ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。
ところで天然キャラのお笑い芸人にジミー大西という方がいます。この方は画家としてのキャリアも長くて、国内外から高い評価を受けてらっしゃるんですね。今年で画業三十年、全国で個展が開かれる予定なんだそうです。きっかけは三十年前に出演したテレビ番組なんですね。
彼は当時、明石家さんまさんの付き人だったんです。娘のいまるちゃんが小さい頃、一緒にお絵描き遊びをしていたそうです。ある時さんまさんが「おまえ、変わった絵を描くなあ。」と感心して、そしてEXテレビという番組に彼を推薦するんですね。その番組の中で美術品を鑑定するという企画があるのです。彼は初めて絵を描いて持って行ったら、なんと33万円の値が付くんですね。びっくりしたそうです。しかしもっと決定的なことが起こったのでした。番組を見ていたある人物から放送局に一枚のファックスが送られてきたのです。それはジミーさんに宛てたメッセージでした。「四角い枠を気にせず、キャンバスからはみ出せ!」誰が書き送ったんでしょう。岡本太郎画伯です。ジミーさんが崇拝する画家です。「太陽の塔」をデザインした方ですよ。あの世界の岡本が彼に個人的に激励の言葉を送った。彼はこれはですね。決定的な衝撃を受けるんですね。そして、やがてジミーさんは芸能活動を中止し、絵に専念するようになるのです。自分にとって最高権威の人からの言葉は、人生を変えてしまうパワーがあるんですね。
ところで聖書は、この全宇宙の作者、最高権威の神からのことばです。そしてこの聖書の中で最も大切なことばとされているものを、今日は解説いたしましょう。
次のように書いてあります。
私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと、
最も大切なこと、それを受けるならすべての罪が赦され、永遠のいのちが与えられ、神の子どもとされる特権をもたらす。そのメッセージのことを聖書は、福音というんですね。そしてこの福音は今読み上げたように、三つのポイントにまとめることができるのです。この三つのポイントを心から同意し、受け入れるならば、あなたは救われるのです。
英語辞書を作ったイギリスの文学者
第一に、キリストは聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたことを信ずるということです。
キリストは今から二千年前、十字架にかかって死なれました。21世紀に生きる私と何の関係があるんでしょう。大いにあるのです。キリストは今を生きる私の罪のために死んでくださったからです。
18世紀のイギリスの文学者にサムエル・ジョンソンという人がいました。彼の作った英語辞書は傑作中の傑作と言われています。ところで彼の少年時代はたいへん貧しかったんですね。それで栄養不足のために結核にかかった彼は、片目失明、片耳聴こえず、顎の下には結核の後遺症として、こぶが並んでいました。勉強してオックスフォード大学に入るのですが、授業料が払えずに中退してしまいます。しかし後年彼が著した英語辞書があまりにもすばらしかったために、彼はオックスフォードから修士号、マスターを授与されることになるんですね。
私の罪のために死なれた方
さて、小説を書けば大当たり、評論を書けば絶賛の的、やがて文壇の大御所と呼ばれるようになるのです。ところがそのような名声をほしいままにしていた彼が、ある日のこと、町の広場でひたすら直立不動で突っ立っているんですね。炎天下の中、帽子もかぶらず、全身汗まみれになりながら、ひたすら苦行に耐えるかのように突っ立ってるんです。「先生、何をなさっているんですか。」サムエルはこう答えたといいます。「実は私の父は路上で本を並べて売る古本屋さんでした。ある日のこと父が言いました。今日は身体の具合が悪いので、私に代わって店番に行ってくれないか。しかし私は行きたくありませんでした。父は、それじゃ仕方ないな、と言い、無理して店番に行き、そして家に戻ってくると倒れ、病に伏し、間もなく死にました。父を死に追いやったのは私なのです。私の罪のために父は死んでしまったのです。ですから私は父が店を出していたこの場所に、今、炎天下の中、立っているのです。」お父さんが亡くなられたのはもう何十年も前の事でしょう。しかし彼は、自分のわがままという罪が父を死に至らしめたと考えていたのです。
キリストが十字架で死なれたのは、今から二千年も前のことです。しかしキリストの死はキリストが経験しなくてもよい死でした。罪がまったく無かったキリストは、死と無関係の方だったのです。そんなキリストがなぜ死なれたのでしょう。私たちの罪のために死なれた、これが聖書が語っている意味なのです。
キリストは墓に葬られた
第二に、キリストが墓に葬られたということを信じることです。
つまりキリストは仮死状態に陥ったというのではなく、完全に死に切って、三日間墓の中に遺体が安置されていた。この歴史的事実に同意するということです。キリストはあなたの罪、あなたの過去を背負って、十字架で死んだだけではなく、その罪を持ったあなたをご自分もろとも、墓に埋葬された、という意味があるのです。キリストを信じたある若者のところに、昔の悪い仲間がやって来ました。そして前みたいにヤバイ遊びに誘ったのです。しかし、彼は言いました。「君の知ってる私はキリストと共に葬られたんだ。今の私は別人です。」
忌まわしいあなたの過去がキリストと共に葬り去られたということほど、すばらしいニュースはないのではないでしょうか。
キリストは今も生きて働かれている
第三に、キリストは死後三日目によみがえられた、ということです。
これは福音の核心部分です。もしキリストが死んでそのままであるなら、結局クリスチャンていうのは、過去の人間を偲んでるだけです。しかし、キリストは死んで、三日目によみがえりました。つまり今も生きて、働かれる方なのです。そして死というものを、ひっくり返されたがために、死はもはや恐れなくてもよいものになってしまいました。と言いますのは、キリストを信じた人は、キリストが三日目によみがえったように、将来のある時、キリストが再び来られる時に、復活するということが約束されているからです。
あなたはキリストが、聖書が語っているとおりに、あなたの罪のために死んでくださったと信じておられますか。そしてキリストが、聖書が語っているとおりに墓に葬られたということを信じておられますか。そして人となられた神であるキリストが三日目によみがえられたということを信じておられますか。信じておられるなら、あなたはこの福音によって救われています。
まだ信じていないならば、どうぞ今このイエス・キリストを信じてください。心からお勧めいたします。
また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと、
(1コリ15:3-4)