入れを末永く続けていくために、人間を造った神さまがここだけを特別仕様に設定したのかもしれません。」と。この博士がどのような神をイメージしているのかはわかりません。しかし、その知恵や人間に対する配慮を思うとき悪い気持ちはしないと思います。
死や罪という問題
さて、聖書が語る創造主について考えるとき、一つの大きな問題にぶつかります。次の聖書のことばから考えていきましょう。
罪からくる報酬は死です。しかし、神の賜物は私たちの主イエス・キリストにある永遠のいのちです。
問題とは、罪とか死のことです。それを考えるのは、誰も好みません。しかし聖書は人間の罪、そしてそれがもたらす永遠の死について厳粛に語ります。
ここでいう罪は神の目から見た不完全さという意味です。人間は創造主を見失い、不完全な罪ある者となってしまいました。
人の基準
新型コロナウイルス問題のために、国民一人当たり10万円が配られました。その支給のための事務作業のたいへんだったこと。
もし収入減の人は書類不要で一人一回10万円取りに来てください、ってすめばどれほど早く必要な人に支給できたでしょう。でもこれはあり得ないことです。うまくいかないどころか、とんでもない混乱をもたらすと想像できるでしょう。そう、人はそれほど正直ではないのです。
私はそんなことしない、と多くの人は言うでしょうし、その通りと思います。でも他の場面、他の状況だったらどうでしょう。10万円はひどいが百円くらいならいいだろう、と思うかもしれません。十円だったら。あなたは1円もごまかしたことはないでしょうか。どれぐらいだったら許されるか誰が決めるんでしょうか。どこまでなら大目に見ても問題ないか、という線は個人の感覚で、人によって基準はずいぶん違います。
神の基準
ここで、神の基準を考えてみましょう。この地上に存在した人の中で最も自分に厳しく正直で表裏のない人と比べても、はるかに優る完璧な倫理観を持っている方が、聖書が語る正義なる神です。その神の前に人間は不完全だというのです。
実は心理学の実験によっても、人間のいい加減さは裏付けられています。今から百年前、8歳から16歳の子ども1万1千人に対する実験が行われました。テストでごまかせたり、わずかなお金を盗めるような状況を作り出したりしておくと、一度でも嘘をついたり、だましたりした子どもはなんと、93パーセントに及びました。
当初、学生たちは一定の道徳的性格を見つけることができると思っていましたが、実際には同じかたちではないにしても、ほとんどのいわゆる良くない行いをしていたのです。また、より良い数値が出た子どもたちは教会の日曜学校に行ってるなど、道徳的教育を受けている者だろうという予想も当たりませんでした。どんな子どもも環境によって左右され、特に仲間の大きな影響を受けます。嘘つきな子とか正直な子とか、きちんと分けることができず、ある時は嘘をつき、ある時は誠実にふるまいます。環境、生育状況、教育に影響を受けるし、同時にそれによってはどうすることもできない部分もあるというのです。このような実験は人権を重んじる今日では行うことはできません。しかし、残っている実験結果は人間の不完全さを残念ながら裏付けているのです。
神は愛なる方
こんなふうに考えていくと気が滅入ってしまいそうですが、大丈夫です。心配いりません。聖い神は同時に愛なる方です。神はそのような人間に対して、解決策を持っておられます。
今日の聖書のことばの後半に「神の賜物」とあります。神はこの人間に対してプレゼントを用意されました。それが罪の赦しであり永遠のいのちです。神は罪をうやむやにしたり、見過ごしにされたのではありません。あなたの不完全さは罪として責められ裁かれます。
しかし、その裁きがあなたの上に起こらないように、イエス・キリストがこの世界に来られました。イエスが十字架の上であなたの身代わりに裁かれてくださったのです。この地上では心から謝って行いを改めることと罪の刑罰は別です。罪を悔い、反省の態度が見えるならば、刑罰は減ることはあっても、刑罰が全くなくなるということはありません。
しかし、神が用意した救いは違います。心から謝って、救い主を信頼するのであれば、イエスの救いのわざが有効となります。イエスは身代わりにすべての刑罰をすでに受けてくださったので、死後、神の前では二重に裁かれることはないのです。
イエスが引き受けてくださる
新型コロナウイルスに感染し、重い肺炎になった患者のためにエクモという装置が使われています。これは体外式膜型人工肺という肺の働きをする機械です。コロナウイルスに特効薬のない現状で、機械を人間につなぎ、血液を取り出し、二酸化炭素と酸素を交換するのを続けていきます。傷んだ肺が働かなくてもいいようにして休ませ、回復を待つのです。
イエスの十字架の働きを思い起こしました。私たちができなくなったことをイエスは引き受けてくださったのです。あなたとつながり、あなたの罪を担いあなたへの裁きをイエスが受けてくださいました。私たちが何もできなかった時に、また何が起こっているかわからなかった時にイエスは黙々と私たちも罪のために、救いのわざを成し遂げてくださいました。イエスは十字架の後、三日目に死から復活されて、いのちの希望を人間に示しました。神のプレゼントはこの地上のいのちに優る、永遠のいのちなのです。ぜひあなたも、このイエス・キリストのわざを信頼して、神の完全な救いというプレゼントを受け取ってください。心からお勧めいたします。
(ローマ6:23)