#1269 心騒がせずわたしを信じなさい

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。

 「徹子の部屋」でおなじみの黒柳徹子さんは大変ユニークな小学校を卒業なさいました。トモエ学園という自由と創造性を優先した学校です。黒柳さんの在学時代、小林宗作という方が校長先生でした。しかし、彼が心血注いでつくりあげたトモエ学園は、戦争中B29の爆弾攻撃で炎上してしまうのです。目の前で燃えて行くその校舎を見ながら小林校長は傍らにいた大学生の息子にこう言ったそうです。「さあ、次はどんな学校をつくろうかね!」形あるものはやがて壊れ、すたれ、燃えてなくなることもあるでしょう。しかし、心の中にあるものを物理的に壊すことは誰にもできないのです。
 ですから、こう言うことができると思います。最も豊かな人とは心の中に確かな約束を持っている人である。確かな約束とはこの世界を造られた神の約束です。神は約束したことは必ず果たされる方であるからです。
 ところで、キリストはこのように語っておられます。

「あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」

   私たちは毎日の生活の中で心配や不安にさいなむことが多いですね。しかしその原因は、私たちが信頼すべき真の神から離れてるからだと言うんです。どうして創造主から離れると心が騒ぐんでしょう。
 

神を見失うと自信を無くしてしまう

 第一に、神という絶対的主権者を見失うと、この世の物差しで自分を測って自信を無くしてしまうからです。
 『毎日かあさん』という人気漫画で知られる西原理恵子さんのその生い立ちはどん底だったそうです。実のお父さんは酒乱で、彼女が生まれる前にお母さんは暴力から逃れるために離婚しました。やがてお母さんは再婚しますが、その相手は根っからのギャンブル依存症だったのです。彼女は高三の時、友人と宴会騒ぎをしているのがばれて退学になります。唯一の特技だった絵で身をたてようと大阪の芸大に進学を決めます。しかし、その受験当日ギャンブルで全財産を失った父親は自殺してしまうのです。彼女は絵を描く人になって東京で食べて行く!もうこんな嫌な思い出しかない街には二度と戻らない!と決意し、母親がかき集めてくれた全財産100万円を持って上京するのです。まさに背水の陣で絵描きへの道をまっしぐらに進んでいくんです。
 彼女は美大に入るためにまず予備校に入学しました。ところが、そこで出される課題に対して彼女が提出した絵の評価は毎回毎回ダントツの最下位なんです。自信たっぷりで出した作品はことごとくダメ出しを食らうのです。お母さんからもらった100万円は学費と家賃と一人暮らしに必要なものを買っただけでほとんど底をついていました。それなのにプロになるどころか予備校ですら上位はおろかビリッケツです。さしもの彼女もすっかり心が折れてしまうのです。何しろ受験のプロたちが、毎回毎回あなたはダメだダメだと言うんですから自信など持てなくなって当たり前です。
 しかし、その中で彼女はふと気がつくんです。自分は予備校で一番になるために上京したんじゃない。自分の本来の目標は絵で食べていくことだ。さっさと美大を諦めた彼女は、片っ端から東京の出版社に自分のイラストを持ち込んでPRをします。断られても断られても作品の持ち込みを続けていく中で、やがて彼女の絵ではなくあっけらかんとした性格が同情をうみ、絵を描かせてもらう機会が開かれていったと言うのです。今や押しも押されもせぬプロの漫画家になりました。そんな彼女の心を一度へし折ったものはなんだったでしょう。この世の物差しです。それは実力を測る点においては参考になりますが、しばしば本来の目標、本来の目的を見えなくさせてしまうものになります。
 この世ではどんな人が価値あると言われるでしょう。勉強ができる人、成績が良い人、能力の高い人、美しい人、役に立つ人。そういうものは確かにある面で実力を測るその物差しにはなっていますが全部この世の見方です。しかし、神はあなたをそのままで価値ある存在だと見てくださってるんです。なぜでしょう。神があなたをお造りになったからです。絶対に間違ったり、しくじったりしない神が造ったあなたという存在がどうして生まれて来ない方が良かった存在なんかであることでしょう。ありえないことです。
 

神は人が欲するものを満たされる

 第二に、神を離れて生きるなら、人間は人間らしさを保つ祝福を受け損ねてしまうからです。
 ところで、人間はいろんなものを必要とし、その必要物が無くなってくると、なんとしてもそれが欲しくて欲しくてたまらなくなるものだと思います。私の場合欲しいものは年齢によって変わってきたように思います。幼いころ私が一番欲しいと思ったのはお金でした。母子家庭で育った私は、金さえあれば母を楽させてあげることができるのにと思っていたんです。お金さえあったら辛い生活から解放されると思ったからですが、いわばお金が人生の安全を保障してくれるものだと考えていたのです。お金が私の安全欲求を満たしてくれると考えたのです。中学生になったとき私が一番欲しいと思ったのは本物の親友でした。私にはたくさんの友がおり、また親友と呼べる人もいましたが、心の中でもっともっともっと分かり合える友が欲しいという愛情欲求がいつも渦巻いていたように思うのです。
 クリスチャンになった後で、私が一番欲しいと思ったのは先輩のクリスチャンからの承認の言葉であったように思います。要するに褒めてもらいたいという気持ちがとっても強かったと思うんです。この欲求を別の言葉でいうなら尊敬欲求です。自分を大切にして重要人物だと思ってもらいたいというたぎるような欲求が、私の中にいつも渦巻いていたように思います。しかし、この10年ぐらい私が欲しいと思っているのは体力です。特にたびたび襲いかかる胃の痛みで活動がままならなくなった時には健康のありがたさを思い知りました。
 結局私は手術をしてその痛みからは解放されましたが、一つ治ると別のところがまた故障するんですね。それは年齢とともにますますそうなっていくのでしょう。ですからますます健康とタフな体が欲しいというのが私の願いです。どうしてタフでいたいかと言うと、タフでなければ自分が大切にしている共同体に何の貢献もできなくなるのではないかと恐れるからです。ひいては自分の所属している仲間たちから切り離されてしまうようなイメージを持ってしまったからです。
 つまり私は安全、愛情、尊敬、所属というものを欲していたんです。そしてこの4つは、神を心の中心に置くならば4つとも全部満たしていただけるものなのです。なぜなら、神はあなたを死後のさばきから守り、ひとり子を与えるほどに愛し、神の目に高価で尊いと呼びかけ、神の家族という究極の共同体の一員に加えてくださる方であるからです。
 ではどうすればこの神とつながることができるんでしょう。イエス・キリストです。イエス・キリストを救い主として信じることによって私たちは神に帰ることができるのです。どうぞあなたもイエス様を救い主として信じてください。心からお勧めしたいと思います。
 
 

使用CDジャケット
ノア:信じます

今日のみことば
「あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」
(ヨハネ14:1)