#1299 死を解決した唯一の神キリスト

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。

はい。皆さま、改めましてこんにちは。
ところで小野田寛郎さんっていう人ね、戦争終わって30年間、ルバング島というところでね、米軍と戦い続けたっていう日本兵士ですよ。とにかくね、この人ね普通の軍人じゃなくってね、陸軍中野学校という日本のスパイを養成する学校。ちなみに彼、お兄さん二人いてるんですけど、二人とも東京帝国大学医学部です。むちゃくちゃ賢いんですよ。
僕はね、講演一回聴きに行ったことがあるんです。もう一回はね一緒に食事することになってたんですよ。ところがね、どうしても行くことができなかったということでね、ビッグチャンス逃したんですけど。この小野田さんって方ね、30年間にね寝込んだこと一回もないんですって。でね、左の耳聞こえないんです。あるときね「痛っ」ていうて、大きさがね、3センチくらいの蟻が、寝てる間に耳の中入って鼓膜全部食いちぎったって。以来彼はね、ほぼ立って寝るんですよ。立って寝るっていうか、斜めにして寝るっていう。
その小野田さんですね、ついに30年経ってね、本土復帰いうことで日本に戻って来たとき、まぁ日本中がね一世風靡なったんですが。あるとき彼がね、タクシー乗ったって、そしたらタクシーの運転手が話しかけて来てね、「いや最近の日本の親って、何でも子どもの言いなりになって、あまちゃん、あまちゃんになって、これ戦争に負けて自信失ったからこんなことなってしまって、もうほんま昔の親はね、もっと偉かった。最近の親っていうのは腑抜けやぁ」ってね、大批判始めたんです。そのときに小野田さんが「いやぁ、その我々の親の世代が本当に賢かったら、アメリカのような大きな資源大国と戦争するなんて、あんな馬鹿な選択しますかね」と言ったときに、タクシーのドライバーがね「ちょっとは小野田さん見習え」って。つまりね、彼が考えてる小野田さんっていうのはね、精神論とガッツで全部乗り越えていく人なんです。だけどね、精神論で30年間もやっていけません。合理主義でないとやっていけなかったそうです。イメージと実態が全然違う。
そして多くの場合、神はきよい神、正義の神、だからきっと罪人を憎む神に違いないというふうにイメージを持つんじゃないですか。ところがキリストはおっしゃったんですね。「罪で心が騒いでどうしようもない人は神を信じ、また私を信じなさい。」
神が遣わしたイエス・キリストは、罪を悲しむ罪人を、愛さずにはおれない方なんです。子どもが病気で苦しんでるときに、子ども憎みますか?子どもを苦しめてる病気を憎むでしょ。人が罪のゆえにもだえてるときに、神は罪を憎むけれども、罪の結果苦しんでる罪人を愛さずにはおれない方です。そして、その罪を永遠の彼方にまでも持っていくために、この方は罪のない生涯を終え、そして十字架の上で私たちの身代わりに、神の罰を受けてくださった方です。っていうんですね。

心を騒がせてはなりません

聖書のテキストです。ヨハネの福音書の14章の1節です。

あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。

神を信じ、またわたしを信じなさいっていうのはね、これから十字架にかかるけど、弟子たちよ、おまえたちは十字架にかかったキリストを見てね、「ああ、これから先生がいなくなってどうしたらいいのか」と、がっかりするかもわからないけど、あの十字架はあなたがたをがっかりさせるためにかかるんじゃないんだと。あの十字架があるから、心を騒がせなくてもよくなるんだ。人が罪で苦しむなら、その罪は全部あの十字架の上で処分されたんだという、あなたの罪が永久処分された場所として十字架を仰ぎなさいっていう、そのためにこのことばを語ってくださったんですよね。
私たちはどういうときに、心騒ぐでしょう。それはね、死と向き合うときではないかと思うんですよ。

孤独な死ほどつらいものはない

皆さん、永六輔っていう方ご存じですかね。もう亡くなりました。あの人お寺の息子なんですよね。永六輔さんという人は、最後ねパーキンソン病っていう病気になるんです。このパーキンソンって、筋肉どんどん固まって来てね、ふるえて来て、自由に動かないっていう。パーキンソンになって、この車椅子生活でグーって固まって行く中で、彼の担当になった介助する方がね、東南アジアから来た介護士の方だったんです。彼女はね、日本語できるんですよ。そしてね「永さん。筋肉固まって、そらつらいの分かるけどね、そんなうつむいてばかりでよくないと思います。日本にはね、とってもいい歌があるから。『上を向いて歩こう、涙がこぼれないように』ね。上を向いて歩こうって、私も一緒に教えてあげるから一緒に歌いましょうよ。あの歌うたって、もっと前向きに行きましょうよ。いつまでも地面うなだれてるんじゃなくって、上向きましょうよ」言うたときに、永六輔が「あれ、わしが作ったんや」と。曲は中村八大が作ったんだけど、作詞は永六輔さんが作ったんですよ。「私が作ったんだから」って言ったときに、彼女がね「また永さん、冗談言って」言うてね、信じてくれないのよ。まぁ、あまりにも「上を向いて歩こう」の歌詞を作った人と、下をうつむいて生きている永さんのイメージが、合わなかったので冗談に聞こえてしまったということなんですが。
この永六輔がね、最後になんて言ってるか。「どんどん衰えていってね、最後ね、家で死ぬのがいいか、施設で死ぬのがいいか、病院で死ぬのがいいか、いろんなどこで死ぬのが負担が少ないかって、そんな話あるけどね、場所の問題じゃないでしょ」って言うんです。「どこで死ぬかっていう場所の問題じゃなくて、息を引き取るとき、だれが手を握ってくれるかってことじゃないか」って。息を引き取ろうとするときに、誰とつながってるのか、誰ともつながってない、あらゆる人間関係が切れたままで、誰とも接触がないという、この孤独な死ほどつらいものはない、っていうふうに言ったんですよね。
皆さん、息を引き取ろうとするときに、理想的には一番頼りになる方。それはね、私たちのいのちを造り、私たちに永遠の天国を準備することがおできになる方。この神とともに歩むということの幸いと、その死と向き合うということで、ヨハネの福音書14章の6節です。「イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。』」

死の解決はキリストだけが成し遂げた

あるときね、一休さんというお坊さんのところに、一人の檀家さんがやって来てね「一休和尚、孫生まれたんです。めでたいんです。うれしいんです。なんかお祝いの一句書いてください」「おぉ、まかせとけ、まかせとけ」って書いてくれた文句がね、「親死ぬ、子死ぬ、孫死ぬ」ってことばだったんです。「せっかく孫生まれて、みんなでうれしいうれしい、言うてるときに『親死ぬ、子死ぬ、孫死ぬ』ってなんでそんな不吉なこと書くんですか」って言ったら、「いやこんなに素晴らしいことない。一番最初に孫が死んだら、その子の親はむちゃくちゃ悲しむやろ。その子の親が死んだら、最後に年寄り残ってどんだけ悲しい?順々に年老いた者から死んでいく、こんなにめでたいことがあるか」って言ったという。そういう話残ってるんですよね。
だけどこれはね、死の解決とは言わないでしょ。一番あきらめがつきやすいってことだけであってね、死の解決じゃないですよ。死の解決についてはイエス・キリストだけが成し遂げたんです。一度死んだ後で、死後三日目に死を突き破ってよみがえってくださった方。このよみがえったキリストを目撃し、語り合い、まぎれもなく復活したということを確信した人物ヨハネが、このヨハネの福音書を書いてるんです。
ところで皆さん、握手って一人ではできませんよね。神の方は、もう伸ばしきるだけ伸ばしてるんです。あと皆さんが、「私を助けてください」と言えるならば、救われます。ただ信じるだけです。ぜひ、このイエス・キリストを自分の救い主として信じてください。心からお勧めいたします。


使用CDジャケット
末田和美:唯一の神

今日のみことば
あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。
(ヨハネ14:1)