#1307 クリスチャンにとって死は天への門

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。

ところで、ある生物学者によると人類の歴史は伝染病との闘いの歴史なんだそうです。14世紀のペスト、16世紀の梅毒、20世紀のインフルエンザで、人類は世界大戦クラスの死者を出してきたんです。そしてエボラ出血熱はエボラウイルスによって引き起こされる伝染病です。致死率85%以上でいまなお特効薬はなく、全世界で恐れられています。
ところで、このエボラウイルスというのは新種のウイルスではないんです。昔からオオコウモリに寄生していたんです。したがってこうもりを食べたり、これに感染して死んだ猿やこうもりと接触することで人間にうつり、また、うつった人間の血液や体液に触れることによって人から人へと感染していくんです。
ところで、現代医学でもお手上げのこのエボラ出血熱に対して、聖書は今から3500年前にその予防法を語っているっていうんです。旧約聖書のレビ記11章に、鳥の内でこれらは忌むべきもので食べてはならない。すなわち、こうもりなどであると書いてあるんです。またこうもりなどの食用を禁じられている動物の死体には触れてはならない。触れる者は夕方まで汚れるとあって、接触を避けることを命じています。
さらに申命記14章というところには、あなたがは自然に死んだものをいっさい食べてはならないとあります。生物の病気が人に感染することを見通しているような勧めです。さらにどのような人の死体にも触れる者は七日間汚れるとあるんです。もしこの聖書のことば通り、こうもりを食べず、死んだ動物を触らず、エボラ出血熱で死んだ人の体に触れなければ、今、私たちが見ているような感染拡大はありませんでした。
実際、このルールを厳格に守っているユダヤ人たちは全くこれに感染していないといわれているのです。今、私が紹介した旧約聖書のことばはウイルスはおろか伝染病の概念すらなかった時代に書かれたものです。しかし、現代医学の知識に照らして見たとき、実に合理的、実践的な正しい対処方法なんです。どうして、ウイルスの存在を知らない時代の人がこんなことを書くことができたんでしょう。それは聖書が人間の知恵による宗教の本などではなく、人間をお造りになった創造主のことばであるからです。
さて、この聖書は伝染病の予防をテーマに書かれたものではありません。最大のテーマは死の解決は完成したという喜ばしいお知らせなのです。キリストが十字架にかけられた時、同じように隣で十字架処刑されている犯罪人がイエス・キリストに話しかける場面があります。このように書いてあります。

「イエス様。あなたが御国に入られるときには、私を思い出してください。」イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」

ここには死を目の前にしている人にも永遠の救いを与えるキリストの救いが紹介されています。
ここから三つのポイントで死に打ち勝ったキリストの福音をご紹介いたしましょう。

ただ信じるだけで救われる

第一に、息を引き取る直前まで人には救われる望みがあるということです。両手両足を釘づけられたまま垂直に木に吊るされている死刑囚は出血多量と呼吸困難に陥りゆっくりと、しかし確実に死を迎えます。もはや逃れることはできません。死の恐怖で彼は気も狂わんばかりであったことでしょう。しかし、目の前のキリストがまるで自分一人のためであるかのように祈ることばを彼は聞くのです。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」それは確信に満ちた祈りでした。私に代わって、私の罪の赦しを勝ち取るキリストを彼は単純に信じたんですね。そしてキリストは、この単純に信じる人を100%救うことがおできになるのです。
C・S・ルイスという人は自らも余命いくばくも無い状態で、もうすぐ息を引き取る人にこんな手紙を送っています。「痛みは恐ろしいものですが、そのうえ不安まで抱く必要はないと思いますよ。私たちは何かを恐れるからもがきます。でも、多くの場合むしろ逆です。私たちがもがくから恐ろしいのだということを心に留めてください。あなたは今も、もがいたり抵抗したりしているのですか。私たちの主が『安かれ、子よ、安かれ。しがみつくのをやめなさい。あなたの下には永遠の腕がある。手を放しなさい。私があなたを抱き留めてあげる。あなたはそれくらいしか私を信じていないのか』そうおっしゃっているとお考えになった事はないでしょうか」そんな手紙です。キリストを信じた人は、たとい恐れていても大丈夫です。キリストへの信仰があなたを救うのではなく、キリストご自身があなたを救ってくださるからです

死は絶望ではなく開放

第二に、クリスチャンにとって死は絶望ではなく解放なのです。それは縛り付けられていたものが自由にされることです。閉じ込められていたものが開かれて外へはばたくことなのです。十字架によって苦痛にさいなむ体を脱ぎ捨てて、まるで蛹が殻を脱いで蝶になるように自由に楽に美しくなること、それがクリスチャンにとっての死なのです。

死は天国に入ること

第三に、クリスチャンにとって死とは終わりでも消滅でも地獄でもなくパラダイスに入ることです。パラダイスとは天国です。それは神の国なのです。この天国に入る資格は、自分は天国に入る資格はないと認めた人だけなんです。本来天国どころか地獄がふさわしい者だと認める人です。そして、そんな自分を赦すためにキリストが身代りに死に、三日目に復活してくださったことを信じる人だけが天国に入るのです。それは、えこ贔屓ではありません。キリストの犠牲だけが人間を完全に罪の消毒をなさしめるものであるからです。エボラ出血熱の被害地域に入った人々は完全消毒しなければ別の国に入国することはできません。罪なききよい天国はなおさらのことです。罪が完全に消し去られていなければならないのです。そしてキリストのいのちは、どんなに罪深くひどい歩みの人をも完全にきよめる力があるのです。
どうぞあなたもご自分の救い主としてイエス・キリストを受け入れ、今すぐただちに永遠のいのちをいただいてください。心からお勧めしたいと思います。


使用CDジャケット
国分友里恵:天の喜びと無限の愛を

今日のみことば
そして言った。「イエス様。あなたが御国に入られるときには、私を思い出してください。」
イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」
(ルカ23:42-43)