#1152 Forward! 一歩 神の前に

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。慶相龍です。

さて、かつて勤めていた会社で、ある得意先に、別の得意先に送るべき請求書を送ってしまいまして、大問題になったことがあるんです。別の得意先に商品をより安く提供していたことが、請求書でばれてしまったからです。かんかんに怒る上司に対して、ミスをした事務員は「うっかりミスでした。」と答えることしかできなかったのです。取り返しがつかないうっかりミスですが、もとをただせば、これで大丈夫だという思い込みが原因になっていることが多いのです。
ところで神は聖書を通して人間に永遠のいのちという大きな祝福を与えようとしています。ところが聖書の福音を聴いていながら、うっかりそれをいただき損ねたまま、この世を去る人がいるのも事実です。それも誤った思い込みが原因となっているということが非常に多いのです。
今日は神の祝福から人間を遠ざける代表的な三つの思い込みを捨てる、ということを考えましょう。
聖書のことばです。

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

神がいるという証拠

一つ目に、目に見えない神など存在しないんだ、という思い込みを捨てましょう。
私たちは誰もが、この世には目には見えないけれども、たしかに存在するものがあるということを知っています。空気とか電波とか、電流とか、人の心などもそうですね。しかしながら、ことさら神については多くの人が目に見えない神などいるわけがないじゃないかと拒否反応を示してしまいます。
聖書はそんな方々に語るんです。目に見えない神がいることは、例えば、宇宙や地球やその中の生き物など、神が造った被造物をちょっと詳しく見ればわかるのだ、弁解の余地はないほど明らかにわかるのだ、と。そのように言うんです。そこにはたしかなデザインがあるじゃないか。デザインがデザイナーの存在、つまり創造主である神の存在を物語っているのではないかと主張しているわけです。
ここで一つの疑問が出てきます。例えば、生物学者の多くは、聖書の語る被造物について一般の方々よりも詳しく知っているのに、なぜ神の存在を信じようとしないのでしょうか。聖書はそれにも答えているんです。彼らが神を知ることに価値を認めないから、神を知ろうともしない。神を知ろうとしないから、はなから神はいないと決めつけて論理を展開するんだというわけです。
でもある人はこう言うでしょう。進化論を信じている人がはなから神はいないと決めつけているとするなら、クリスチャンも同じじゃないか、クリスチャンは、はなから神はいると決めつけているだけじゃないのか、というわけです。ですから、次のことをお勧めしたいのです。進化論とか創造論という立場を離れて、被造物に向かい合って、証拠を見出していただきたいのです。神がいるという証拠があるのか、神がいないという証拠があるのか、ぜひご自分で確かめていただきたいと思うのです。

神は時間を超えられる方

二つ目に、二千年前にいたキリストが、現代を生きる私と関係があるはずがないじゃないかという思い込みを捨てましょう。
まず、次の前提を知っていただきたいのです。罪のないキリストが今から約二千年前に十字架で死なれ、復活されたという事実は、キリストを信じる人が罪赦され、神に受け入れられ、不死のからだが与えられ、永遠に生きるようになるための契約書のような効力を持つということです。
例えば、家の賃貸契約書がある限り、その家に住む権利は脅かされることはありません。同じように、キリストによって二千年前に結ばれた罪の赦しと永遠のいのちの契約は、今もあなたに有効なのです。そしてさらに、二千年という時間の隔たりを気にするのは神ではなく、人間だけなのです。
神は時間を造られた方です。時間に縛られない方です。過去も未来も、今、リアルに見ることができる方なのです。神があなたをご覧になる時、二千年前にあなたのために死んでよみがえられたキリストをあなたと重ねて同時にご覧になれる方なのです。二千年前のキリストと自分は関係ないという思い込みを捨ててください。

信じることは新しいスタート

三つ目に、死ぬ直前までに信じればよいのだという思い込みを捨てましょう。
多くの人がこのように言うのは、永遠のいのちという祝福が死んでから、ようやく有効になるものだと錯覚しているからなのです。聖書に大きな影響を受けている人で大成功を収めた、ある世界的音楽プロデューサーがこのように言いました。
「神を信じるということは、自分のするべきことをろくにしもしないで、全部神にお任せする生き方とは全然違うんだ。神を信じて生きるということは、自分のできることには最善を尽くし、自分の力でできないことを神におゆだねして生きてることなのだ。」
そうです。永遠のいのちを得るということは、神との関係が回復されて、今という時を境に、これから永遠に神と二人三脚の心強い歩みのスタートを切るということでもあるのです。その二人三脚の歩みは信じた瞬間に与えられるのです。

神はあなたに永遠の命を与えようとされる

かつて私は、自動車のタイヤに関係する営業の仕事をしていたんです。ある日、滋賀県のとある自動車用品店に営業に行きますと、高校を卒業したばかりの女性が新入社員としてタイヤ担当に配属されていました。私と一回り以上も年齢に開きがあるんですけれども、彼女はなぜか私を気に入ってくれて、楽しく会話をするのです。
ところがある日、その店に立ち寄ると彼女の姿が見えないんです。私は仲の良い男性店員に「今日彼女はお休み。」と尋ねたのですが、彼はしばらく悲しそうな顔をしているのです。そして黙るのです。そしてこう言ったのです。「実は彼女、昨日頭が痛いと言って家に帰ったんですけど、帰ってしばらくして、亡くなったんです。」私は信じられないで「嘘やろ。」と。しかしながら彼は「本当なんです。」と涙をためて答えるのです。誰もが信じられないことでした。
私はあんなに優しい、そして可愛い娘さんを突然失くしたご両親のことを考えました。もし彼女が昨日亡くなるということがあらかじめわかっていたとするなら、ご両親はそれまでに彼女に必要なことをなんでもしてあげたかったことだろう、と。
神は時間を超越した方です。私たちがいつ死ぬのかご存じなのです。だからこそ、今を生きるあなたに、そしてやがてこの世を去っていかなければならないあなたに、永遠のいのちという、どうしても必要にものを与えようとしておられる方なのです。どうか死ぬ直前ではなく、今、キリストを信じて、永遠のいのちをご自分のものとされることを求めてください。
あなたを神の祝福から遠ざける思い込みを、一つ一つ捨て去って、一歩そしてまた一歩神に近づき、神の祝福をご自身のものとしてくださいますように、心からお勧めいたします。


使用CDジャケット
Forward! 一歩 神の前に

今日のみことば
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)