ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。
お手元にプログラムがあるでしょうか。それの裏面をご覧ください。
聖書のことば
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
飛行機を安全にするもの
実は私は六月に、アメリカのシアトルというところに行ったのです。
前から行きたいなと思っていたところに行きました。それは世界最大の工場、ボーイングの旅客機組み立て工場だったのです。
大きな建屋の中に8機の旅客機が同時並行で組み立てられていくんですけれども、実はその工場以上に私を感動させたのはですね、その工場のすぐ近くに、破壊検査工場というのがあるんです。
どんな工場であるかといいますとね、完成した飛行機に鎖をつけまして、何十トンの力で翼をグーと上に引っ張って押し曲げるんです。
押し曲げたら今度、下に向かって何十トンの力で、グッーと折り曲げます。何回も何回もやってたら金属疲労を起こして最後、パキンと折れますよね。
何回目で折れるのか、そこまでして安全性を追及している乗り物が飛行機なんですが、実はみなさん、それだけでは飛行機は安全と言えないです。
飛行機には、決まった通り道がありまして、このまま飛んで行ったらぶつかりそうだということが前もってわかる管制官は、しょっちゅう指示を与えるのです。
この管制官との通信を切って、いちいち指図するなよ、とか言ってですよ。自分の好きなように飛んでしまったら、必ずクラッシュします。大事故になるのです。
神の正義感
こないだもひどい事件がありましたね。あおり運転。なんですか、あれは。
まあ、無理に車止めてですね、そして窓ガラスからパンチ、こんなひどい奴が世の中にいたのかと、どこに住んでるんだとテレビ見てたら、東住吉区。私の町なんです。みなさん、そんな人ばかりではありません。
しかしながら、一般的にネットなんか見てたら、彼には厳罰が必要だ、今の法律だったら何か月間か免許停止にしてまたもとに戻ることができるって。
罪を見た時、罪に対してはそれに見合う罰が必要だという考えは、人間の正義感から出てくる感覚です。しかしみなさん、神の正義感はもっと正しいものです。
もし、罪に対して罰が必要であるとするならば、私たちの中で、罰と無関係な人は誰もいない。
すべて人が神の前には罪人であるからです。しかしながら、神はその罪の罰を人に負わせるのではなく、ご自分のひとり子であるイエス・キリストの上に降り下ろそうと決められたのです。
私たちは失われない
では、2行目の方の「それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」
この滅びる、ということばの原文の意味は「失われる」という意味なんですね。
もし私たちが救い主イエス・キリストによって神に帰るならば、私たちの人生で何があったとしても、私たちは神さまの守りの手から、祝福の中から失われることがない、というのです。
次の手立てがすでに準備されている
随分前ですが、私はイスラエル軍の参謀総長であったラファエル・エイタンという人物に単独インタビューしたことがありました。いくつか質問したんです。
「もしあなたの兵士が、敵地で撃墜された時、彼らは捕虜になるんでありませんか。そのようなことが起こってしまった時、あなたはどうするおつもりだったのですか。」
そしたらこう言いましたね。「実は兵士たちは知らなかったが、パイロットが履いてるブーツの中に、信号の発信機が付いていた。」というのです。
どこに彼らがいるのかということは全部イスラエルの空軍のレーダーでキャッチしている。失敗した時にはこうするのだという次の手立てが全部準備されていたというのです。
全知全能の神のエスコート
たった一人でうずくまっているような、そのような心境になることがあるかもしれませんが、神はおっしゃるんです。「御子を信じる者は一人として失われることはない。」
私たちがどんな人生の境遇の中にあっても、神さまは共におられるのだというのです。
みなさん、聖書はもしイエスを信じたら、とんとん拍子で全部うまくいく。大学、現役合格。会社、出世。宝くじ、一等当選。みたいなね。ありません。そんなことは聖書は約束しない。
クリスチャンであってもね、人生生きてる限り、試練は来るのです。しかし、神は試練に耐える力を与えてくださる。その試練を通して私の人格を変えていってくださる。そして試練と共に脱出の道を必ず準備する。
その準備なしに試練が襲い掛かることはないと、聖書は約束しています。この地上を生きている間、全知全能の神があなたをエスコートしてくださるのだと、約束するのです。
スキップして帰りたくなる場所
第二番目、永遠のいのちを持つという約束です。
私たちはいつか死にます。すべての人が、亡くなるでしょう。しかし問題は死んだ後、私のいのちは、たましいは、どこにいくのかということですね。
実は、VIP専門のコンシェルジュとして活躍されてる方に、大網理沙さんという方がいらっしゃるんですね。
この方が接待なさるVIPてのはね、ボディーガードだけで20人くらいつれてくるよう外国の大物であるとか、超一流のホテルのVIP専属でいつも彼女が抜擢されて、仕えることになるそうです。
いろんな取り決めがあって、お辞儀する時には、下げる時よりも上げる時にゆっくりするとか。
私は二、三回やったら腰痛が始まりました。まあ、いろんな取り決めがあるんですが、ある時、超VIP、連泊で泊まってらっしゃるんですが、戻って来られた時に「おかえりなさいませ」というふうに声をかけた。
そしたらVIPがまるで時間が止まったみたいに固まってしまって、彼女のことをしげしげと見つめるのです。
「どうかなさいましたか」と訊いたら「昨年、妻が亡くなったんだ。おかえりなさい、という言葉は僕にとって特別な言葉なんだよ。」
戻って来た時に鍵がかかっていて、開けて入ってみたら真っ暗で、部屋の中が散らかっていて、たった一人でその家の中にいるってことは、孤独を彼に思い起こさせるような、そんな空間でしょうね。
だけど喜んで待ってくれてる人がいるなら、自分のことを待望している人がいるとするなら、スキップして帰りたくなるんでありませんか。
ただキリストを信じること
私たちが死んだ後、私たちのたましいが行くのはどんな世界でしょうか。
実は聖書を見ると、神ご自身があなたの帰りを首を長くして、待っておられる。
そしてその神のおられる天国は永遠のいのちを持つ者だけが、行くことができるのです。
では、どうしたらいいんでしょうか。聖書にこう書いてあります。それは御子を信じる者であるならだれでもです。
御子とはイエス・キリストです。あなたのためにいのちまで捨てて、あなたをかばってくださった方です。
キリストは十字架にかかって死んでくださった。私たちの罪の身代わりです。
しかし、墓に葬られて、三日目に死を突き破って復活なさいました。
そのキリストの十字架の死と、復活を信じ、救い主として受け入れ信じる者は、滅びることがないというのです。
御子を信じなさい、となぜいうんでしょう。御子はあなたのためにたった一つしかないのちをあの十字架の上で捨ててくださったのです。
あなたを愛して、あなたにありったけの愛を惜しまずに注いだ、このイエス・キリストをご自分の救い主として信じていただきたいのです。
どうぞみなさまの上に、神さまの特別な祝福があることを願いながら、記念講演とさせていただきたいと思います。
(ヨハネ3:16)