ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。
先日、私は、とあるパーティーに招かれて出席してきました。そこで、生まれて初めてシャンパンタワーというのを見たんです。これは、グラスをピラミッド状に積み上げて、パーティーの主役がシャンパンを注いでいくものです。
一番上のグラスは自分で、二段目は家族や身近な人たち、三段目は友人や仕事仲間、四段目は来てくれたお客さんなんだそうです。
ところで、ピラミッド上のすべてのグラスにシャンパンが行き渡るために、一番最初に注ぐグラスは、どのグラスでしょう。一番上の自分のグラスなんです。つまり、自分の周りの人々を満たしていくためには、まず、自分自身が満たされる必要があるのです。
聖書の中に、キリストの誕生を宣言した箇所があります。そこには、こう書いてあるのです。
今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
ほかの誰でもない、紛れもなくあなたのために来られた救い主、あなたの必要を満たすために来られた救い主を通して、今日、三つのポイントで、神様の恵みを紹介したいと思います。
神は約束を守る方
第一に、神という方は約束を守る方である。ということです。
というのは、イエス・キリストは旧約聖書の預言どおりに、ダビデの生まれ故郷でお生まれになったからです。キリストの誕生は、神が旧約聖書で約束されたことを一つも違えずに守られた。ということの証明なのです。
アメリカに、シンシアという女性がいます。彼女は12歳の時に、忘れられないお父さんとの思い出があると言うんです。彼女はその当時、数ヶ月前から、サンフランシスコで講演するお父さんとのデートを楽しみにしていたのでした。その計画は、こうです。まず、お父さんの講演を一時間だけ聴く。その後、ケーブルカーに乗ってチャイナタウンに行き、おいしい中華料理を食べる。お土産を買った後で映画を見て、ホテルに戻ってプールに入って、ルームサービスを頼んで、深夜のテレビを見る。という、大好きなお父さんと何ヶ月もかけて練りに練った計画です。
ところが、当日ハプニングが起こります。さあ、ホテルを出ようとしたその時、運悪く、父親が重要な取引相手と鉢合わせしてしまったのです。相手はとびっきりのお得意さまで、しかも上機嫌です。そして、こう言ったんです。「埠頭に、最高にうまいシーフードのレストランがあるから、一緒に行こうよ。もちろん、娘さんも一緒にね」強力に誘ってきたんですね。お父さんは「いいねえ、埠頭でディナーなんて最高だねえ!」その言葉を聞いて、彼女はがっかりしました。
しかし、お父さんは続けて言ったのです。「でも、今夜はダメなんだ。娘と特別なデートの約束をしてるんでね」そう言うと、彼女の手をとって、まるで、風のように颯爽と去っていったそうです。彼女のお父さんは、スティーブン・コヴィーという人です。日本でもベストセラーになった『7つの習慣』の著者です。
彼女は、お父さんが亡くなった後、このことを友人に語りました。そして、こう言ったんです。「あの出来事のおかげで、私と父との間には永遠に切れない絆が生まれました。父は私との約束を守り抜くことで、私を何よりも大切に思っていることを示してくれたのです」。
あなたの父なる神は、あなたへの約束を守り抜く方です。その証拠に、神は旧約聖書の約束どおりに、ダビデの町にイエス・キリストを誕生させてくださったのです。
聖書の神は、信頼に値する方です。聖書という約束の全部を守り抜く方であるからです。
神はあなたを愛する
第二に、この方は、あなたを愛する神です。
『赤毛のアン』という小説の中に、こんな話があります。アンというのは、孤児院で育った、毛が赤くてやせっぽちで、自分にコンプレックスを持っていて、持ち前の想像力で自分以外の誰かに変身するということを夢見ることで、心を満たしているという女の子なんです。しかし、彼女はマシューとマリラという、この二人の養女となることで次第に愛情に満たされ、いつしか、今のありのままの自分に心から満足するようになるのです。
アンはある時、お父さんとなったマシューに尋ねるんです。「ほんとうは、働き手となる男の子を養子にしたかったんじゃないの?」するとマシューは微笑みながら答えます。「わしは、1ダースの男の子よりも、アンの方がいいよ。いいかい、1ダースの男の子よりもだよ」12人の男の子より、私一人のほうが愛されてるのだ。というふうに言われたとき、アンの気持ちは喜びでいっぱいになります。
ところで、神はあなたを愛されました。どれくらいでしょう。実に、そのひとり子イエス・キリストを、あの十字架の上で手放すほどまでにです。
神は、あなたを愛するあまり、イエス・キリストをこの世に遣わしてくださった方なのです。
イエス・キリストはあなたの救い主
第三に、神様が送って下さったイエス・キリストは、あなたのための救い主だ。ということです。
九州の、とある大学の生協で、バイトの職員がポッキー320個を仕入れようとして、3,200個発注してしまいました。ワンセット10個入りという表示を見落としたことで起こったミスです。
返品受付なしの契約であったために、自分たちで何とかするしかありませんでした。彼らはいったい、このピンチをどうやって乗り切ったのでしょう。学生たちに、正直に自分たちの犯したミスを洗いざらい打ち明けて、助けを求めたのです。「HELP ME!間違って、思っていた数の十倍の数のポッキーを仕入れてしまいました。皆さんの声かけで、なんとか助けて下さい!」そして、広告の下に日々の販売個数を表示して、完売まで後何個かというカウントダウンの数字が分かるようにしたのです。
すると、学生たちが面白がって「○○大学ポッキーだらけ!」のツイッターが拡散し、通常の百倍ものペースで売れまくり、無事に完売したというのです。解決策は、値引きではありませんでした。正直にミスを打ち明けることであったのです。しかし、私たちはもっともっと深刻な問題において、しばしば、正直に自分の非を認めるという選択をしないことが多いのではないでしょうか。本音を打ち明けるということを避けようとすることが多いんじゃないでしょうか。
生きてる限りさまざまな失敗がありますね。そして、正直に「助けて下さい」とか「ごめんなさい」とか「それはできません」と言わないで、心の中に重荷を積み上げて苦しくなってしまうということがあるのではないでしょうか。
そして、そのしんどさを薬でなんとかしようとするのではないでしょうか。どうして、正直にそのしんどさをそのまま打ち明けないかというと、正直にイエス・ノーや本音を言うと、人間関係が壊れてしまうのではないかと恐れる心があるからです。その結果、自分の心の方が壊れてしまうんです。
しかし神は、あなたがどんな重荷、どんな過去を背負ってきた方であったとしても、聞いてくださる方です。なぜなら、この方はさばき主としてこの世に来られたのではなく、救い主としてこの世にこられた方だからです。あなたの罪の重荷をあなたの上から永久に取り除き、罪責感と永遠のさばきからあなたを自由にするために来てくださった方なのです。
約束を守ることにおいて誠実、愛することにおいては誰よりも勝り、あなたの罪を赦すために来られた方。それがイエス・キリストです。
どうぞこの方をご自分の救い主として信じ、受け入れてください。心からお勧めしたいと思います。
(ルカ2:11)