#1265 人間本来の居場所 天の故郷

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。

ごきげんいかがですか高原剛一郎です!
アメリカ西海岸がゴールドラッシュで沸き立っていた頃、多くの人がひと山当てようと殺到しました。そんな人々の一人に、ユダヤ系のリーヴァイ・ストラウスという人がいました。
しかし、掘れども掘れども金の鉱脈にはなかなか突き当たらないのです。疲れ果てた彼はふと周りをみた時、血眼になって地面を掘り返しているライバルたちの姿を見て、あることをひらめくのです。「この人たちのために、破れないズボンを作ろう」なぜなら、誰もがボロボロになったズボンでそれはそれは惨めな格好をしていたからです。過酷な肉体労働にも十分耐える、頑丈にして機能的、性別も年齢も季節も問わずにいつでもどこでも誰もが履けるジーンズは、このようにして完成したのです。みんなが金を探り求めて必死になっている時、一人違ったことをするのはとても勇気がいることでした。しかし、もしみなと同じことをそのまましていたら、みなと同じように失敗していたのです。ゴールドラッシュで成功したのは、ほんのひと握りの人たちだけだったからですね。
さて、聖書の中にも世の中の時流に押し流されることなく、ぶれない生き方をした人たちが登場します。その代表は新約聖書の大半を書いたパウロという人物です。彼は自分の人生の原動力について、こう語っています。

私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。今私が肉において生きているいのちは、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰によるのです。

このことばの中に、キリストがしてくださった三つのことが書かれています。

キリストは私を愛してくださった

第一に、キリストは私を愛してくださったということです。パウロは自分という人間をキリストによって愛されている人とみなして生きていたのです。そうであるとするなら、キリストが大切にしている自分をどうして投げやりに扱うことができるでしょう。
万葉集の歌の中に、恋人を想う歌がたくさん出てきますね。

信濃なる千曲の川のさざれ石も君し踏みてば玉と拾はむ

おそらく防人として遠い国へ出征する恋人を想って歌った歌ですね。「いとしいあなたが踏んだ石だと思ったら、私にはまるで宝石のように思えてきます」という意味です。この歌い手の女性はその小石をながめ頬ずりし、さすり、そしてうっとりしてます。それは川原に何十万とある砂利の一つに過ぎないんですが、恋人が踏んだ石という一点で、いとおしい宝物のように思えて大切にするっていうんですね。愛は何の変哲もない道端の石ころを何カラットのダイヤにも優る宝にしてしまう力があるんです。あなたは神に愛されている人です。たくさんある砂利石の一つではありません。神がキリストによって慈しんだ人なのです。どんなに失敗があっても、過去にどんなにひどい罪があったとしても、それでも神さまの目には尊いと見なされた者なのです。神さまが自分のことを真心から愛し、大切にしてくださったと知るなら、自分の人生を粗末にすることはできなくなるのです。

キリストはご自身を十字架で捨てられた

第二に、キリストは私たちのためにご自身を十字架の上で捨ててくださったのです。なぜ、キリストが十字架でいのちを捨てることが、パウロにとって力となったんでしょう。それによって、たましいのふるさとに戻る道が確保されたからです。
1963年イギリスで大列車強盗事件が起こりました。グラスゴーからロンドンに向かっていた郵便列車が強盗団に襲われ、260万ポンドが盗まれたんです。これは現在のお金に換算すると、85億円にもなる額です。強盗団は信号を細工し、赤信号にして列車を止めたのです。運転手は不審に思い、列車から出たところを殴りつけられ失神します。この時の怪我がもとで、運転手は7年後に亡くなるのです。この強盗団の一人に、ロナルド・ビッグスという人物がいました。やがて一味は逮捕され、彼も刑務所に入れられるんですが、しかし、ビッグスは一年後に脱走し、パリまで逃亡して整形手術を受け別人になりすまし、そのままブラジルにまで逃げてしまうんです。イギリスは国家の威信をかけて彼を追跡し、ついにブラジルで潜伏生活をしているビッグスを見つけ出して逮捕するところにまでは成功するのです。しかし、国外に連れ出すことができませんでした。というのは、ビッグスはブラジル人の女性との間に子どもをもうけていたからです。ブラジルの法律ではブラジルで生まれた子どもの父親が外国人の場合、その父親は身柄を拘束されないという決まりがあったのです。こうして彼は罪を犯しながら罰を受けることもなく、仕事もしないで毎晩バーに現れ、観光客相手に自分の脱獄体験をまるで武勇伝のようにおもしろおかしく話して聞かせていたのです。やがて彼の半生は本になり、映画にもなり、益々図に乗る生活をするようになったんです。
こうしてブラジル生活が約40年続き、彼は72歳になった時、彼の中に変化が生じてきたのです。どういう訳でしょうか。彼はどうしても自分のふるさとを見たい、自分のふるさとであるイギリスに戻りたいと思うようになったのです。自分の生まれ故郷に対するあこがれ、懐かしさがこみ上げてきて、どうにも止めることができません。次第に体調を崩し、心臓を患い、起きてる時にはイギリスの写真を眺め、寝てる時にはイギリスの夢を見るようになるのです。彼は病的なホームシックにかかってしまったのです。
そして、とうとう72歳の時にイギリスに帰ったんですね。飛行機がイギリスに到着するやいなや、彼は即逮捕され、病状重い中、8年間刑務所に入れられます。そうして80歳にしてようやく釈放されたのですが、体調は優れず、弱っていくばかりだと言われています。刑務所生活がたたったんですね。そういうことになるということがわかっていながら、それでも故郷に帰りたくて仕方がなかったのは、本当の自分の居場所を見つけたかったからだと言われています。
ところで、人間のたましいの本当の居場所ってどこでしょう。それは、たましいの造り主である神さまのみもとなのです。しかし、人は神から離れ、自己中心の生き方をした罪人のために、そのままでは戻ることができないのです。ちょうど、ビッグスとイギリスの間に罪の裁きが待ち構えていたように、我々人間と天国との間には、永遠の地獄というさばきが立ちふさがっているのです。この永遠のさばきを取り除くために、キリストはご自身を捨ててくださったのです。キリストが十字架にかかって、身代わりに死んでくださった。そして三日目によみがえってくださったことにより、私たちはさばきを恐れることなく、天のふるさとに帰ることができるのです。

キリストは信じるものとともに生きられる

第三に、この方は信じる者の心の中に住んで、ともに生きてくださるのです。限界のある自分の力に頼って生きる人生は、ただただ消耗する人生ですね。しかし、全知全能のキリストがあなたの内側に宿ってともに生きる人生は、自分をも、周りの人々をも豊かにする人生なのです。
どうぞあなたもこのイエス・キリストを救い主として信じて、永遠のいのちをいただいてください。心からお勧めしたい思います。


使用CDジャケット
松本優香:イエスのもとに

今日のみことば
私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。今私が肉において生きているいのちは、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰によるのです。
(ガラ2:20)