#1096 あなたに福音を伝えたいわけ

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。那須清志です。

この番組で紹介しているキリストの福音は万人に受け入れられているわけではありません。それどころか反感をもっている人もいます。聖書の中にも、福音を語っているパウロが「まるで疫病のような人間で…」と非難されている箇所があります。でもパウロは語り続けました。次のように言っています。

ですから私としては、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです。私は福音を恥としません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、信じるすべての人に救いをもたらす神の力です。

今日は、キリストを信じる者たちが福音を語りつづける3つの理由をご紹介しましょう。

一方的なプレゼント

まず第一に、自分たちが神の祝福を味わい、喜んでいるからです。それも、自分たちが何かをしたからでなく、一方的なプレゼントだからです。
先日、買い替えたスマホのサービスで懸賞に応募しました。と言っても、2,3回タップすれば応募完了。すぐに結果も画面に出てくるというものです。結果は「当たり!ジュース一本!」まあ、ジュース一本もらうのにわざわざコンビニに行くなんて…」と思っていたのですが、子どもに話すと、「みんなやってるよ、ついて行ってあげる」というので行くことにしました。レジに当たったジュースを持って行って、スマホのバーコードをピッとしてもらって終わりです。店員さんにおごってもらったみたいな変な感じでした。
こんな些細なことでも「得した経験」を身近な人につい言いたくなるものです。同じように、福音を信じて得たうれしいことについてつい話したくなるのです。
福音は、私たちを造られた創造主との関係を回復するように勧めています。私たちは自分の家族や知人たちとの関係が良好なとき、何よりも平安をもつことができます。聖書では「魂の親である本当の神」との関係を良好に保つことが祝福の秘訣と語ります。創造主から来る励まし、慰め、アドバイスは私たちに本当に力を与えます。それを福音を通じて手に入れたものたちはその幸いをつい話したくなるのです。大したこともしていないのに、あたかも懸賞に当たったかのように一方的なプレゼントです。それはあなたにも提供されています。

福音はあなたのためになる

二つめに「福音があなたのためになる」と本気で思っているからです。
私は以前、日本語教室で「外国からきた子どもたち」に日本語を教えていました。多くの子は親の都合で日本に来て、それまで触れてこなかった未知のことばを勉強するようになります。特に、漢字を使っていない国から来た子どもたちは漢字の習得に苦労していました。書くのも大変ですが、読むのも一苦労です。中国人が使っている漢字は、一つの漢字に一つの読み方しかありません。でも、日本語の中の漢字ではそうもいきません。「神」という漢字をとってみても、「神戸」の「こう」、神道の「しん」、神社の「じん」と幾つも読み方があります。大変な事はわかりますが、今後日本で生活していく彼らにとってとても大事なのでしっかり教えていきます。その時、必要を感じないで疎かにしがちな者には根気強く伝えていくしかありません。
同様に、今は福音を必要としていない、という人もいるでしょう。でも、いつか必要なときが来るかもしれせん。そのときのためにお伝えしたいのです。また、今の状況で十分満足、とても幸せと思っている人もいるでしょう。しかし、神は今よりももっと大きな祝福、もっと大きな希望を与えたいと願っておられます。だから、お伝えしています。

命を懸けられる理由

もしかするとあなたは福音を伝えている人を煙たがったり、不愉快に思ったりしているかもしれません。でも、よく考えてみてください。その人はあなたのことを心配していないでしょうか?嫌われてもあなたのことを考えて、あなたの祝福を願って、語ってくれているのではないでしょうか?
これまで、多くのクリスチャンは命を懸けて語り続けました。殺されそうになっても語り続けました。自分も同じようにできるかと言えば、自信はありませんが、そうありたいとは願っています。どうしてそこまでできたのでしょう。それは相手のためになるという愛と同時に大きな確信がありました。それはイエスの復活と関係があります。
十字架で人間の罪の身代わりとして死なれたイエスは、三日目に死を突き破って復活されました。その姿を見た多くの弟子たちは「たとえ今、命を奪われても、イエスのように神によって新しいいのちを与えられ復活することができる」と信じていたのです。新しいいのちがあることを伝えるのは、きっと相手のためになると確信していたし、そのいのちを得てほしいと思っていたからです。

病の中での「神の祝福」

三つめに、キリストの思いを考えると語らずにはおれないのです。
以前、病床でイエス・キリストを信じた女性の方とメールでやり取りをしていました。一緒に学んでいた本に、信じた人に起こる変化が5つにまとめられていました。その5つめは「あなたが造られた目的を果たすための最大の冒険が始まる」とあったのです。余命を宣告されている人に申し上げにくかったのですが、そのままを説明しました。信じることがゴールではなく、これから本番であること。たとえこの地上の生涯は残り少なくても、なすべきことがあるということ。人のいのちは神の手の中にあって、一番いいときにクリスチャンをご自分の元へ召してくださるということ。地上に残る人たちに対して、自分が持っていた喜びや希望を伝えていくというすごい仕事をしていること、などを伝えると、次のようなメールが返ってきました。
『返信遅くなってごめんなさい。体調が悪く伏せっていました。これからが本番。よくわかりました。地上では僅かな時間でも悲嘆することなく、なすべきことがあることも。病の苦しみはそれだけに終わることなく主に出会うチャンスを皆に提供していることも嬉しいです。一番嬉しいのは私が神様の喜ばれている働きをしていることです。それと神様の御元で永遠となれることです。地上での生きた証を残すことは大切です。いつも癒しと痛みから守られるようにお祈りして下さって有り難うございます。感謝します。』
この方は、このメールを書かれて50日後に亡くなられました。信仰をもって痛みがなくなったわけではありません。痛みの中でも「神の祝福」を味っていました。朽ちていく弱い肉体から解放されて、新しいいのちを備えてくださった神の計画をしっかり見据えていました。神の力に守られている様子を強烈に見せられ、私はこの方の生きた証を多くの人に知ってほしいと強く思っています。
私たちでもこう思うのであれば、救いを用意された神ご自身はどれほどの思いをもって、あなたにこの祝福を知ってほしいと思っていることでしょう。それを考えると、語らずにはおれないのです。
今更、遅い。なるようにしかならない、と思っている方。イエスの救いは一瞬です。私たちが救われるためにできることは何もありません。ただ、救いの必要を認め、神の前に願うことです。用意されたプレゼントを受け取ることです。
今、信じているもので大丈夫、と思っている方、その希望は確かですか?その救いは永遠のものですか?伝えられているキリストの福音の力を是非、味わってください。心からおすすめいたします。


使用CDジャケット
Nard:愛のメッセージ

今日のみことば
ですから私としては、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです。私は福音を恥としません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、信じるすべての人に救いをもたらす神の力です。
(ローマ1:15-16)