#1288 弱くて結構!栄光の神があなたを生かす

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。慶相龍です。

 さて、私は福音を伝えながら、人がキリストを信じる現場に立ち会うことがあります。喜びに涙を流す人、笑顔溢れる人、本人は平然としているのに周りが泣いて笑って大騒ぎする現場など、さまざまです。中でも忘れられないのは、心を痛め悩んでいたある女性の告白です。「キリストが私のために十字架で死んでくださった。それほどに私を愛してくださることを知ったとき、私、生まれて初めて生きてていいんだと思いました」そう言って、涙を流されたのです。キリストは、あなたが生きることを心から願っておられるのです。
聖書のことばを紹介しましょう。

わたしは、だれが死ぬのも喜ばない ―神である主のことば―。だから立ち返って、生きよ。

三つのことを考えます。

神はあなたが死ぬのを望まれない

一つ目に、神はあなたを愛し、あなたが死ぬのを望んでおられません。大きな話題となった事件です。今から11年前の3月2日、オホーツク海に面している北海道の湧別町でのことです。発達した低気圧の影響で暴風雪が荒れまくっていました。ここで悲劇が起こったのです。車に乗っていた父親と、当時小学3年生だった娘さんが行方不明になったのです。二人は翌日、乗っていた車から約300メートル離れた倉庫の前で発見されました。娘さんは無事でした。しかし、父親は亡くなっていたのです。現場を目撃した消防員によると、父親は娘さんを壊れ物を包み込むかのように、実に大切に大切に抱きかかえながら亡くなっていたそうです。現場を見た人たちは皆泣きました。後になって娘さんは、父親に対してこんな手紙を書きました。「お父さんのことは、夜ベッドに入ると、優しい顔が浮かんできて涙が出ることもあります」お父さんは、娘さんが死ぬのを望まず、自らを犠牲にして亡くなっていかれたのです。
キリストは十字架の上で、「父よ、彼らをお赦しください。」と父なる神に祈ってくださいました。そしてあなたの罪を背負って、十字架で死んでくださったのです。キリストはあなたが神から離れて、霊的に神との関係が死んでいる状態にとどまること、また死後に第二の死と呼ばれる地獄に落ちることを望まず、あなたを救うために死んでいかれたのです。なぜでしょうか。あなたを愛しているからです。湧別町のあのお父さんが、娘さんを愛しておられたことには疑いの余地がありませんね。それと同じように罪のないキリストが、死ぬ必要などなかったキリストが、あなたのために死なれたという歴史的事実に目を留めていただきたいのです。キリストは実に、これ以上どうすれば分かってくれるのだというほどの愛を、あなたに示して死んでいかれたのです。

神はあなたの悔い改めを望まれる

二つ目に、神はあなたが悔い改めることを望んでおられます。先ほどの聖書箇所に「立ち返って」ということばがありましたが、この「立ち返る」ということばは、ヘブライ語の「シューブ」ということばで、悔い改め、つまり「心の向きを変える」ということなのです。アメリカの詩人、また作家であるウィルコックスの有名な名言を紹介しましょう。「吹いている風が全く同じでも、ある船は東へ行き、ある船は西へ行く。進路を変えるのは風ではない。帆の向きである。人生の航海でその行く末を決めるのは、凪でもなければ嵐でもない」。このような名言なのですが、では人生の航海でその行く末を決めるのは何なのか。ウィルコックスはこの後に「それは心の持ち方である」と続けるのですが、聖書は、人の行く末を決めるのは「心の向きである」と続けるのです。
人の心は生まれつき、自分に向いています。自分の力を信じます。情欲を達成するなら、その先に幸せがあると信じて、自分の欲を追求します。その行く末は、止むことのない情欲をいつまでも追い続ける空しい人生。そして神のいない地獄です。その心の向きを、キリストに変えるのです。限りある自分の力ではなく、限りない神の力を信じるのです。空しさに空しさを増し加える情欲ではなく、あなたを愛し、恵みの上にさらに恵みを増し加え、あなたに満足を与えるキリストを信じるのです。人を地獄に追いやる罪と情欲ではなく、あなたを罪から救うために死んで、三日目に復活し今も天におられる方、やがて天に引き上げるために迎えに来てくださるキリストを信じるのです。

神はあなたが生きることを願われる

三つ目に、神はあなたが生きることを願っています。それは単に存在することではありません。あなたの何かではなく、あなたを生かしてくださる恵み深い神様の栄光が、あなたから溢れ出るような生き方をしてほしいと願っておられるのです。レーナ・マリア・ヨハンソンというスウェーデン出身のゴスペルシンガーがいます。私は彼女から大きな影響を受けてクリスチャンになりました。彼女は生まれつき両腕がなく、右足も左足の半分しかありません。ところが彼女の歌声は実に美しく、喜びが溢れているのです。ステージも立派です。しかし、私は彼女の歌声や芸術表現に影響を受けたのではありません。ある記者が彼女に尋ねました。「あなたは自分のからだの障がいのことを、悲しいと思ったことはありませんか」すると答えるのです。「少し不便だと思ったことはあります。でも悲しんだり、落ち込んだりしたことは一度もありません。神様は何か目的があって、私をこういう形に作られたのだと思います。ですから、その目的が何であったのか、これから知らされるのが楽しみです」私は驚きました。彼女は自分の体に障がいがあることさえも喜んでいるのです。自分に満足しているのです。その姿を見て私は思ったのです。彼女は神のおかげで自分に満足しているんだなぁ。自分が障がいを持っていること自体をも喜び、満足させる神様って、本当にすごい方だなぁ。もし彼女と同じ神様を信じることができたら、私もこんなに弱い私自身を受け入れ、喜び、自分に満足できるのかもしれないなぁ。そう思うと、もし神様がいらっしゃるならそのことを私に分からせてくださいと祈らずにはおれなかったのです。
聖書にはキリストを信じた人たちの集まりを、キリストをかしらとするキリストのからだに、一人ひとりのクリスチャンをそのからだを構成する一つ一つの部分に例えて表現している箇所があります。その中にこういうことばがあるのです。「それどころか、からだの中でほかより弱く見える部分が、かえってなくてはならないのです。」
もしあなたがご自分のことを、ほかの人よりも弱くて劣っている。そのように考えておられるとするならこの箇所を思い出してください。神にとって、ほかより弱く見えるあなたが、なくてはならないのです。あなたの弱さにさえ、神の栄光となる目的が隠されているのです。どんな目的なのでしょうか。それはあなたを愛し、あなたの罪のために死んで三日目によみがえられたイエス・キリストを、あなたの神として信じ従う人生の中で明らかになることでしょう。
この素晴らしい人生をあなたのものにしてください。心からお勧めいたします。

 

使用CDジャケット
レーナ・マリア:馬槽の中に

今日のみことば
わたしは、だれが死ぬのも喜ばない ―神である主のことば―。だから立ち返って、生きよ。
(エゼ18:32)