ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。
ところで、写真を撮られる時に「ハイチーズ!」って言いますね。これは日本ではなく海外にルーツがあります。撮影者が「Say cheese!(セイ チーズ)」って言うと撮られる側が「cheese(チーズ)」と言って、その瞬間にシャッターを切るんですね。口角が上がると笑顔になるからです。
昨年末、クリスマスの特別集会に親子で来られた方がいらっしゃいました。私に対して一緒に写真を撮って欲しいと依頼されたんです。この時、撮影した方は「いつまでも残るものは?」と聞きました。するとみんなで「信仰、希望、愛」。その瞬間、パチリと撮っていただいたのです。『チーズ』も笑顔になりますが、『愛』はもっと良い表情になると思いますね。今日この言葉からご一緒に考えてみましょう。
聖書にこうあります。
いつまでも残るのは信仰と希望と愛、これら三つです。その中で一番すぐれているのは愛です。
今から10年ほど前、講演先のお土産でよくいただいたものに、食べるラー油というのがあったんですね。その時、日本中で大流行していました。でも、今見かけることはまずありません。また今から50年ほど前、私がまだ子どもだった頃、お正月や祝日になると玄関先に日の丸を掲げる家が結構あったんですね。でも今見かけることはまずありません。廃れてしまったのです。
ある価値観やある新製品は時代とともに入れ替わり、そして廃れていくようです。しかし、どんなに時間が経っても決して廃れることがない物が三つあると聖書は語っているのです。
いつまでも残るもの① 信仰
第1に、神である救い主イエス・キリストへの信仰です。なぜキリストへの信仰がいつまでも残るものなのでしょう。信仰の対象であるキリストがいつまでも存在する真実の神だからです。キリストは昨日も今日もいつまでも変わりのない生ける神です。ある方は信仰は何でも尊い、信じるということは良いことだとお考えになります。
しかし、間違ったものを本気で信じることほど悲惨な話はありません。その典型例が統一教会問題ですね。今や国会でも取り上げられるカルト宗教問題ですが、どうして引っかかってしまうのかということを突き詰めて考えると、信じることは良いという間違った考えにまで行き着くように思うのです。信仰で一番大切なことは、どんな信じ方で信じているか、どんな信仰で信じているかではなく、誰を信じているのか、何を信じているのかという信仰の対象なのです。間違ったものは決して信じるべきではありません。そして、真理は絶対的に信じるべきものなのです。
キリストは二千年間あらゆる国、あらゆる時代を通して試され、吟味され、反対論に晒され続けた上で、今なお世界中の人々の心を捉える方です。それは、キリストが単なる道徳家などではなく、今も生きて働く神であることを多くの人々が確かめ、味わい、経験しているからです。キリストはご自分を信頼する者を守ってくださる方です。たとえ、その信仰が今にも消えそうにか細いものであっても、キリストはくすぶる灯芯を消さずに育ててくださる方なのです。自分の信仰を分析していると、どんな人でもすっかり自信を失くしてしまいます。信仰には波があるからですね。自分の信仰を信じるのではありません。キリストを信じるのです。キリストには弱い私を救うことができると信じるんです。キリストの力のゆえにその人は救われるんです。
いつまでも残るもの② 希望
第2に、いつまでも残るものは希望です。
今から20年ほど前、この番組のリスナーのお家に突撃訪問したことがありました。彼は全盲でしたがこの聖書メッセージを聞いて、自分が神に愛され、そして自分にも使命があるということを知り、そして自分の人生の原動力としてキリストが自分の中に入ってきて助けてくださるということを聞き、キリストの死と復活を信じてクリスチャンになったんですね。時々、熱い励ましの手紙を書いてくださる方でした。
ある時、講演旅行のついでにアポイントなしで彼の家に行ったんです。彼は突然やって来た私を喜んで、実に楽しい再会の時間を過ごすことができました。30分程でお別れしたんですが、帰り際、彼は私を呼び止めてこう言いました。「高原さん、次来る時には必ず前もって連絡してください。前もっていらっしゃるって分かったら会えるまでの時間も楽しみになって張り合いがありますから」心に強烈に焼き込まれるような言葉となりました。彼は再会を喜ぶだけではなく、再会の約束を待つ楽しみがあるので事前に教えてくれと言ってくれたのです。
聖書にはたくさん神の約束が書いてあります。それは、その約束を信じる人に希望を与えるためです。今、世界中のクリスチャンが待ち望んでいる希望が一つあります。それは、キリストの携挙です。携挙というのはキリストが再びやって来て、クリスチャンたちを天に携え上げてくださるという約束です。携帯電話の『携』に手を上げる挙手の『挙』と書いて『携挙』と言います。これは誰もがいただける約束です。キリストを救い主として信じる全ての人に与えられる希望の約束です。これは時代によって廃れることはありません。
いつまでも残るもの③ 愛
第3に、いつまでも残るものは愛です。
キューブラー・ロスという人が書いた『「死ぬ瞬間」と臨死体験』という本の中に一つの詩が紹介されていました。ヴァージニア・サターという臨床心理士の詩です。
“私はあなたを
束縛せずに愛したい
判定せずに称賛したい
侵入せずに繋がりたい
後ろめたさなしに別れたい
責めることなく評価したい
見下すことなく助けたい
もしあなたも同じようにしてくれたら
二人は本当に出会い
お互いを豊かにできるでしょう”
含蓄のある詩です。愛の本質を見事に言い表しています。そして、キリストの愛とは正にこのような愛なのです。キリストはあなたを束縛しません。あなたの心に訴えますが、ルールで縛り上げるようなことはなさらないのです。キリストの愛は強制ではありません。また、キリストはあなたを責めることなく事実を評価します。そして、決して見下すことなく、いつでも助けてくださる方なのです。
このキリストの愛を理解したら、誰もキリストから離れたいと思わないでしょう。このような愛はいつまでも残るのです。キリストへの信仰も、キリストからの希望も、キリストによる愛も、いつまでも残るものなのです。そして、あなたが本当に必要としているものは、実はすべてこのキリストの中にあるんですね。
是非、キリストをご自分の救い主として受け入れてください。そして、永遠のいのちをいただいてください。心からお勧めいたします。
(1コリ13:13)