
ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。
私は『奇跡のリンゴ』という本を読みました。これはリンゴ栽培の絶対不可能を可能にした木村秋則さんという方の物語です。リンゴという木は農薬なしには栽培できない作物と言われてきたんですが、彼は農薬も化学肥料も一切使わないリンゴを作っているんですね。実は農薬というのは、厳格に使うと収穫時には残留分がほとんどゼロになるようにできるそうです。しかし、食べるときに安全でも、作るときには安全とは言えないんです。木村さんの奥さんは特に農薬に弱く、散布すると一週間も寝込んでしまうのでした。それでついに農薬なしのリンゴ栽培に挑戦するんです。
ところが、その結果、猛烈な害虫と病気でリンゴの木がどんどんどんどん枯れていくんですね。害虫といっても普通の害では済まないんです。どこのリンゴ園にも見られないくらいでっかい毛虫が何万匹と一本の木に発生し、害虫の重みで枝が垂れ下がるほどでした。木村さんは、害虫や病気の原因であるカビを撃退するために、農薬の代わりになる天然素材を探して、片っ端から試していきます。牛乳をまいたり、醤油をかけたり、良いと思えるものはありとあらゆるものを試してみますが、効果がありません。収入はどんどん減ってゆき、電話は止まり、健康保険料も払うことができず、子どもに文房具を買ってやることもできなくなります。そして、とうとう6年目の時、思い詰めた木村さんは、ロープを持って山へ入ります。首を吊って死のうと決心したんです。
適当な枝を見つけてロープを放り投げると、手元が狂って遠くまで飛んでいってしまいます。ロープを探しに行くと、月明かりに一本、リンゴの大木がありました。何でこんな山奥にリンゴの木があるのかとよくよく見ると、それはドングリの木でした。堂々として鈴なりにドングリの実を実らせているそのドングリの木を見上げながら、彼は突然ひらめいたんですね。この山の中のドングリの木は、農薬も化学肥料も一切受けたことがない。それなのにこんなにも逞しく繁殖している。同じ空気、同じ太陽、同じ気温で育っているのに、リンゴ畑のリンゴとはまるで違う生命力に満ちあふれている。いったい、何が違うんだろう。
違いは一つだけでした。それは土地です。山の中のドングリの木が生えた土地は、雑草が生い茂る土地です。それは足で踏むとふかふかとして沈んでしまうような土です。彼は雑草をつかんで引っ張ってみると、根っこの先端まで、すーっと抜けるんですね。手で掘れるほど軟らかい土の臭いは、つんと鼻をつく刺激的なものでした。これだと思った彼は、気がつけばその土を口の中にほおばって、味わっていたそうです。
いのちのルーツにつながったリンゴ
ところで、山の中の土って掘っても掘っても暖かいそうです。なぜでしょう。生きてるんですね。掘れば掘るほど暖かいのは土の中で微生物が猛烈な活動をしているからです。彼は今まで目に見えるリンゴの木の部分ばかりに気を使って注目していました。しかし、一番肝心なのは、根っこの見えない部分だったと言うんですね。根がいのちある大地にしっかりつながって、そこから生命を汲み上げることができるなら、リンゴだって農薬なしに実を結べるに違いないと確信します。そして彼の見立てたこの見当は、当たっていました。
8年目に何十アールの畑からたった2個のリンゴが収穫できます。この2個のリンゴを家族7人で食べたとき、腰を抜かすほど驚きます。今までリンゴ農家でも食べたことがないほど、うまいリンゴであったからです。 このリンゴは皮まで甘い、芯まで甘い、青森に台風が襲って、リンゴの実を大地にたたき落としていった時、その時でも木村さんのリンゴだけは、8割が残りました。さらにびっくりすることは、葉っぱが病気になると、リンゴの木は病気の部分だけをくり抜いて自分で治していくって言うんですね。木村さんのなさったことは突き詰めると一つだけです。リンゴの木をいのちのルーツにしっかりつなげていくということです。普通のリンゴの木の根は、数メートルだそうですが、木村さんのリンゴの根は地下20メートル以上根ざしているそうです。いのちにしっかりつながっていたら、病気や困難も却って実を甘くするものになるって言うんですね。 ある時、キリストはこうおっしゃいました。
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。」
ここでキリストは3つのことを語っておられます。
いのちの源につながる
第一に、いのちの源につながりなさいということです。いのちある土壌にないリンゴの木は弱いので、つい農薬や化学肥料に頼るようになります。しかし、簡単に肥料をもらえるためにリンゴはますますひ弱になります。ちょうど、ろくに運動もしないで甘い物ばっかり食べてる子どものようになってしまうんですね。実際、肥料をやった木ほど、害虫が集まるって言うんですね。一番肝心なのは、いのちの大地に根ざすということです。同じように人も、いのちのルーツがあるんですね。それは人間をお造りになった、まことの神様です。この神に深く深く根ざすことです。人を赦す力も、愛する力も、苦難の中で立ち上がる力も、すべては神から流れてくるのです。この神から切り離されて生きていることの中に、人間の弱さ、脆さの根本的原因があるんです。 世の中には人を励ますものがいろいろあると思います。哲学や、宗教や、自己啓発や、修行や、スピリチュアルカウンセリングなど人を元気づけてくれる化学肥料のようなものが、次から次へと登場しますね。しかしそれらは、その場しのぎで役には立っても、人生の根源的な力にはなりません。神という無限の力をお持ちになる方とつながることが絶対的に必要なのです。
神とつながる唯一の道
第二に、神とつながる道は「イエス・キリストだけだ」ということです。リンゴの木は土台は別の植物の木だそうですね。それに挿し木という手法で実を実らせていくんです。挿し木のためにはその木の枝をちぎってむき出しになった断面に、新しいリンゴの枝を突っ込んでつないでいきます。
神様は私たちをご自分のものとして引き寄せていくために、我が身を切り落とすような方法をとってくださいました。神のひとり子イエス・キリストをあの十字架にかけて人間の罪を背負わせた上で、この方を切り落とし、見捨てられたのです。それは罪人の罪を赦すための身代わりの刑罰でありました。あなたの罪の償いのために、死んでくださった方。そして三日目によみがえってくださった方は、世界広しといえども、神のひとり子イエス・キリストだけなのです。 だれでもキリストを自分の救い主として信じ受け入れるなら、その人は神につながる者となるのです。
神とつながる決心
第三に、つながる決心は信じる本人にかかっているということです。キリストの福音は、知っているだけでは不十分です。分かっているだけでも、だめなんです。あなたの口で「キリストを信じます」という告白が必要なのです。どうぞ、イエス・キリストをご自分の救い主として、今、受け入れてください。心からお勧めしたいと思います。
(ヨハネ14:6)