ごきげんいかがですか。那須清志です。
さて、子供たちに将来なりたい職業を聞くと、昔は男の子では野球選手、パイロットなどが定番でした。
私が教育現場にいたころ、ゲームクリエイターとか、女子ではパティシエなどが登場し、今はユーチューバーとかプロゲーマー、イラストレーターなどが上位に来ています。時代の変遷を感じますね。そのランキングには入っていませんが、昔ほとんど聞かなかった職業の一つに、ヘルパーがあります。私の周りにもヘルパーさんにお世話になっている人がたくさんいます。
英語の聖書の中には、大文字でHを書くHelperが出てきます。日本語の聖書では「助け主」と表現されています。これは神が人間に与えたいと願っている、神の霊、聖霊、助け手のことです。今日は、神があなたのために用意された救いと、それとセットになって与えられる助け主、神のヘルパーについて考えていきましょう。
次のような聖書のことばがあります。
神はこの聖霊を、私たちの救い主イエス・キリストによって、私たちに豊かに注いでくださったのです。
三つのポイントで考えましょう。
神の人類救済計画
第一に、神は私たちの救いを願っておられる、ということです。
今年は戦後77年で、終戦記念日には、戦争を体験されたご高齢の方々がインタビューされていました。何人もの方々から同じようなことばが出ていて、それは現在のロシアによるウクライナ侵攻に関してです。
「あのときと同じことが起こっている」とか「人間は変わってない、今でもこんなことして悲しい」というものでした。何かがおかしいと思わないでしょうか。こんなにも平和を望みながら平和が訪れない。この世の中に、戦争が好きな人がそんなにもいるんでしょうか。「やむを得ずしてしている」という人もいますが、その状態が普通になってしまっています。平和を望み、平和のために活動しているのは人間だけなのに、その人間だけがこの世界に戦争や戦いをもたらしているのです。
聖書は、創造主から離れた世界は悪に傾いていると警告します。さらに大きな問題は、私たちの心の中に、その罪の性質が宿っているということです。
良いことを行えばいい、と思いながらなかなかそうできない。「愛してあげたい」と思いながら実行できない。そこに罪を背負いこんでしまった、残念な人間の姿を見るのです。こういう世界に私たちは苦しみながら生き、この地上を去った後も、神なき霊的世界で、自分の罪の中でうめくことになるのです。
一方、平和が訪れないから平和を求めることをあきらめよう、と人間が思わないように、私たちを愛しておられる神もあきらめたわけではありません。自業自得だと突き放しているわけでもありません。神は神の方法で、人間が陥った悪の世界に救いをもたらしたいと願っておられます。そこでなされたのが人類救済の計画で、救い主イエスによって実行に移されました。
キリストが十字架で罪を背負われた
第二に、救い主イエスは人となられた神で、罪を背負われた、ということです。
人間を愛する神は、人の姿をとられて、人の世界に来られました。それは、どこまでも人と同じ状態になるためでした。現在、新型コロナウイルス感染の第7波の中です。巷でどれほど流行っても、やはり身近なところで感染者がいないと、なかなかピンと来ないものです。第6波のときに、私の子どもが感染しました。自宅の一室にこもってもらい、周りの家族はビクビクでした。そのとき、以前に増して新型コロナの問題を考えさせられました。そして第7波です。これまで何とか回避してきた私も、とうとう感染してしまいました。自分が感染した段階で、新型コロナへの関心はピークに達しました。年齢的にはギリギリでも、喘息という既往症がある私にとっては、同じ年齢のものに比べると、重症化リスクが高くなるわけです。どういう展開になるかひやひやでしたが、どれだけ心配してもどうすることもできません。そんなときには天下国家のことなんて、考えが及びません。普段心に留めているウクライナのことなども吹っ飛んでしまいます。人間は当事者になるまで、その問題をしっかり受け止めれないものだと痛感しました。
幸い、終わってみれば熱もそこまで高くなく、喉の違和感もさほどなく、軽症ですんだのです。私の周りには重症化した人もいました、ということで当事者になっても、すべてが理解できるわけでもない、ということも言えるでしょう。さて聖書が紹介する救い主は、神であり、同時に人の姿をとられたイエス・キリストです。どこまでも人間と同じ姿となり、この不完全な世界の中で当事者になられたのです。神の力で、同じ思いになれそうなのに、あえて人の姿をとられ、人間へ最大の関心を払われました。歴史上では並外れた同情深い人もいますが、イエスは単に同情するために来られたのではありません。不思議というか、あり得ないことをされました。人間の罪を、あなたの罪を、自分の罪として身に負ってくださったのです。あなたがさばかれる代わりに、イエスが十字架の上でさばかれてくださいました。こうして神の救いは、キリストの十字架と復活のわざによって完全に成し遂げられました。
神が遣わす最強のヘルパー
第三に、神が最強ヘルパーを遣わしてくださる、ということです。神を信じ、イエスを救い主として歩もうとした人に対して、神は「では、これからしっかり修行しなさい」と、突き放すようなことはされません。神は私たちと共に歩んでくださいます。その歩みに、心強い最高のヘルパーを神は遣わすと約束してくださいました。
私の親世代は年を重ね、いわゆるヘルパーさんにお世話になっています。義理の父の所に来たヘルパーさんは、お腹がつかえて雑巾がけができません、と言っていたそうです。あまりの正直さに笑ってしまいました。確かに、掃除をしたといってもいろいろあります。まあるく掃除し、かろうじて現状維持という人もいれば、隅々まできれいにして、おまけに以前よりもタイルピカピカという人もいます。
一口にヘルパーと言っても、個人差があります。いいヘルパーさんに巡り会えれば幸い、という感じでしょうか。では、神が用意されたヘルパーとはどういう方でしょう。それは神の霊で、神そのもので、信じて進もうとする者に、内側から助けを与える方です。聖書の「聖」に「霊」と書き、聖霊と呼ばれます。救いを計画されたのも神、十字架と復活によって救いを完成してくださったのも神。信じる者を力づけ、はげましてくださるために聖霊を遣わされるのも神です。
信仰者の歩みは、自分の頑張りにかかっていません。神の頑張りにかかっているのです。そして神は、ご自分を信頼して歩む者を完全に守り、導くことができるのです。あなたも是非イエスを救い主として信頼し、前進してください。神は最強ヘルパーを遣わして、私たちの歩みを導いてくださいます。心からお勧めいたします。
松本優香:Jesus We Crown You With Praise
(テトス3:6)