ごきげんいかがですか。尼川匡志です。
1984年、ロサンジェルスオリンピックで初めて正式種目となった、女子マラソン。その記念すべき第一回目のレースは、見ていた人々に大きな感動を与えました。
アメリカの選手がトップでゴールに入ります。遅れること約20分、スタジアムにどよめきが起こりました。それはひとりの選手が、まるで夢遊病者のようにふらふらになりながら、入って来たからです。彼女の名前はガブリエラ・アンデルセン、スイスの選手です。誰が見ても熱中症にかかっていることがわかりました。
彼女はゴールテープを切りたいと、さかんにアピールします。トラックサイドのドクターも彼女を見て、汗が出ているので大丈夫だろうと判断し、走ることを許可しました。スタジアムの大歓声は彼女を後押しし、そして感動のゴールを切りました。マラソンは人生に例えられます。レースを走る者が全員一位になれるわけではありません。その長い道のりにはいろいろなことが起こります。順調に見えて、思わぬアクシデントが襲うこともあります。ひとりひとりに自分のレースがあり、戦いがあり、それをみごとに走り切ることが大切です。
パウロの言葉
聖書にこのような言葉があります。
私はすでに注ぎのささげ物となっています。私が世を去る時が来ました。私は勇敢に戦い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。あとは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。
これは、パウロの最後の手紙の中のことばです。このことばからパウロの人生の三つのことを考えたいと思います。一つ目は過去、そして現在、そして三つめは未来です。
パウロの過去
過去から考えます。彼は、ユダヤ教のパリサイ派という厳格な一派に属していました。そして当時、にわかに増え始めたイエスを神と信じる人たち、キリスト者たちを神への冒涜だと激しく迫害し、見つけ次第片っぱしから投獄したのです。
パウロは恐れられていました。しかしこのパウロがある日を境に豹変します。そして「イエスは救い主だ」「イエスは死からよみがえった」と言い出したんです。誰もが耳を疑いました。脅されて考えを変えたのではありません。彼が脅していた側です。
あり得ないことが起こりました。その後パウロは、人生のすべてをかけてキリストを宣べ伝えたのです。なぜでしょうか、聖書には彼の証言が、このように書かれています。「私は復活のキリストに出会った」と。
このパウロの証言を私は信じます。彼は徹底して嫌悪していたにもかかわらず、そのことにいのちを賭けたんです。別の個所では「牢に入れられたこと、鞭打たれたことも数えきれず、死に直面したこともしばしばです。」と言っています。想像を絶する苦難があったんですね。
パウロは人生を振り返って、こう言いました。「私は走るべき道のりを走り終えた」、この言葉には一切の後悔がありません。彼は自分のいのちが神によって与えられ、生かされているということを承知していました。
そして「自分の人生のレースは、これで良かった」と心から満足していたのです。私も後悔のない、こんな人生を送ってみたいと願います。
パウロの現在
二つ目、現在について。彼はローマで投獄されていました。皇帝は残虐無比なネロです。パウロは自分が斬首される日が、近いことを知りました。つまり彼は死刑執行直前の囚人なんです。誰もが生まれたかぎり例外なく死にます。しかし私は必ず死ぬというのと、死刑執行の日が迫っているというのでは、恐怖が全く違うと思います。「私が世を去る時が来ました」という彼のことばは、そんな状況の中で書かれたことばなんです。
なぜそこまで落ち着いていたのか。私たちは死をただただ恐れます、しかしパウロはそうではなかった。それは復活のキリストに出会ったからです。そしてそのとき、死が終わりではない、ということをはっきり知ったんですね。またその後の過酷な人生の中で、神はパウロを力強く守っていてくださいました。
さてあなたは、何か信じるものがあるでしょうか。そしてそれはあなたの苦難のときに、あなたを守る力が本当にあるんでしょうか。パウロは体験していたんですね。
パウロの未来
三つ目です。パウロの未来です。彼は言いました「あとは、義の栄冠が私のために用意されているだけです」。彼は死というゴールを走り抜けたとき、キリストが笑顔で自分を迎えてくださる姿を見ていたようです。一抹の不安も感じられません。彼は希望的観測で述べているのではないんです。はっきりと、死の向こうに輝かしい未来がある、とわかっていたんですね。
実はこの人生こそ、神が私たちに与えたい人生なんです。私たちは死刑執行されるようなことはありません。しかし百パーセント死に向かって、進んでいるんです。あなたにとって、その死はどんなものですか。暗やみの恐怖ではないでしょうか。死の向こうに希望を持っておられますか。年が若くても、年配でも、この世の成功者でも、世間に認められていなくても、失敗続きの人生に見えても、想定外の出来事の連続であっても、それぞれに自分の走るべき道のりがあり、そのゴールに向かうんです。
あなたはパウロのように、死の向こうに、希望を見いだせますか。それを確信して走り抜ける人生でしょうか。その人生は幸いだと思います。
冒頭にお話ししました、アンデルセン選手のゴールは多くの人に感動を与えました。これを見たひとりのゴスペルシンガーが、勝利者という曲を書きました。走るべき道を走り終えたものに与えられる、キリストの賞賛、それをイメージして作ったようです。
キリストが、あなたを勝利の人生に導くのです。是非この方を信じてくださることをお勧めしたいと思います。
私は勇敢に戦い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。
あとは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。その日には、正しいさばき主である主が、それを私に授けてくださいます。私だけでなく、主の現れを慕い求めている人には、だれにでも授けてくださるのです。
(Ⅱテモテ4:6-8)